サウジの皇太子が「ゲームチェンジャー」と呼ばれるわけ

    アラビア半島の大部分を占める、サウジアラビア。王国を実質的に率いているのが、次の王位を約束された32歳のムハンマド皇太子です。無尽蔵の富を生み出してきた石油の価値が色あせる中、絶大な権力を武器に石油王国から技術立国への転換をめざし、王国の「現代化」に着手。その一方で、アメリカのトランプ大統領に接近し、共通の敵であるイランの最高指導者を「ヒトラー」と断罪、強硬路線を突き進んでいます。

    ある欧米メディアは「改革者かそれとも悪党か」と評します。ムハンマド皇太子の率いるサウジアラビアはどこに向かうのか、読み解きます。

    目次

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      「絶対王制」の国の皇太子

      世界で数少ない「絶対王制」が続くサウジアラビア。その国王の権力は、石油の富、イスラム教の聖地の守護者たる名声、そして軍の指揮権を一手に握る絶大なものです。

      今の国王はサルマン国王、82歳。ムハンマド皇太子の実の父親です。ムハンマド皇太子は、国王のもとで、いまや政治から経済、安全保障に至るまで、ほぼ全権を掌握し、未来の国王としての地位を確固たるものにしています。

      毎年、アメリカの経済誌が選ぶ「世界で最も影響力のある人物」のランキングでも、中東から唯一トップ10に選ばれたムハンマド皇太子が注目されるきっかけとなったのは「改革者」としての側面でした。

      サウジが抱える“石油中毒”という病

      サウジアラビアといえば、石油がたくさんあってリッチな国、というイメージを持つ人も多いかもしれませんが、大きな問題に直面しています。エネルギー需要の変化と、高福祉国家の限界です。

      サウジアラビアは国家収入の7割以上を石油に依存しています。しかし今、世界では従来の産油国への依存度が低下しています。地球温暖化対策としての再生可能エネルギーや電気自動車の利用の拡大、アメリカでのシェールオイルの開発などがその原因です。

      サウジアラビアは絶対王制を存続させるため、石油から得られた富を国民に還元してきました。医療費や教育費は基本的に無償。ガソリン価格や電気代も補助金によって低く抑えられてきました。高福祉は、国民の不満を抑え込む手段の1つなのです。

      今、従来の方法は限界に直面しています。ムハンマド皇太子も「われわれは石油中毒になっている」と石油への依存体質をみずから批判してきました。とはいえ、これまで無償か、格安で得られてきたものが高くなることは国民の強い反発を招きかねません。

      抜本的な見直しには踏み切れず、原油価格が低迷したここ数年、サウジアラビアは巨額の財政赤字を抱えてきました。そこで目を付けたのが、石油以外の収入の拡大。石油以外の産業の確立です。

      原発200基分の太陽光発電

      「総額21兆円を投資し、200ギガワットの太陽光発電所を建設することで合意」。ことし3月、ムハンマド皇太子がソフトバンクグループの孫正義社長と行った発表は世界に驚きを与えました。

      目標とする発電容量200ギガワットとは原子力発電所200基分に当たります。「大胆かつリスクもあるが、成功に至ることを期待したい」。ムハンマド皇太子は、みずから合意文書に署名したあと、このように述べて自信を示しました。

      リヤド郊外の太陽光発電研究所

      さらにムハンマド皇太子は、ロボットや人工知能、次世代交通システム、宇宙開発にも目を向けています。世界の経済構造を一変させるような革新技術の開発を行う欧米の先端企業への出資や提携によって、サウジアラビアに最先端の産業を集めようとしています。

      店のシャッターが一斉に

      ムハンマド皇太子が、改革のメスを入れようとしているのは経済だけではありません。

      サウジアラビアでは宗教界の発言力が強く、伝統的価値観に基づいた慣習が社会の規範となってきました。首都リヤドのショッピングモールを歩くとそれを強く感じます。女性はアバヤと呼ばれる黒い衣装で全身を覆い、顔まで隠している人も少なくありません。

      飲食店の営業形態も、独特です。入り口が「家族用」と「ひとり用」に分かれています。女性は「家族用」を、男性のみのグループは「ひとり用」を利用します。家族以外の男女同席を避ける設計になっているのです。

