不穏さを増す中東とイスラエル選挙の行方

    3月25日、アメリカ・ホワイトハウス。イスラエルの占領地のひとつを、「領土」と認める書類にサラサラと署名したトランプ大統領は横に立つイスラエルのネタニヤフ首相に、そのペンを渡しました。「これはイスラエルの人々に」

    4月に選挙を控え、窮地に立たされているネタニヤフ首相にとってはこの上ないタイミングでのプレゼントだったに違いありません。

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      “ミスター・セキュリティー”

      イスラエル人の国民性を表す言葉に「フツパ」があります。大胆さ、勇敢さ、図々しさ、厚かましさなどの気質を指し、良い意味でも悪い意味でも使われます。

      それを体現するのがネタニヤフ首相です。オバマ政権時代にはアメリカがイランの核合意に向かう流れを食い止めたいと、アメリカ議会に乗り込み、オバマ大統領を真っ向から批判しました。国連総会では、イスラエルが脅威にさらされているのにも関わらず、国際社会は口を閉ざしていると主張し、およそ40秒間、壇上から無言で会場を睨みつけました。

      決してぶれない、とりわけ安全保障で妥協しないネタニヤフ首相はイスラエル国内からは“ミスター・セキュリティー(安全保障)”と評価され、大胆不敵な態度や抜きんでた存在感から“キング・ビビ”と呼ばれてきました(“ビビ”はネタニヤフ首相の愛称)。

      そのネタニヤフ首相を待ち受けるのが4月に行われる議会選挙です。

      イスラエルの選挙の構図

      イスラエルは議院内閣制で議席数は120です。選挙制度は全国比例で、多数の政党が乱立し、複数の政党による連立政権が続いています。

      現在は、第1党であるネタニヤフ首相の右派政党リクードが中心となり、極右政党や宗教政党と連立政権を組んでいます。

      これに対し、ことし1月末に中道路線の新党が立ち上がり、ほかの野党と統一会派「青と白」を結成。第1党の座をめぐり「リクード」と「青と白」の接戦となっています。

      反旗を翻した3人の元指揮官

      ネタニヤフ首相はなぜ苦戦しているのか。きっかけはイスラエル軍のトップを経験した3人が「打倒ネタニヤフ」で団結したことでした。

      そのうちの1人、ベニー・ガンツ氏が2月に中道会派「青と白」を旗揚げすると、有権者の支持は急速に広がりました。背景には、紛争と隣り合わせで男女徴兵の国イスラエルならではの事情があります。

      イスラエルでは建国以来、軍は他のどのような組織よりも尊敬され、親しみを持たれてきました。その軍を率いた経験は、安全保障政策への信頼感だけでなく、戦争の痛みや命の重みをよく知り、紛争の解決に取り組んでくれるのではという政治姿勢への期待感にもつながっています。

      かつてパレスチナとの和平に積極的に取り組み、ノーベル平和賞が贈られた故ラビン首相やバラク元首相も参謀総長でした。

      ガンツ氏もまた、パレスチナ側との対話を打ち出し、再開に前向きな姿勢を示しています。「首相になったらパレスチナとの和平を目指し、中東を変革するチャンスを逃さない」(ガンツ氏演説)

      ネタニヤフ首相と軍の軋轢

      なぜエリート軍人たちは、ネタニヤフ首相に反旗を翻したのでしょうか。実はネタニヤフ首相とイスラエル軍の間では、時折、不協和音が聞こえていました。

      2016年、イスラエル兵が銃撃を受けて動けなくなったパレスチナ人の頭に発砲し、殺害した事件ではそれが表面化しました。

      軍は不必要な発砲だったとして、兵士を軍紀違反に問いました。これに対してネタニヤフ首相は兵士に同情的な右派の世論に同調して兵士を擁護し、軍紀を重んじる軍と対立したのです。

      これだけではありません。過去にはネタニヤフ首相がイランへの直接攻撃を主張したのに対し、軍が政治交渉による解決を目指すべきだと進言し、対立が露見したこともあります。

      ネタニヤフ首相は岩盤支持層である右派の世論と常に歩調を合わせてきました。パレスチナとの和平交渉に積極的な姿勢を見せたことはありません。もともと、パレスチナに対する強硬姿勢を売り物にしてのし上がってきた政治家だからです。

      生命線は右派票にあり

      選挙戦は熱を帯びています。日本でもイスラエルでも、政治家が練り歩くのは市場や商店街です。西エルサレムの「マハネ・イェフダ市場」で行われていた「リクード」の選挙運動を見に行きました。

      ネタニヤフ首相の陣営の戦略は、相手陣営が「左派」で「弱い」というネガティブイメージを作り出すことです。最近行われた調査では、みずからを「右派」あるいは「中道右派」だと考える有権者だけで50%を超えました。

      「右派のネタニヤフは強い。左派のガンツは弱い。」リクードの幹部議員は、ガンツ氏が首相になれば、パレスチナを勢いづかせて治安が悪化すると危機感を訴えて回っていました。市場の人たちは手を振ったり、握手をしたりして応じます。

      「激しい接戦となっている。右派の支持者が投票所に足を運んでくれなければ負けるかもしれない」(幹部議員)

      ネタニヤフ首相は、新たな極右政党とも連立を組む方針を表明し、右へ右へと手を伸ばしています。より過激な一部のユダヤ人入植者でさえも支持層に取り込みたい考えです。

      トランプ大統領の“プレゼント”

      さらにネタニヤフ首相の選挙応援に乗り出したのが、アメリカのトランプ大統領でした。ゴラン高原について、イスラエルの主権を認めたのです。

      国際社会はゴラン高原を「イスラエルの不法な占領下にあるシリアの領土」だとみなしていて、アメリカも加わった国連の安保理決議はイスラエル軍の撤退を求めています。トランプ大統領は国際的な合意を無視し、アメリカの歴代政権が踏襲してきた重要な中東政策をまたもやひっくり返したのです。

      共同会見でネタニヤフ首相は「トランプ大統領は、イスラエルにとって最良の友人だ。これは私とドナルドの政権だからこそなし得たのだ」とトランプ大統領との盟友ぶりをアピールしました。

      エルサレムの首都認定、イランとの核合意破棄に次ぐ、トランプ大統領からの“プレゼント”。

      ネタニヤフ首相がトランプ大統領から渡されたペンをめずらしく落ち着きのない様子で、何度も持ち替えていたのが印象的でした。

      きな臭さを増す中東情勢

      折しも、パレスチナ暫定自治区のガザ地区ではネタニヤフ首相とトランプ大統領が握手をしていたちょうどその頃、イスラエル軍による空爆が開始されました。ガザ地区から発射されたロケット弾がイスラエル中部の住宅に着弾し、けが人が出たことへの報復です。

      ネタニヤフ首相はトランプ大統領と会談後、予定を切り上げて帰国することに。ガザ地区に対する軍事作戦の指揮を執るとしています。

      パレスチナの武装勢力に断固とした態度を取らなければ、ネタニヤフ首相は「弱腰だ」という批判にさらされます。一方で、交戦状態が長引き、国内の被害がさらに拡大しても批判が高まることは必至。ネタニヤフ首相は極めて難しい状況に立たされることになりました。

      事態が急速に動く中東情勢。今後、大規模な流血の事態に発展する可能性は全く否定できません。ただ確かなのは、その中心に追いつめられたネタニヤフ首相と、後ろ盾のトランプ大統領がいるということです。(エルサレム支局 澤畑剛)