イランが忘れない「偶発的な出来事」のトラウマ

    国どうしの対立で、犠牲になるのは罪のない市民―――そんなことを考えさせられる事件が31年前、中東のイランで起きました。ペルシャ湾のホルムズ海峡で、アメリカ軍が誤ってイランの民間機を撃ち落とした事件です。今まさに悪化の一途をたどる両国の対立に、かつての事件の遺族は何を思うのでしょうか。

    目次

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      緊迫のホルムズ海峡を行く

      イランとアメリカの対立で世界の目が注がれるペルシャ湾のホルムズ海峡。今月3日、私はイラン南部のバンダル・アッバースから船に乗り込み、その海に向かいました。

      世界で流通する原油の20%以上が通過する屈指の重要な航路。この付近では6月13日に、2隻のタンカーが攻撃され、アメリカがイランの関与を断定しました。その1週間後には、イランがアメリカ軍の無人偵察機を撃墜する事件も起きています。

      そして、この海域は31年前、イランの人々にとって忘れることができない出来事が起きた現場でもあります。

      31年前の民間機撃墜事件

      アメリカで愛国心が高まるのが7月4日の独立記念日であれば、その前日はイランにとって、反米感情が噴き出す日でもあります。

      1988年7月3日、イラン南部のバンダル・アッバースからドバイに向かっていたイラン航空655便が、ホルムズ海峡の上空でアメリカ軍に撃墜されました。離陸のわずか7分後のことでした。

      当時はイラン・イラク戦争が最後の局面を迎えていました。アメリカはイラク側につき、ペルシャ湾でイランに対する警戒監視を強化していました。

      アメリカ海軍の巡洋艦「ヴィンセンス」は、軍民共用のバンダル・アッバースの空港から飛び立った655便を、戦闘機と誤認してミサイル2発を発射し、撃墜しました。その結果、民間の旅客機の乗客乗員290人全員が死亡したのです。

      事件から8年を経て、アメリカは遺族に補償金を支払うことを決めましたが、正式な謝罪はいまもありません。

      アメリカへの憎しみを忘れまい

      655便が撃墜されたホルムズ海峡の海域で、追悼式典が始まりました。犠牲者を悼んで海に花を投げ入れる遺族の人たち。悲しみに包まれた船の周りには、警備にあたるイランの精鋭部隊・革命防衛隊の警備艇が多く集まり、対照的な物々しさを醸し出します。

      政府主催のもと、遺族や軍の関係者が参加して毎年、船上で開かれている式典。アメリカとの対立が深まる中、ことしは日本のほか、ロシアや中東の外国メディアも招待されました。

      船には「アメリカに死を」の文字が書かれたバナーが掲げられ、式典を通じて反米意識を高めようという意図が随所に感じられました。

      イランの国営放送は毎年この日、残骸となった機体を映した当時の映像を繰り返し流し、新聞も特集記事を掲載します。いずれも事件が誤射ではなく意図的な撃墜だったと報道し、悲劇的な事件を「アメリカへの憎しみを忘れまい」という強い意志とともに、受け継いでいるのです。

      消えない遺族の苦悩

      しかし遺族の心の内は今も深い悲しみのなかにあります。バンダル・アッバースに暮らす、ヘサム・アンサリアン(41)さんは撃墜事件で父親のイブラヒムさんを失いました。

      地元のバザールで店を営み、仲間から争いごとの仲裁を頼まれるほど、温厚だった父親。1988年の7月3日、当時10歳だったアンサリアンさんも、父親と一緒にドバイに行く予定でした。しかし気分が乗らず、行きたくないと告げると、父親はその判断を快く受け入れてくれたといいます。

      その日の朝、アンサリアンさんは目覚めが悪かったといいます。いつもなら玄関先で父親を見送るはずのところ、最後の言葉を交わすことはできませんでした。

      アンサリアンさんは思い詰めた表情で「そのことが心残りでならない」と、昨日のことのように語ります。

      「私にとっては毎日が7月3日です。愛する人を失ったことは、永遠に忘れ去ることができません。両国の政治家がお互いに対する行動を改めなければ、また国民が傷つくことになるのです」

      憎しみと対立を超えて

      事件が、反米意識を高めるために利用されてきたことに複雑な思いを抱いてきたアンサリアンさん。去年、これまでとは違った、別の追悼式典を企画しました。

      ホルムズ海峡に面した広場で地元の人たちを集め、事件で犠牲となった子供と同じ数、67枚の凧をいっせいに飛ばしたのです。自分もそうした子供たちのひとりになっていたかもしれない。みずからも乗り込むはずだった飛行機に乗り、亡くなった罪のない子供たちに祈りを捧げ、命の尊さを伝えたかったといいます。

      「あの事件が憎しみの象徴とされることは望みません。父親もそうしたことが嫌いだったからです。655便は、人間の素晴らしさ訴えるものであってほしい」(アンサリアンさん)

      ホルムズ海峡に平和は訪れるのか

      この時期、日中の気温が40度を超えるバンダル・アッバースでは、人々は夕暮れ時から外出します。

      ホルムズ海峡に面した海岸沿い。夕日が海を真っ赤に染めるなか、大勢の人たちが寝そべったり、犬の散歩をしたりしてゆったりとした時間が流れます。それは、ニュースから伝わるホルムズ海峡のイメージとは全く異なる光景です。

      「反米国家」として今のイスラム体制を維持してきたイランですが、市民に目を向けると、反米を訴える人は実はそれほど多くはありません。

      今まさに、坂道を転がるように関係が悪化しているイランとアメリカですが、対立の板挟みとなって苦しんでいるのはイランの国民だと感じます。平和を願う人々の祈りが届くことはあるのでしょうか。(テヘラン支局 藪英季)