2021年09月28日
(聞き手:小野口愛梨 本間遙)
水産学部の学生から、最初に選んだキャリアは報道記者。そして、気象キャスターとしての道を選びました。気象予報士の斉田さんが貫いたのは「命を守る」という思いでした。
そもそも、なんで気象予報士になりたいと思ったのか教えてください。
元々、天気とか気象に興味があったんですか。
興味はありました。
父が全国を転勤する仕事をしていて、秋田県に住んでいた3歳くらいの時、雪を見上げてずっとぼーっとしていたらしいんです。
九州に住んでいた時は雨の降り方が強くて、大粒の雨だなーと思ったり、地域によって特性があるんですよね。
気象予報士 斉田季実治さん
NHK ニュースウオッチ9で気象コーナーのキャスターを務める。連続テレビ小説「おかえりモネ」では、気象情報の裏付けなどを行う気象考証を担当。大学卒業後、テレビ局での報道記者を経て、民間の気象会社に入社。現在は自身の会社を経営。
小さいころから、そういうのが不思議だなって思っていましたね。
肌感覚で天気に興味を持つようにはなっていたんですね。
そういうこともありますし、具体的に気象予報士の資格を取ろうと決めたのは、大学の水産学部で乗船実習があった時です。
船の上って逃げ場がないので、天気がすごく重要なんですよね。
荒れていると船酔いで何もできなくなる人とかいますからね。
船酔いで・・・。
それで本当に天気って大事だなって思って、船を降りて気象予報士を目指そうと決めました。
それが大学3年生の春です。
在学中に気象予報士の資格を目指したんですね。
まず夏の試験を受けて、1回目は全く受からなかったんですけど、その後、猛勉強して2回目の試験で合格することができました。
そこまでに受からないと就活に間に合わなかったので。
もともとそんなに勉強しているほうではなかったので、当時いつも図書館にいて驚かれました(笑)
斉田さんが気象考証を担当した「おかえりモネ」の百音ちゃんも苦戦していたなって印象があります。
連続テレビ小説 おかえりモネ
宮城県気仙沼の島で育った永浦百音(清原果耶さん)が、東京から来た気象予報士との出会いをきっかけに予報士を目指す物語。
試験ってすごく難しいんですか。
すごく難しいと感じるかもしれないですけど、予報士試験は取りこぼしをしないことが大事ですね。
気象予報士 資格
予報業務を行う際に必要な国家資格。取得のための試験は年に2回で、受験に年齢などの制限はなし。マークシート方式の学科試験と与えられた情報から予報を行う実技試験が行われる。合格率は5%前後。
国家試験って変わった問題を出せないので、繰り返し表現を変えて同じことを聞かれていることが多いんですよ。
だから過去問の勉強がすごく大事です。
第11回目の試験を受けたのですが、第1回から第10回までの過去問の、どの問題がどこに書いてあるのかが全部頭に入っていたくらい勉強しました。
すごい!
私は文系なんですけど、文系の大学生でも勉強すれば目指せるものなんですか。
もともと文系で地方局でアナウンサーをやってから資格を取って気象キャスターになった人ってけっこう多いですよ。
まずは試験に通ってスタートラインに立つことが大事。
でも、気象っていろんな情報が増えていくので、常に勉強し続けないといけないです。
常にアップデートし続けないといけない。
はい、気象予報士っていう資格は一生なんですけども、それを使って仕事をしようと思うと常にアップデートし続ける必要があります。
斉田さんは大学卒業後、どのようなキャリアを経験してこられたんですか。
最初は北海道のテレビ局に採用していただきました。
面接で気象の話ばっかり聞かれたので、てっきり気象キャスターをするんだろうなあと思っていたら、事業部に配属になりまして、話が違うよと思ったんですけど(笑)
でも、事業部は外のイベントも企画するので天気がすごく重要で、天気(の知識)をいかす面もありました。
その後、報道に異動になって災害担当の記者も経験しました。
そうなんですね。
多くの災害現場を取材しましたが、災害が起きてから現場に行って報道するよりも未然に防ぐ仕事がしたいと思って、気象の会社に入り直したのが29歳の時です。
どうして、そう思ったんですか?
