イスタンブール人情食堂

    アジアとヨーロッパにまたがるトルコのイスタンブール。文明の十字路として、帝国の都として、古くから栄えた国際色豊かな街だ。さまざまな事情で母国を離れ、ここに身を寄せている難民や移民も多い。その数は実に50万人以上。皆、慣れない異国で懸命に生きている。
    そんな難民や移民の間で評判を呼んでいる食堂があると聞き、行ってみた。

    目次

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      看板メニューはラップサンド

      やってきたのは、イスタンブールのヨーロッパ側にあるファティフ区。難民や移民の多い、下町の雰囲気が漂う地区だ。

      評判の食堂はその一角にあったが、とても小さい。その中で、店主がせわしそうに揚げ物をつくっていた。外にはプラスチック製のテーブルが3つ。

      客がうまそうに何かをほおばっている。店の看板メニューのラップサンドだ。

      ひよこ豆のコロッケや野菜などを薄焼きパンで巻いたもの。値段は、1つ5リラ、日本円で100円あまりと財布に優しいファストフードだ。

      この店のはドシッと食べ応えがあり、1つで腹を満たせる。店の前には、男たちが列を作っていた。

      お代は結構!そのわけは

      「もっていきな」
      「もっていきな」

      店主はおもむろに、男たちにラップサンドを手渡し始めた。生活に困っている人からは、代金を取っていないそうだ。

      男たちは小声で「ありがとう」などと礼をいうと、足早に去りつつ、受け取ったラップサンドにかぶりつく。追いかけて、話を聞いてみた。

      1人は内戦が続く隣国シリアからの難民だった。「きょう最初の食事だ。感謝している」とうれしそうだ。

      そして、1年ほど前に、北アフリカのアルジェリアから来たという若者。「仕事がないんだ。このラップサンドに救われてるよ」とおいしそうに平らげると、何食わぬ顔でもう1度、列に並んだのには驚いた。

      ほかの人たちにも話しかけてみると、皆、中東やアフリカからの難民や移民だった。

      店主も難民 内戦で人生が一変

      「彼らの苦労を知っているから」 こう話す、店主のアブ・アラブさん(65)も難民だ。

      かつて、シリアでレストランチェーンを経営。娘の結婚式には有名な歌手を招いて盛大に祝うなど、順風満帆の人生を歩んでいた。

      それを狂わせたのが、2011年に始まった内戦だ。息子2人が政府軍と反政府勢力に別れてしまうなど、家族はバラバラに。レストランを経営できなくなり、アサド政権が資産を没収。すべての財産を失った。

      命からがら7年前にシリアを離れ、レバノンなど各地を転々としたアブ・アラブさん。裕福だったころの友人たちを頼ったが、難民となったことで、扱いは冷淡だったという。落胆し、寝る場所にすら困った当時を振り返って、こう語った。

      「私は本当の空腹というものを経験した。食べるものを買うお金がなく、誰にも頼れなかったとき、本当にきつかった。空腹は苦しく、食べ物を得るためなら犯罪でも何でもしてしまいそうだった」

      かつて自分が経験したつらさを誰にも味わってほしくない。その思いが、アブ・アラブさんが2年前にこの食堂を始めた原点だ。

      寄せられる善意 200食を無料提供

      毎日のラップサンドの無料配布で、食堂は成り立つのか?その答えが、店の看板に書かれていた。

      「余裕のある人は、ほかの客の代金を寄付してほしい」

      店内には、寄付金を入れてもらう小さな箱が置かれている。見ていると、確かにちょこちょこ、寄付をする人がいる。

      話を聞いてみたら、彼らも難民や移民だった。1人は、パレスチナ難民。もう1人は、国が分裂状態となっているリビアからの移民だった。2人とも、慣れない異国で苦労を重ね、ようやく生活が安定してきたとのこと。「誰かが食堂を支えないとね」と、笑顔を見せた。

      こうした善意に支えられ、食堂では今、1日200食のラップサンドを無料で提供している。

      ラップサンドに励まされ

      そのラップサンドに励まされ、希望を取り戻した人もいる。シリア難民のバハーさんだ。憂いを含んだ目でラップサンドを口にする姿が気になり、取材を申し込んだ。

      バハーさんは28歳。シリアの大学院で化学を専攻していたいわばインテリだが、内戦で学業が続けられなくなり、おととしトルコへ逃れてきたという。

      ついて行くと、同じシリア難民の若者たちと共同生活をしていた。修士課程を修了し、専門を生かした仕事に就きたいという夢を諦めきれないバハーさん。

      イスタンブールの大学院で受け入れてもらうチャンスが舞い込んできたが、その条件となったのが、トルコ語の講座の受講。難民という立場で仕事を見つけるのは容易でなく、講座の授業料を払えるあてはなかった。

      日々の食事にも困る中、知ったのがアブ・アラブさんの食堂だった。ラップサンドを食べるうちに、人々のあたたかさに触れ、元気が沸いたという。

      バハーさんは慈善団体に向かった。「将来を切り開きたい」と訴え、授業料の援助を受けられることになった。

      「アブ・アラブさんに出会えて、誇りを持てました。自分も頑張って何とか夢をかなえたい。いつか人のためになることをしたい」

      そう語るバハーさんのひそかな目標。それは、いずれ自分も食堂に寄付する側になることだ。

      広がる“人情”食堂の夢

      ラップサンドがつなぐ善意の輪。アブ・アラブさんの夢は、その輪を広げることだ。目指すのは、生活に困った人たちが好きなものを好きなだけ食べられるビュッフェ形式の無料食堂。

      「ビュッフェ形式だと、店の人に頼まなくてもいいから気持ちが楽になるだろう」とアブ・アラブさんは語る。そのためにも、心をこめてラップサンドをつくり続けることで夢に近づきたいという。

      そして、そのラップサンドに元気づけられる難民や移民の人たち。ある移民の若者は「祖国のお母さんには心配かけたくないから元気でやっているとしか言っていない。僕がこの食堂で無料のラップサンドをもらっていることは記事にしないでね」とはにかんだ。

      欧米では近年、難民や移民に冷たい目が向けられがちだ。ただ、すき好んで祖国を離れたわけではなく、みんな異国の地で懸命に生きているのだ。そんな思いが、ホクホクのラップサンドを味わいながら、こみ上げてきた。

      まさに、おなかも心も満たしてくれる“人情”食堂がそこにあった。(カイロ支局・濱西栄二)