トルコの存在感が増しているのはなぜなのか

    国際政治で存在感を増すトルコ。そのトルコを強烈なカリスマで率い、大国を相手に独自外交を展開するのがエルドアン大統領です。その姿は、かつて絶大な権力を誇ったオスマン帝国時代の指導者のイメージと重なりつつあります。

    複雑な中東情勢において、トルコはさまざまな場面で重要な役割を果たしています。しかしトルコそのものを主語にして語られることは少なく、その立ち位置がわかりにくいと感じている人もいるのではないでしょうか。この記事では歴史的な背景も踏まえつつ、トルコの「今」をひもときます。

    目次

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      「スルタン、エルドアン!」

      イスタンブールにある人気のレストラン。名物料理は、ペースト状にした焼きナスに、牛や羊の肉をのせた「スルタンのお気に入り」です。「スルタン」は、イスラム王朝の君主を指す呼び名で、特にオスマン帝国時代のトルコでは、絶大な権力をほしいままにしました。

      スルタンのお気に入り
      “スルタンのお気に入り”

      「スルタン、エルドアン!」掛け声が会場に響き渡った瞬間、その場の空気が凍りつきました。5月20日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。ヨーロッパのトルコ系住民で作る団体の総会が開かれ、エルドアン大統領も出席しました。興奮した参加者の1人が発したのが、冒頭の掛け声です。

      掛け声のぬしは大統領の熱烈な支持者でしたから「エルドアンこそがわれわれのリーダーだ」と強調したかっただけなのでしょう。しかし後に続くシュプレヒコールはなく、誰もが「それは公に言っちゃだめだよ」という顔を見せていました。今のトルコを象徴するシーンでした。

      近代トルコの国是は、政治と宗教を切り離す「政教分離」。その大統領にイスラム王朝の君主たる「スルタン」呼ばわりは適切とはいえません。

      エルドアンポスター
      “大きなトルコは強いリーダーを求めている”

      しかしエルドアン大統領はイスラム教の価値観を重んじる政策を進め、強権的な姿勢を強めています。さらにイスラエルと対立するパレスチナへの支援を打ち出すなどイスラム圏の盟主のようなふるまいも見せています。好むと好まざるとにかかわらず、エルドアン大統領が「スルタン」のイメージに重なると感じる人は少なくないのです。

      東西の十字路 トルコの「立ち位置」

      トルコが国際政治で重要な位置を占め続けてきた背景には、地政学上の理由があります。アジアとヨーロッパにまたがり、地中海と黒海に面するトルコは「東西文明の十字路」と呼ばれました。

      ここで中東とヨーロッパにおけるトルコの「立ち位置」を整理しましょう。

      中東のイスラム教徒には主に4つの民族がいます。トルコ人のほか、アラブ人、ペルシャ人、それにクルド人です。それぞれ固有の言語を持っています。最も人口が多いのがアラブ人で、イスラム教をはじめに広めたのもアラブ人です。

      それでもオスマン帝国時代、トルコ人の歴代スルタン(君主)は、イスラム教の最高指導者「カリフ」も兼ね、今のサウジアラビアにある「メッカ」と「メディナ」という2大聖地の守護者を自認しました。トルコにはイスラム圏の盟主だった歴史があるのです。

      モスク内部
      スルタンアフメット・ジャーミィ

      トルコとアラブは同じイスラム教徒で利害を共有していますが、第一次世界大戦では、オスマン帝国はイギリスと組んだアラブ側による反乱などもあって敗北した経緯があります。つまりトルコとアラブはライバル関係でもあるということです。

      一方、オスマン時代、バルカン半島を奪われウィーンまで包囲されたヨーロッパにとって、トルコは脅威の対象でした。

      しかし、近代トルコの誕生を経て、冷戦時代、トルコの扱いは一変します。イスラム圏の国としては唯一、NATO=北大西洋条約機構に加盟。ソビエトに対する西側陣営の防波堤としての役割を期待されました。特に、アメリカとは親密な関係を築き、いまは険悪な仲のイスラエルとも合同の軍事演習さえ行っていました。

      西欧型の近代国家を目指したトルコは、EU=ヨーロッパ連合への加盟も目指し改革を進めました。しかしEU内では、イスラム圏のトルコは受け入れがたいという人が少なからずいます。遅々として進まないEU加盟交渉にトルコ側では不満がたまっていきました。

      アメリカもヨーロッパも怖くない

      エルドアン大統領率いるトルコは、欧米にとって、徐々に「面倒くさい国」になっていきます。

      EUがトルコとの協力は欠かせないと改めて痛感したのが2015年。EU圏内への大量の難民の流入です。難民は内戦が続くシリアからトルコを経由して入ってきました。人道主義を重んじるEUも、あまりの増え方に対応が追いつかず、トルコに協力を仰ぐことに。しかしその後、エルドアン大統領はEUと関係が悪化すると「国境を開けてもいいんだぞ」と脅しをかけるようになります。

      アメリカにとっても、中東の同盟国トルコは悩みの種です。アメリカは過激派組織ISの掃討作戦で、シリア北部のクルド人勢力と協力しました。しかしトルコはこのクルド人勢力を、自国のクルド人武装組織と密接なつながりがあるテロ組織とみなしています。アメリカには、ほかにISと地上で戦える有力な勢力がいない、という事情がありましたが、トルコが猛反発したのは言うまでもありません。「ISというテロ組織と戦うために、ほかのテロ組織と手を組むのは間違いだ」と言うのです。

