「イラン脅威論」と核合意離脱後のリスク

2018年5月8日という日付は、後世の歴史書にどのように位置づけられるのでしょうか。アメリカによるイラン核合意からの離脱の発表は、トランプ大統領にとって既定路線だったとは言え、世界に衝撃を与えました。

発表の際トランプ大統領が強調したのは、核開発だけでなく中東でイランの影響力が拡大することへの危機感でした。イランは弾道ミサイル開発を続け、さらには世界各国のテロ・武装組織とつながっていると主張したのです。アメリカやイスラエルが主張する「イラン脅威論」の実態はどこにあるのか。イランから見える中東の姿、そしてアメリカによる核合意離脱後の展望を探ります。

目次

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    「殉教者」の葬儀

    過激派組織ISとの戦いで、シリアのアサド政権やイラク両政府を軍事支援するイラン。その活動の実態に迫れないかと、私は関係者から招待状を入手し、首都テヘランで行われた、ある「葬儀」に向かいました。

     薄暗い会場の奥からステージに運ばれてくるひつぎ。それを取り囲むように人垣ができ、軍服を着た男性たちが手を伸ばして最後の別れを伝える。会場を埋めた遺族や、軍の関係者らおよそ300人は、嗚えつしながら戦死者の名前を連呼する――

    戦死したのはシリアに派遣され、去年8月にISに殺害された、イランの精鋭部隊・革命防衛隊の幹部です。

    当時、ISが幹部を捕らえたときの様子をインターネットに投稿したことから多くの国民の関心を集め、国や宗教を守るため戦った「殉教者」として、ニュースで連日、大きく取り上げられていました。

    葬儀では戦死した幹部の上官が登壇し、部隊はISの支配下にあったシリア東部のデリゾール県に拠点施設を設ける任務を担っていたと明らかにしました。ISが爆弾を積んだドローンを飛ばしたことから、作業は難航したということで、ふだん表には出ない、生々しい話も聞くことができました。

    パキスタンから来た男

    葬儀は3時間にも及びました。そのなかで私の目を引いたのが、会場の最前列で遺影を手にして座った、精かんな顔つきの若者たちの姿でした。

    イラン人と少し風貌が違っているな--そう思っていたら出席者の1人が、若者たちはいずれも隣国パキスタンのシーア派住民で、戦死した幹部のもとで戦っていたと教えてくれました。イランの戦力として戦場に派遣されていた外国人兵士だったのです。

    葬儀の最後には、このうちの1人が登壇しました。最高指導者ハメネイ師に忠誠を誓い、イランのもとで戦えたことに感謝の言葉も述べました。

    イラン革命防衛隊のもとで戦う「外国人部隊」。パキスタンのほか、やはりシーア派住民の多いアフガニスタンからも大勢参加していたことがわかってきています。シーア派大国のイランは国境を越え、同じ宗派の住民をリクルートし、民兵としてイラクやシリアに送り込んでいるのです。

    「シーア派大国」の地政学

    イスラム教シーア派のイランは、中東の地域大国として常に存在感を示してきました。1979年に世界でも例をみないイスラム革命を起こし、宗教に基づいた政治体制を樹立。同じイスラム体制を周辺国にも広げる「革命の輸出」を提唱し、サウジアラビアなどの王族国家は、革命が波及することを脅威として恐れるようになります。さらに反米国家に転じたことで、アメリカやその同盟国イスラエルとも激しく対立してきました。

    テヘラン 旧アメリカ大使館

    その対立の最前線に立ってきたのが、最高指導者直轄の精鋭部隊・革命防衛隊です。周辺国では工作活動を担い、外国武装組織の支援や、シーア派民兵の動員などを行ってきました。その役割は文字どおり、革命後のイスラム体制を守ることですが、周辺国は、その存在を脅威として捉えてきました。

    一方で、イランの政治家たちの話を聞いていると、イランこそが脅威にさらされていると危機意識も持っているようです。

    シーア派は中東全体では少数で、ライバル関係にあるスンニ派の盟主サウジアラビアなどとペルシャ湾をにらんで対じしています。またイランの周辺国には、アメリカ軍が基地を構え、イラン包囲網を敷いてきました。イランとしては、生き残りをはかるためにも、親イラン組織を各地につくり、影響力を広げておきたいということなのでしょう。

