社会を変えた1人のブロガー その若すぎる死が刻んだもの
そのときリーナは27歳。大学で英語を教えながら、ブログに政治への不満や人権問題などを毎日、つづるのが日課でした。その記事は瞬く間に大勢の人の目にとまるようになり、長年続いた社会の構造を変えるうねりをつくりました。
それから10年。“革命のヒロイン”と呼ばれたリーナは36歳の若さで亡くなりました。1人のブロガーは、何を残して旅立っていったのでしょうか。
目次
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“チュニジアの女の子”リーナ・ベンムヘンニ
ブログのタイトルは“A Tunisian Girl(チュニジアの女の子)”。
最も古い2009年6月の記事をみると「ブログを再開します。またゼロからやり直しです!」とあります。
その翌年の12月、後に「ジャスミン革命」と呼ばれるチュニジアの政変につながる動きが広がります。きっかけは、チュニジアの地方都市シディ・ブジドで起きました。失業中の若者が路上で野菜を売ろうとして警察に取り締まられ、これに抗議して焼身自殺を図ったのです。
政府がメディアを規制して鎮静化を図る中、リーナは現場で起きていることをSNSやブログで発信し続けました。12月27日には、首都チュニスで行われたデモについて、警官がデモ参加者に石を投げつけたことなどを写真付きで伝えています。
リーナの発信は国内外に拡散し、政府を批判する声は日に日に大きくなっていきました。
23年続いた独裁政権はおよそ1か月後に崩壊。その波は周辺の国々に波及し、「アラブの春」と呼ばれる大きなうねりになっていったのです。
1人のブロガーだったリーナは「アラブの春」を象徴する顔となり、ノーベル平和賞の候補にも取り沙汰されました。
“唯一の成功例”だけど
「アラブの春」といわれるものの、多くの国では「春」は到来しませんでした。結果として、より強権的な体制になった国もあれば、泥沼の内戦に陥った国もあります。
そんな中、チュニジアでは民主的な選挙で大統領や議員が選出され、「アラブの春」の“唯一の成功例”といわれるようになりました。
しかし、その実態は人々が求めた理想とはほど遠いのが現状です。政治勢力の対立による混乱やイスラム過激派によるテロもたびたび起きています。
“革命”の背景にもなった若者の高い失業率など課題は山積したまま。汚職や利権の構造も残るなか、選挙での低い投票率など政治不信も広がっています。
リーナはそんな状況を憂い、「革命の成果が奪われている」とブログを通じて声を上げ続けてきました。
死の直前のメッセージ
その一方で、リーナを苦しめ続けてきたのが病の存在です。母親から腎臓の移植を受けるなど、子どもの頃から免疫疾患の難病を抱えていました。
2年ほど前から体調を崩しがちになったものの、リーナはブログの更新を欠かしませんでした。
2020年1月26日の記事です。
「私たち(チュニジア人)は過去から学ばず、歴史の教訓を覚えていない。物忘れが早いか、記憶力がないといえるでしょう。議会での茶番をもてはやし、先進的で改革をする人たちとみなして拍手を送っている。彼らによる暴力や腐敗、そして弾圧さえも忘れている。私はあらゆる暴力と暴力の行使に反対する」
政治や社会の改革の遅れを痛烈に批判し、再び言論の弾圧などが強まらないよう警鐘を鳴らした文章。このブログはリーナの最後の記事となりました。
両親は、リーナが死の4時間前までブログを書いていたと話します。
「彼女は病気を抱えながらも休むことなく決して活動をやめることはありませんでした。 誇りに思っています」(母親のエムナさん)
「彼女の人生は36年でしたが、360年分の価値があったと思います。彼女の生きた証や文章は、我々の心の中に生き続けます」(父親のサドゥクさん)
革命のヒロインの葬儀
チュニスで営まれたリーナの葬儀には大勢の市民の姿がありました。女性たちは慣習に反し、36歳の“チュニジアの女の子”のひつぎを担ぎました。
「リーナ、私たちは闘い続けるから、安心して眠ってください」
参列した人たちは、振り絞るように声を上げました。革命から10年がたつ今も、リーナの意思は多くの人々に支持されていたのです。
「リーナは愛にあふれ、そして強い女性でした。いつもベストを尽くすよう後押ししてくれました。彼女がいないのは寂しいですが、私たちといつもつながっていると感じます」
そう話すのはリーナにあこがれて人権活動に加わったインティサール・ハフシさん(26)です。高校生の時にアラブの春が起き、以来、リーナのブログを常にフォローし、個人的な交友も深めてきました。
インティサールさんはリーナが4年前に立ち上げた、刑務所に本を贈る活動にいま携わっています。若者が刑務所でISなどの過激派の思想に染まらないよう、市民から本を募り、贈る取り組みです。
配送業者などの協力を得て、これまでに集められた本は4万冊以上。今や各地の刑務所に図書館ができるほどになりました。
私たちはあなたの闘いを続ける
リーナは生前、ある裁判を起こしていました。6年前、リーナが地方の警察署を訪れた際に、複数の警察官から暴力を受けたことをめぐるものです。
リーナは警察の責任を明らかにし、法律に基づく処分を行うよう求めていました。不透明な国の権力に正面から挑んだのです。
ことし3月中旬、インティサールさんはこの裁判の審理にかけつけました。リーナの死から2か月近く。裁判は思いをともにする人たちによって続けられています。
弁護団をつくるのはリーナに賛同した約20人にのぼるボランティアの弁護士たち。しかしこの日、法廷に警察側の姿はありませんでした。警察によるこうしたサボタージュは繰り返されているといいます。
記者会見した弁護団は「裁判が始まってから何年も経つのに、まともに捜査すらされていない。チュニジアの司法が今もなお機能していないことの証拠だ」と語気を強めました。
その夜、インティサールさんは、リーナに報告する形でフェイスブックに投稿しました。
「あなたが常に信じ、闘ってきたものを勝ち取るため、多くの支援者や弁護団が集まりました。自由のために亡くなった人々の正義をつかむためでもあります」
「私たちは決して忘れず、あきらめず、あなたの闘いを続ける」
1万人のリーナ
リーナの葬儀で父親が語った言葉があります。
「私はリーナを失ったが、1万人のリーナを得た」
インティサールさんのように、リーナに共鳴した人たちは今、あらたな団体を立ち上げ、その意志を受け継ごうとしています。若者たちが活動を立ち上げたり、インターネットで自由に意見を述べることができたりするのは、チュニジアが“唯一の成功例”といわれる証左ともいえます。
「アラブの春」から10年、リーナがブログなどで絶えず声を上げてきたことは、チュニジアの民主主義に確かな足跡を残したのです。
「声を上げ続けることで社会は変えられる」
1万人のリーナが“革命のヒロイン”の歩んだ道を進もうとしています。(カイロ支局長 藤吉智紀)