情報がいきていると実感する面もあるんですけど、全く伝わっていないなって感じたのが正直なところです。
伝わっていない。
台風が来るって呼びかけていても、そういう情報をまったく知らない人がいたり。
情報を伝えるのも難しいし、伝わったとしても、実際の行動に移してもらうのはさらに難しいと感じました。
それは、災害の危険が迫っていても、避難をしない人もいるっていうことですか。
そうですね、避難しないということもありますし、家にいてくれればいいのに危ない所へ出ていってしまったり。
そういう被害って多いんです。
難しいなっていう思いが・・・今もあります。
そういったことを防ぐためにしている工夫ってありますか。
そのために、できるだけわかりやすくテレビで伝えているつもりですし、いろいろな場で講演活動もしています。
やっぱり、天気に興味を持ってもらうっていうことがすごく大事だと思っていて。
そういう意味では「おかえりモネ」で気象・防災がテーマになっているのは、とても良い機会だと思っています。
たしかに。
色んなチャンネルで情報を発信して、これから先の防災についても考える必要があると思っています。
次にこんな災害が起こるだろうって言うのは予測されているのに、何もしないのはおかしい、そのための準備を早めにするのが大事ですね。
なるほど。
ですから私は気象キャスターというより、「防災をやっている人」みたいなくくりで活動をしていきたいなあと思っているんです。
そういうふうに考えるようになったきっかけはなんだったんですか?
そうですね、私が東京でキャスターになった1年目に東日本大震災が起きました。
1年目に!
もともとテレビ局の記者時代に、巨大地震が起きた時にどう放送するかというプロジェクトにも参加していたんですけど。
現実にそんなことが起こるとはどこか思っていなくて。
でも、あの(震災発生時の)映像を見た時、衝撃を受けました。
あの日は翌日の気象キャスターが出勤できなかったので、翌日の昼までずっと私が担当したんです。
そうなんですか!
雪が降り出しそうっていう情報などを逐一、夜通しで出していたんですよ。
1時間ごとにスタジオに入っていました。
どんなお気持ちだったんですか。
ふだん使える言葉を使えないんですね。
雪が降って寒くなることがわかっていて、ふだんなら「明日、朝昼暖かくして外出ください」とか言うんです。
でも、そういう(暖かくする)物すらない状況の人がいる中で、何を伝えるべきなのかっていうのは・・・
すごく言葉を選ぶというか…難しかったですね。
そうですよね。
被害がさらに大きくならないよう、被災地のことをよりクローズアップしてお伝えするのは大事です。
けど、そこに住んでいる人以外の生活もあるので、早く通常の天気予報に戻したほうがいいんじゃないかっていう思いもあって。
そのさじ加減というか・・・きっと正解は無いんですけど、すごく悩みました。
葛藤されたんですね。
やっぱり多くの人のためになる情報という意味では、東京とか関東の情報はある意味、重要だったりする面もあります。
ただ、伝わる人数と災害の危険性は別で考えないといけない問題なんです。
ですから基本的には災害が起きそうな時は災害を優先して伝えていきますけど、何をメインで扱うかっていうバランスは難しい時もあります。
気象情報を伝えるうえで、大切にされていることって何ですか。
「命を守る」っていうのが一番の軸になっていると思います。
私の場合は報道記者をやって、気象キャスターもやっているので、そういった思いが強いのかもしれないです。
「命を守る」…重いことばですね。
そんな斉田さんにとって「仕事」とはなんですか。
「生き方」と書きました。
人生の大半を仕事に費やすことになりますので、働いていることで自分自身がつくられていくと思っています。
どういう仕事をするかによって、人生が大きく変わってくる。
自分が就く職業だけじゃなくて、「そこで何をやるか」ということがすごく大事だと思っています。
私はもともと医学部志望だったんです。
医者になれずに今、気象キャスターをしていますが、命に関わる仕事という点でつながっている部分があると思いますね。
そうだったんですね。
なので、職業だけではなくて、自分が何をやりたいのか、そこがすごく重要。
皆さんも子どものころからいろんな経験をしてきて、その中でいろんな思いがあるでしょうから。
単純に就職先だけじゃなくて、そこで何がしたいのかって、私は大学生のころにものすごく考えました。
それを就職したあともずっと考え続けると、より自分がやりたいと思っていることに近づいていくと思います。
はい、これからそういったことも考えて、就職活動に取り組んでいきたいと思います。
ありがとうございました。
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