      ジッダ 海辺の夕暮れ

      職場も、学校も基本的に男女別々です。1日5回ある礼拝の時間が近くなり、お祈りを呼びかける「アザーン」が鳴り響くと、すべての店のシャッターが一斉に閉じられます。礼拝の間は、閉店する決まりです。取材の合間に食事をとろうとレストランに行くと、ちょうど礼拝の時間にあたり、昼食を食べ損ねてしまうこともたびたびあります。すでに店内に入っている場合、追い出されることはありませんが、シャッターが閉じられ、照明も落とされた暗い店内で食事をすることになります。

      こうしたサウジアラビア独特の慣習や決まり。「穏健なイスラムを目指す」というムハンマド皇太子のもとで進む改革の一環として、徐々に緩和され、「普通の国」へと向かっています。

      車の運転も 映画館も

      5月15日、首都リヤドで開かれた自動車ショーに詰めかけたのはアバヤに身を包んだ女性たちでした。車の試乗コーナーでハンドルを握る姿はこれまで見られなかった光景です。

      サウジアラビアでは女性の車の運転が禁止され、女性の社会進出を阻む要因となってきましたが、来月、解禁されます。

      車の試乗を待つ女性たち

      「初めて車を堂々と運転したわ」

      「解禁されたら、自分で車を運転して通勤したいと思います」

      口々に話す彼女たちからは、その表情は見えなくても興奮が伝わってきました。

      映画館もことし解禁されました。不特定多数の男女が暗闇の中で同席し、欧米の映画を見るという行為は、宗教界から「堕落した文化」と非難され、長年、禁止されてきました。それが、国内消費を増やすための改革の一環として解禁されたのです。

      リヤドにオープンした真新しい映画館ではアメリカのアクション映画が上映され、座席は男女同席が認められました。公の場では男女別が「暗黙のルール」となってきただけに大きな変化です。女性の観客は「私たちはこれまで海外に映画の最新作を見るために渡航していましたが、きょうで終わりです」と話していました。

      リヤドの映画館

      ただ、映画館での上映作品は、イスラム教や現地の倫理感に反しないよう検閲が行われます。当局が、どの程度まで表現を許容するのかも、サウジアラビア社会の変化を推し量る上でのリトマス紙になりそうです。

      それでも駐在歴の長い日本企業の関係者は驚きを持って一連の改革を見つめています。

      「サウジはいま普通の国に生まれ変わろうとしている。しかも、そのスピードは想像以上に速い」(日本企業の駐在員)

      政財界の実力者を一斉に拘束

      こうした「改革者」としての顔に加えてムハンマド皇太子について回るのが、その若さには不釣り合いなほど強権的なイメージです。

      去年11月、ムハンマド皇太子の主導で、有力な王族や現職の閣僚、実業家らが一斉に拘束されました。拘束者の中には、アブドラ前国王の息子で、かつては王位継承の有力な候補と目されていたムトイブ王子や、世界有数の投資家、ワリード・ビンタラール王子など政財界の実力者が含まれていました。政情不安との観測も出て、原油価格も上昇、世界の視線がサウジアラビアに集まりました。

      王子たちが拘束された場所は、王宮にほど近い高級ホテル。私も拘束劇の一週間ほど前に、取材でこのホテルを訪れていました。その時には世界中のビジネスマンが集い、華やかな雰囲気でしたが、一斉拘束の夜から3か月余りの間、このホテルは閉鎖され、取り調べの舞台になったのです。

      取り調べが行われたホテル

      理由についてサウジアラビア政府は、汚職の疑いだと説明。一方で、皇太子がスムーズに王位を継承するためにライバルを排除したなどといった憶そくも流れましたが、詳しいことは分かっていません。

      この事件には副作用がありました。サウジアラビアへの投資をためらう動きが広がったのです。サウジアラビアに外国企業が投資する場合、王族などの有力者が外国企業と政府の橋渡し役となることがしばしばです。「誰と組めば、安全なのか」、「サウジアラビアは変わるのか、旧態依然の強権国家なのか」という海外の投資家や企業の不安は、事件から半年以上をへた今も根強く残っています。