      ロシア・イランと会見

      そしてトルコは、シリア情勢でもともと対立関係にあったロシアやイランに接近し、「アメリカ抜き」の和平の枠組みまで主導し始めました。トランプ政権によるアメリカ大使館のエルサレム移転でもイスラエルのことを「テロ国家」と表現し、最も激しく非難したのはトルコでした。その毅然とした姿勢はアメリカとの関係を気にするアラブ諸国の鈍い動きとは対照的です。

      「面倒くさいが、無視できない国」。中東情勢のカギを握るトルコは、欧米諸国にとってますますそんな存在になりつつあります。

      「奴らなんかいなくなってしまえ」

      大国とわたりあい、ときに両天秤にかけて立ち回るしたたかさを持つエルドアン大統領。当初は「イスラム圏の民主化のモデル」を実現したリーダーと、評価されていました。

      長期にわたって国民の支持を集めてきた秘密は、どんな相手にもひるまない、強気の姿勢です。トルコ国民の自尊心をくすぐります。時には日本でいう「べらんめえ調」の庶民的な言葉も使い、聴衆の感情に訴えます。

      支持が広がったもう一つの要因が、経済発展です。インフラ整備や外資導入に力を入れたエルドアン政権下で、トルコは、新興国の一角に数えられるようになりました。

      イスタンブール街角
      イスタンブールの若者たち

      しかし、その政権もすでに15年。長期化とともに、強権化していく政権に対して、国民の間では嫌気や批判も広がっています。去年、大統領に権限を集中させる憲法改正を巡って行われた国民投票では、賛成が僅かに上回ったものの、大統領のやり方を支持しない人が、国民のほぼ半数にのぼることを浮き彫りにしました。

      特に、2016年に起きた、軍の一部によるクーデター未遂の後、政府に強大な権限を与える非常事態宣言が出されてからは、その傾向は強まっています。これまでに、おびただしい数の警察官や兵士、裁判官、教員、ジャーナリストなどが逮捕されました。

      野党の集会
      野党系の政治集会

      イスタンブールのカフェで、店員が次のようなことを話してくれました。「クーデター未遂事件から1年ほどたった頃、事件に関わった者のファイルから自分の名前が出てきたという理由で、突然、捜査の対象になり、停職になった」。

      店員は事件のあおりを受けた停職中の警察官だったのです。彼はこう続けました。「捜査を行っている政権側の奴らなんかみんないなくなってしまえ」。

      彼が実際にクーデター未遂事件に関係したのかどうかは今となっては分かりません。しかしカフェ店員の激しい憤りからは、エルドアン政権をめぐり、国民が深く分断されている実態が肌感覚として伝わってきました。

      民主主義と揺れる政教分離

      どうして、そこまで厳しい締めつけをするのか。ヒントは、エルドアン大統領の過去にあります。強い指導者のイメージがあるエルドアン大統領ですが、かつてはむしろ、弾圧される側にいました。

      政教分離を国是とする近代トルコで長年、世俗主義を徹底する役割を果たしていたのは、軍です。軍は、政治に宗教を持ち込もうとする動きに目を光らせ、時に弾圧してきました。エルドアン大統領もイスタンブール市長だった21年前、集会でイスラム教の詩を朗読しただけで逮捕され、一時は政治活動そのものを禁止されました。

      そうした困難を乗り越えて、国の実権を握ったエルドアン大統領。多くの国民が信仰するイスラムの教えを表現することが許されないことこそ、民主主義に反すると主張します。そして、政教分離の原則に反するとして禁じられていた、公の場でのイスラム教徒の女性のスカーフの着用を憲法を改正して解禁するなど、イスラム教の価値観を重んじる政策を推し進めてきました。

      タクシム広場
      タクシム広場脇ではモスクの建設が進む

      軍の一部が主導した2016年のクーデター未遂のあと、過剰反応ではないか、と思えるほどの、厳しい取り締まりを断行したのも、過去のトラウマが影響しているのかもしれません。クーデターの危機を乗り越え、二度と軍によって追放されない状況を作ろうとしているのは間違いありません。

      軍が政治の背後でにらみをきかせる以前の状況も、民主主義からすると健全とは言えませんが、弾圧される側にいたエルドアン大統領が、政権が長期化するなか、強権的だ、抑圧的だという批判を浴びているのも、皮肉な現実です。

      建国100年に向け国威発揚

      内戦やテロ、混乱が続く中東情勢。欧米と同盟関係を結ぶトルコは中東の安定の要の1つです。しかし、このところトルコは、各国との関係で対立の当事者となる場面が目立つようになっています。

      トルコ側の理屈や歴史的背景を踏まえたうえで眺めてみると、中東情勢がより厚みをもって見えてきます。と同時に、これまでにない新しい動きや突然の妥協に、中東世界の奥深さも再認識させられます。

      モスク前の広場

      2023年に近代トルコは建国100年の節目を迎えます。エルドアン大統領はこれに向けて国威発揚を図っています。北のロシア、南のアラブ諸国、西のヨーロッパとの間で、危うくも、時には絶妙ともいえるバランス感覚で対立と融和を繰り返しながら、「現代のスルタン」を体現しつつあるエルドアン大統領のもとで揺るがない存在感を築き上げたトルコ。この国はこの先、どこに向かうのでしょうか。
      (カイロ支局 土屋悠志記者)