    「シーア派三日月地帯」と「抵抗の枢軸」

    イランが中東に影響力を及ぼす上で特に重要となってきたのが、シーア派住民が一定程度暮らす、イラク-シリア-レバノンの「シーア派三日月地帯」です。対立するイスラエルや、サウジアラビアと接する地域でもあります。

    そのシリアでは、イランは攻めに転じている兆しがあります。最高指導者ハメネイ師は3月、ペルシャ歴の年頭あいさつで「脅威はイランに打撃を与えるどころか、絶好の機会に変わった」と述べました。シリアでISという脅威を取り除いた結果、イスラエルをけん制する前線基地を手に入れたと自信をみせているようです。

    指導部がシリアについて語るとき、「抵抗の枢軸」という表現を使うこともここ数年増えました。敵対関係にあるイスラエルと対じするため、イランは、レバノンのヒズボラや、ガザのハマスなどを支援してきてきましたが、今、さらにシリアでの軍事拠点化を進めているとされています。

    一部メディアによると、ISとの組織的な戦闘が終わった今も、シリアには革命防衛隊が2000人、外国人民兵は2万人程度駐留し、イラン主体の軍施設も複数あるとされています。

    シリアに展開してきた革命防衛隊は、ISの掃討作戦をおおむね終結させ、次は、敵対するイスラエルをにらんでいるようです。

    これに対してイスラエルは警戒を強め、イランの部隊が駐留するとされる軍事拠点の空爆を繰り返しています。アメリカが核合意から離脱した直後には、シリアに展開するイランの部隊から、イスラエルに対してロケット弾が撃ち込まれたとされています。これにイスラエルも応戦してシリア側で20人以上の死者が出ました。

    今、シリアを舞台に、イランとイスラエルとの緊張が一気に高まっているのです。

    ガザやレバノンではなく

    一方で、こうしたイランの積極的な周辺国への展開に、ブレーキをかけるような事態が国内で起きています。去年の年末から1月にかけて、イラン全土に反政府デモが広がったのです。

    経済への不満を発端に、政府を批判するさまざまなスローガンが飛び交い、その1つには「ガザやレバノンではなく、イラン人の生活を」と、イランの外国での武装組織支援を非難し、予算を自分たちのために使うべきだという主張もありました。

    イランは今、若者の失業率が30%近くにおよび、経済の立て直しが喫緊の課題となっています。革命防衛隊が遠方に展開することが幅広く国民の支持を得ているわけではありません。

    反政府デモの参加者からは「政府は国の予算を誤った形で使っている」という声が多く聞かれました。

    高まる衝突のリスク 展望は

    アメリカのトランプ大統領はイランの厳しい経済状況や国民の不満を見透かすように、揺さぶりをかけ続けています。

    アメリカ外交の信用を傷つけてでも、核合意からの離脱を選択した背景には、イスラエルやサウジアラビアとの関係を重視したことに加えて、トランプ政権自身が敵対するイランに極限まで圧力をかけ続けるという方針が現れています。

    これにより苦しい立場に追い込まれるのは、欧米との対話を重視し、核合意を推進してきた穏健派のロウハニ大統領です。国の予算を経済の立て直しに利用するため、革命防衛隊の海外展開には慎重な立場とされてきました。

    一方で、勢いづくのは革命防衛隊を中心とした、保守強硬派です。すでに、イランは核合意から離脱して核開発を推進すべきだという主張を繰り返しています。保守強硬派が発言力を増せば、イランの影響力をさらに拡大しようとする力が強まり、イスラエルとの直接対決に発展するおそれもあります。

    イランの影響力拡大に対して、それを脅威ととらえるアメリカやイスラエルが激しく反応し、両者の対応がエスカレートしています。アメリカの離脱で核合意の枠組みが不透明になる中、イランの穏健な勢力は国際社会と緊張緩和に向けた努力を続けることができるのか。その忍耐力こそが問われることになりそうです。
    (テヘラン支局長 藪英季)