      泥沼化したイエメンへの介入

      強権的な姿勢は周辺諸国にも向けられ、地域の不安定要因ともなっています。ムハンマド皇太子は2015年、国防相に就任するとUAEなどとともに南隣のイエメンで続く内戦に介入。反政府勢力に対して劣勢にあった政権側を支援する名目で空爆を開始しました。

      サウジアラビアの軍事訓練

      当初は短期間で終了すると見込まれていましたが、内戦は泥沼化。人口の4分の3にあたる2200万人が緊急援助を必要とする「最悪の人道危機」に陥り、サウジアラビアなどの空爆で民間人が巻き添えになる事態も相次いでいます。

      サウジアラビアに対しては国際的にも批判が相次ぎ、ムハンマド皇太子がことし外遊したアメリカやヨーロッパでは空爆をやめるよう訴えるデモが行わました。

      さらにイエメンの反政府勢力からはサウジアラビアに向けてミサイルが撃たれ、死者も出る事態となっています。

      「中東には破壊者が存在する」

      そして地域の覇権を争うイランとの対立は深刻さを増しています。ことしの春ごろ、アメリカのトランプ政権がイラン核合意から離脱するかどうか検討を進める中、フランスやイギリスなど各国からは離脱に対する懸念の声が上がっていました。

      ムハンマド皇太子はこれと対照的な行動をとりました。4月上旬、フランスでマクロン大統領との首脳会談をおこなった後、珍しく共同記者会見に臨みました。そして合意を守るべきだと訴えるマクロン大統領を横目に、「イランは世界にとって脅威だ」とイラン批判を展開したのです。

      「残念なことに中東に破壊者が存在する。サウジアラビアの隣にあるイランの体制である」。イランをヒトラーが率いたナチスドイツになぞらえた批判を展開し、融和的な政策は、イランを増長させ、最終的に世界大戦を引き起こすおそれがあるとまで警告しました。

      なぜ、サウジアラビアはここまでイランを敵視するのでしょうか。1つには、イランの影響力がこの地域で高まっていることが挙げられます。イランは、シリアで7年にわたり続く内戦でロシアとともにアサド政権の後ろ盾となり、事実上、内戦の勝利者となっています。

      さらにイランとシリアの間にあるイラクでも過激派組織IS=イスラミックステートに対する作戦でイラク軍を軍事支援し、存在感を一層高めました。レバノン、そして内戦が続くイエメンでもイランの影響を受けた勢力が力を強めています。

      ISをめぐる混乱をへて、イランの影響力は、サウジアラビアを取り囲むように広がりました。ムハンマド皇太子がイラン批判を各地で展開するのは、こうした危機感の裏返しなのです。

      ゲームチェンジャー

      日本にとって最大の石油供給国であるサウジアラビア。日本はどう向き合っていけばいいのでしょうか。

      サウジアラビアは安定供給を約束するかわりに、日本政府や日本企業に対し、石油依存からの脱却に向けた協力を期待しています。3000万人という湾岸最大の人口と経済規模は魅力的な市場ですが、政情が不安定化するのではないかといった不安から、企業の間では様子見のところが多いのも実情です。

      ジッダの道路標識

      いま現地では「結局サウジでビジネスするなら、ムハンマド皇太子やその周辺といかにつながるかが鍵」と言われています。

      サウジアラビアは、国名が示すとおり、「サウド家のアラビア」です。

      サウド家という創業者一家が経営する巨大な非上場企業といえば、わかりやすいでしょうか。トップを務める国王にムハンマド皇太子がいずれ就任することになり、その権力は少なくとも数十年続くことになります。

      現地の経済関連のフォーラムに出席すると「ゲームチェンジャー」という単語をよく耳にします。外交であれ、ビジネスであれ、ゲームのルールを変えているのは、ムハンマド皇太子にほかなりません。

      「王国には王国のやり方があり、結局、外の者は順応するしかない」
      とあるベテランのビジネスマンが私に話した言葉です。古い慣習に慎重に配慮しつつ、新しい現実に合わせていく。いま、サウジアラビアに向き合う人々は、王国の過去と未来、両方をにらむ必要がある時期に、身を置いていることになります。
      (ドバイ支局長 吉永智哉)