ベイルート大爆発 現地で記者がみたものは

    「もうこの国では暮らせません。移住を考えています」
    何人もの人たちが、私にこう訴えました。8月4日、かつて“中東のパリ”とも呼ばれたレバノンの首都ベイルートの美しい町並みは大規模な爆発によってその姿を一変させました。現地での取材を通じて見えてきたのは、経済危機や新型コロナウイルスの影響によって開いた傷口が爆発でさらに広がり、苦しみ続けるレバノンの人たちの姿でした。

    目次

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      現場に立つ

      爆発から2週間あまりたった8月下旬、私は爆発の現場に立っていました。港湾区域の倉庫街は見渡す限りの廃虚。変形したコンテナや、原形をとどめていないほどに壊れた車、それに倉庫の骨組みだったとみられる鉄の柱が折れ曲がって転がっていました。あたりにはわずかに焦げたようなにおいも漂っていました。現場は立ち入りが制限されていたため、軍から許可を得ての取材でした。

      ベイルートは日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の取材などで何度も足を運んでいました。しかし、町の変わりように私は言葉を失いました。海沿いの建物は、窓ガラスがことごとく割れ、窓枠は大きくゆがんでいました。人の姿はなく、まるでゴーストタウンのようでした。

      待ちわびて

      サラさん

      爆発では192人が亡くなり、6500人以上がけがをしました。そして、今も9人の行方がわかっていません。このうち1人の家族に話を聞くことができました。サラ・タラバさん(35歳)は、あの日、ジョギングに出かけると母親に告げて家を出たまま、行方がわからなくなりました。海沿いを走るのが好きだったことから、家族は、ジョギング中に爆発に巻き込まれたのではないかと考えています。経済危機が始まり、レバノンの失業率は上がり続けていると指摘されています。サラさんも仕事をなかなか見つけられませんでした。同居する家族に金銭的な迷惑はかけられないと、携帯電話も持たず、節約しながら質素な生活をしていました。

      サバハ・アトウェさん サラさんの義理の姉「サラにとって、ジョギングは唯一の“希望”でした。途中で海の近くに降りて、時折現れる虹を眺めるのが好きでした。爆発の時、彼女がどこにいたのかわかりません。携帯電話を持っていれば連絡を取ることができたのではと思うとつらいです」

      母親のハディジャさんは現実を受け入れられず、日々、サラさんの部屋で過ごしています。サラさんがかわいがってきたネコの“ココ”もハディジャさんと一緒に帰りを待ち続けています。

      ハディジャさん サラさんの母「あの日、サラを引き止めればよかったと後悔しています。とても心の優しい娘で、親子というより、姉妹のような関係でした。サラがいなくなって、心が焼けるように痛んでいます」

      支援格差

      ベイルートでの取材中、最も気になった地区があります。爆発現場に近いカランティーナ地区です。隣り合う別の地区では、清掃にあたる大勢のボランティアを見かけたのに、この地区ではほとんどその姿はなく、がれきも、崩れた住宅も放置されていました。話を聞いてみると、爆発から2週間が過ぎても人々は水も電気もないまま、壊れた家の中や路上で寝ていると話します。
      なぜなのか。
      この地区に取り残されていたのは、隣国シリアの内戦を逃れ、頼るあてのない難民たちでした。シリア難民を支援するNGOは、財政難に苦しむレバノン政府は、難民の支援まで手が回らないと指摘します。

      現地NGO“URDA”ジハン・カイシ代表「政府による支援は、レバノン国民にすら届いていません。シリア難民は、弱い立場に置かれています。助けを求められずにいる人たちがまだ多くいるはすです」

      「内戦が終わったら、シリアに帰ろう」

      カランティーナ地区で活動するボランティアの取材中、一人の少女と出会いました。16歳のディマさん。シリア難民です。爆発で困窮するシリアの人たちに食料品などを配っていました。ディマさんは6年前、激戦地だったイドリブから、出稼ぎにきていた父親を頼ってレバノンに逃げ、両親と姉妹あわせて6人で生活していました。しかし、平穏な生活は、爆発によって突然、終わりを迎えました。自宅が崩壊し、母のハルディアさんと姉のラティファさん、妹のジュードさんを失ったのです。

      前列左から母のハルディアさん、妹のジュードさん、姉のラティファさん

      「内戦が終わったら、シリアに帰ろう」。―――家族でよく、こう話していたといいます。
      しかし、その願いがかなうことはありませんでした。悲しみでふさぎ込む日々が1週間続いたあと、ディマさんは、ボランティアに加わることを決めました。背中を押したのは、亡くなった母の言葉でした。
      「困っている人がいたら、手を差し伸べなさい」。
      かけがえのない家族を失った痛みを抱えながら、前を向いて進もうとしています。

      ディマさん「悲しみを完全にぬぐい去ることはできませんが、母の言葉を胸に、少しずつ、暗闇から抜け出したい」

      心の底の本音

      爆発で家族や家、財産を失った人。難民として何度も家を追われた末の平穏な生活を再び失い、支援を受けることもできずに路頭に迷う人。心の傷を負いながらも、自分よりも困っている人に手を差し伸べようとする人。ベイルートでみたのは、爆発が残した大きな傷に、向き合おうとする人たちの姿でした。これだけの被害を引き起こした爆発の原因はいまだ、明らかになっていません。当時の内閣は責任を取って総辞職しましたが、新しい内閣は、1か月半がたつ今も、組閣されていません。異なる宗教や宗派間のバランスを取るために行われてきた派閥政治が、リーダーの不在と、改革の遅れを生み出し、機能不全に陥っています。

      レバノンの人たちからは、政府への諦めの声が出る一方、互いに支え合うことで、何とか難局を乗り切ろうという声も聞かれます。しかし、物価の高騰や預金の引き出し制限で生活は圧迫され続け、改善の兆しは見えません。冒頭にもあったレバノンを出たいという人々の願いは、レバノンで暮らす人たちの、心の底にある本音なのかもしれないと感じました。この国で暮らす人たちの声を受け止め、国を立て直すことができるのか。いまのところ先を見通すことはできません。
      (カイロ支局・柳澤あゆみ)