それでも私は踊りたい

    流行りの音楽にあわせて人前で踊ることが、禁じられた国があります。とりわけ女性が人前で踊るようなことがあれば男性以上に厳しい目が注がれます。それでも女性たちは踊り続けていました。いつか社会が変わることを願いながら。

    目次

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      男子禁制のダンス教室

      集合住宅の地下にあるダンス教室。小さなスペースですが、世界各地のダンス教室と同じようにアップテンポの音楽が大音量で流れ、女性たちがリズムに合わせて体を動かしています。

      しかしここはイランの首都テヘラン。ダンス教室は女性専用です。インストラクターを務めるエスマイリさん(33)はイランでは珍しいプロの女性ダンサー。ダンス教室は、エスマイリさんが自宅の一角に100万円かけて整備しました。

      ほかのどの国でも子どもが踊ることに夢中になるように、エスマイリさんは幼いころから踊ることが大好き。独学でダンスを覚え、プロのダンサーを夢見るようになりました。

      しかしイランでは、歌や踊りは宗教上の理由から厳しく制限されています。特に女性は公の場で踊りを披露することが原則として禁止されていて、とりわけ西洋の音楽を使ったものは御法度です。幼稚園のおゆうぎのようなものはともかく、この国で女性が人前で踊る機会は極めて限られているのです。

      「ダンスを職業にすることには両親からも反対されました。公の場で踊れば、罪にも問われることになります。」(エスマイリさん)

      エスマイリさんがダンサーを職業とするには難しい現実がそこにはありました。そこで始めたのが(それ自体も以前はタブー視されていましたが)ダンスを人に教えることだったのです。

      人に見せることは許されない踊り。それでも、ダンスは若い世代を中心に急速に普及し、生徒はこれまでに500人ほどに上りました。そんな動きをエスマイリさんは前向きにとらえています。

      「踊りは、人それぞれの趣味であって精神にも良いという考えが広まっています。宗教的にも決して悪いことではないと、意識の変化が起きているのです。」(エスマイリさん)

      取り締まられたサンクチュアリ

      ダンサーにとって、その姿をほかの人に見て欲しいと思うのは当然の欲求です。

      この5年ほどの間でイランでも個人がインターネットで自由に発信する機会が増え、女性たちの間でも自らのダンスを録画し、公開する動きが相次ぎました。インターネットは、人々にとって現実社会では禁じられた「踊る」という行為を披露できる貴重な空間となっていたのです。

      しかし、こうした流れに水を差す出来事がありました。宗教の教えに厳格なイランの司法当局は去年7月、インターネットに自身が踊る動画を投稿した10代の少女を拘束したのです。エスマイリさんの教え子の一人でした。

      ネットには「ダンスは犯罪ではない」といった抗議の声があふれました。女性たちは踊りを披露する大切な“舞台”を失うことになったのです。

      「伝統舞踊」ならOK

      若いダンサーを育ててきたエスマイリさんにとっても当局の取り締まりはつらい出来事でした。それでもダンスを学ぶ女性たちに少しでも機会を与えたいと今、新たな取り組みを始めています。

      この地域に伝わる「ペルシャ舞踊」をイチから学び、現代風にアレンジを加えた上で、教室で教えているのです。

      なぜ伝統的な舞踊なのか。「伝統をいかした踊り」であれば、条件付きで政府の許可が得られ、ステージを開催することができます。「西洋風のダンス」ではなく、「伝統をいかした踊り」の体裁をとることで、当局の規制をかいくぐることができるというわけです。

      こうしてことし1月、テヘラン北部の会場で、エスマイリさんたちが企画したダンスのイベントが開催されました。男性の入場は禁止、人目に触れるような宣伝も行ってはならないという条件つきです。写真は、ダンサーの親に撮影してもらいました。

      エスマイリさんやその教え子たちもステージに立ち、踊りを披露しました。男性である私は入場できず、この目で見ることはできませんでしたが、ステージのあと、話を聞きました。

      「人々に見せることができる、“アート”があることは、素晴らしいことです」初めて人前で踊ったという女性は晴れやかな表情で話していました。

      エスマイリさんはダンスを続ける理由について次のように話します。

      「ダンスは、人の信念と同じで排除することなどできません。なぜなら、これは『生き方』だからです。」(エスマイリさん)

      髪を刈り上げサッカー観戦

      女性たちの行動が、政府を動かすまでに至ったケースもあります。

      テヘランを本拠地とするサッカーチームの熱狂的なサポーター、ホシャナバスさん(27)。写真からはまずわかりませんが、男装をした女性です。

      ホシャナバスさんが初めて男装してスタジアムに潜入したのは、去年2月のこと。パーティーグッズを販売する店でつけ髭を購入し、変装がばれないよう髪は刈り上げ、マニキュアも落としました。

      そう、イランでは女性がスタジアムでサッカー観戦をすることが禁止されているのです。ホシャナバスさんは、そのときの興奮が今でも忘れられないと話します。

      「大勢の人と一緒に感動を共有しました。本当に自由な時間でした。テレビで観る試合とは比べものになりません。」(ホシャナバスさん)

      ホシャナバスさんはその後も変装を繰り返し、去年は4回、スタジアムでの観戦に「成功」。1度は警備員に変装を見破られ、警察署で一夜を過ごしましたが、サッカー観戦のためであればたいしたことはないと話していました。

      男装した女性たちがあけた風穴

      イランで女性のスタジアムでのサッカー観戦が禁止されている理由は、女性を保護する観点からだといいます。

      熱狂した男性ファンから危害を加えられたり、男女が一緒に応援することで「不純な出来事」(!)が起きたりするのを防ぐためです。

      ただ、サッカーはイランの人気スポーツ。女性のサッカー観戦は政治問題として、国民の議論を二分するようになっています。

      ホシャナバスさんの行動はイラン社会に波紋を広げました。ホシャナバスさんが、SNSに男装した様子を投稿したことで、ほかの女性ファンたちもあとに続くようになったのです。

      多くのメディアもこうした女性たちの行動を好意的に取り上げ、スタジアム観戦をしたいという女性たちの意志が、広く社会に伝わりました。

      そして去年11月。テヘランで行われたアジアのクラブチームのナンバーワンを決める試合で、ついに女性たちの観戦が一部、認められました。

      しかし女性の観戦が認められたのは8万人以上を収容するスタジアムに設けられたわずか500ほどの特別席。ホシャナバスさんは現状に納得していません。

      「スタジアムでの観戦が解禁されるまで、男装し続けます。私と同じサッカー好きの女性たち全員に、試合を観戦してもらいたいのです」

      人生を楽しみ 共有する喜び

      テヘランからドバイに向かう飛行機に乗ると、女性たちは機内に搭乗した直後に、一斉に頭を覆っていたへジャブをとります。初めて見るとぎょっとしますが、当事者にとっては当たり前のことのようです。

      それはイランの女性たちのある一面をかいま見る瞬間です。イスラム教の厳格な解釈は、女性たちに様々な制約を与えています。しかし、その中でも人生を楽しみ、共有したいと考え行動する女性たちの姿こそが、イランの今を象徴しているのかもしれません。(テヘラン支局 薮英季)