彩の国 さいたまで“国なき民”と春の訪れを祝う

    映画のヒットなど何かと話題の埼玉ですが、最近では県内の様々な在日外国人のコミュニティーがメディアで取り上げられるようになりました。今回、私が会いに行くのは、「クルド」の人たち。「クルド」という国はないし、どこの出身の人たちか、即答できる人は多くないかも知れませんが、埼玉には大勢のクルドの人々が暮らしています。

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      埼玉で続くクルドの祭り

      私が向かったのはさいたま市の公園で開かれたクルド人のお祭りです。春分の日の3月21日はクルドの新年にあたり、それを祝う祭りは「ネウロズ」と呼ばれています。2600年前に起源を持つという伝統の祭りです。

      日本でも大々的に祝っているという話を耳にしたのは最近の話で、1度、見に行きたいと思っていたのでした。

      会場の公園に着くと、目に飛び込んでくるのは伝統衣装に身を包んだ女性たち。美しい刺しゅうが施された、赤や青、緑などカラフルなものばかりです。スピーカーから大音量で流れるクルドの音楽に合わせて、手をつないで身を揺らします。

      踊りの輪は次第に大きくなり、数時間、休むことなく続きました。本当に埼玉なのか。

      クルドの人たちにとってどんなお祭りなのだろう。会場にいた20歳の女性に話をききました。10歳から日本に住んでいるので、クルド語でなく日本語でやりとりできました。

      「ネウロズは春の訪れを告げる日です。世界各地で年に1度、集まって踊り、クルド人にとって最も大事なイベントです」

      埼玉のネウロズは15年前から始まったそうで、ことしの参加者はこれまでで最も多い1000人ほどにのぼったといいます。どんな人たちが来ているのか、なかには日本人の姿もちらほら。

      この2人の女性は地元の大学に通う学生でした。授業でクルドについて学んでいて、クルドの友達に衣装を借りてことし初めて参加したといいます。

      「埼玉の大学に通うまで、日本にこれだけクルドの人たちがいることは知りませんでした。踊るのは楽しいし、クルドの人たちが日本でも楽しんでいるのを見て、とても意味のあるお祭りだと感じました」

      ケバブとアイラン

      ちなみに祭りは踊るだけではなく、ケバブの屋台も出ていてちょっとしたフェスっぽい感じも出ています。

      屋台の料理はケバブとアイランのみ。ケバブは炭火で焼かれた羊肉とスパイスの香りがハーモニーを織りなす絶品。ボリュームたっぷりですが、いくらでも食べられる。

      アイランはトルコでよく飲まれる、甘くないヨーグルト的なドリンクです。私は飲むヨーグルトと言うよりはお酒がほしくなりますが、クルド人はほぼほぼイスラム教徒なので、お酒はありません。

      大音量で流れるクルドの音楽、目の前で繰り広げられる踊り、ただようケバブの香りで精神はいつしか中東にトリップしていました。ここは埼玉なのに。

      こうしてクルド人は埼玉に集った

      ところで、なぜ埼玉にこれだけのクルド人がいて、ネウロズが開かれるようになったのでしょうか。

      まず「クルド」という国はありません。かつてユダヤ人はイスラエルが建国されるまで「国なき民」と言われていました。クルド人はまさにそれに当たります。

      クルド人はもともと現在のイラン、トルコ、イラク、シリアなどにまたがる山岳地帯に暮らしていました。

      第1次世界大戦のあと、イギリスやフランスが国境線をひいたことで、クルド人はそれぞれの国でマイノリティーとなりました。

      1980年代にはトルコ国内に住む一部のクルド人が独立運動を活発化させ、トルコ政府との間で武力闘争が激化。トルコ政府によるクルド人への「弾圧」が強まりました。

      こうしたなか埼玉県南部の蕨市や川口市などにもクルド人が逃れてきたのは1990年代はじめのこと。国の統計はありませんが、支援団体によると、日本に住んでいるのはほとんどがトルコ出身のクルド人で、およそ2000人のうち、1500人ほどが埼玉県南部に暮らしているということです。

      不安定な立場「特定活動」

      ただ、日本に暮らすクルド人の多くにとって生活は安定しません。多くはトルコなどの出身地では身の危険があるとして難民申請をしていますが、これまで日本でクルド人が難民と認められたことはありません。これは日本とトルコの2国間関係が良好なのが背景にあると指摘されています。

      日本人と結婚したり、就労ビザを得たりできれば、比較的安定した在留資格を持つことも可能ですが、一部に限られています。多くの人は難民申請中の人も対象となる「特定活動」という資格で日本で生活しています。

      会場にいたサグラム・マムトさん(32)もその1人です。トルコで反政府デモに参加していたところ、当局に拘束され、7か月間、刑務所ですごしました。

      マムトさんが来日したのは釈放されてまもない9年前のこと。日本を選んだ理由はビザが必要ないからでした。「特定活動」の資格でクルド人の妻と2人の娘と生活しています。

      「資格は1年ごとに更新が必要で、いつ失うか不安もあります。トルコに帰れば絶対に拘束されてしまうので日本にいるしかありません。日本で難民認定が難しい現実は理解していますが、安心して生活がしたいです」(マムトさん)

      ネウロズを収容施設で迎える人も

      さらに厳しい立場に立たされている人もいます。チョラク・メメットさん(39)は兄がかつてトルコで独立運動に参加し、拘束されていたことから、家族にも危険が及ぶと2004年に日本に逃れてきました。

      日本でクルド人の妻と、3人の子どもたちと暮らすメメットさん。3度にわたる難民申請はいずれも認められず、「特定活動」の資格も失い、自由が制限された「仮放免」という立場になりました。そして去年1月にはその仮放免も更新されず、東京・品川の施設に収容されてしまいました。いわゆる不法滞在による収容です。

      以来、メメットさんは1年あまりにわたって、施設に収容されたまま。家族などは平日であれば面会できますが、それもアクリル板越しです。ネウロズの日、どのような思いで過ごしたのでしょうか。

      同じく日本に逃れている弟のワッカスさんは不安が消えません。「兄がいつまで拘束されるのかわかりません。健康にも不安があるので、早く、解放して日本で自由に暮らせるようになってほしいです」(ワッカスさん)

      自由と独立への願いを込めて

      身の安全を守るため逃れてきた日本。しかし日本の受け入れ体制はあいまいなもので、それゆえにクルドの人々の苦悩は終わりのないものになっています。ワッカスさんは、寂しそうな表情でこうつぶやきました。

      「運命なのかな」

      少数民族として長年、各地でさまざまな差別や迫害を受けてきたクルドの人たちを象徴するような言葉に感じました。

      しかし、ワッカスさんはネウロズには新年の祝いだけでなく、もう1つ大きな意味があると話します。それは自由と独立への願いなのだそうです。

      目の前で踊るクルドの人たちの楽しそうな表情の裏には、苦悩や、自由への渇望があったのかもしれない。遠くで鳴り響くクルドの音楽を聴きながら、埼玉の広大な公園を後にしました。(国際部 太田雄造)