“監獄”から来た画家たち

    世界最大の監獄とも呼ばれる中東パレスチナのガザ地区。イスラエルによる経済封鎖で人とモノの移動が厳しく制限される中、3人の画家があらゆる手を尽くして日本への訪問を実現させ、20日間にわたり各地で講演会や展示会に臨みました。彼らが作品に込めた思いとは。

    目次

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      いくつもの検問所を越えて

      49時間・40か所。この数字は3人が住むガザ地区から空港がある隣国エジプトの首都カイロまでの道のりにかかった時間と検問所の数です。

      ガザ地区からカイロまではおよそ360キロ。日本で言うと東京から名古屋までの距離とほぼ同じです。移動はタクシー。なのに、なぜこれだけの時間がかかったのでしょうか。

      パレスチナ暫定自治区のガザ地区は広さが東京23区の6割程度の面積で、およそ190万人が暮らしています。実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエルとの間でたびたび大規模な衝突が起きていて、2014年には、女性や子どもを含むおよそ2300人が死亡しています。イスラエルによる経済封鎖が10年以上にわたって続いていて、人やモノの移動も厳しく制限されています。

      そうしたガザ地区で画家として活動するムハンマド・ハワジリさんら3人。日本への旅路はガザ地区を出るところから始まります。

      普通の国なら、空港や国境での出国手続きは長くても数十分ほどですが、ガザ地区では事情が違います。かかった時間は35時間。隣国エジプトへの入国がなかなか許可されなかったからです。イスラム過激派を警戒するエジプトは国境管理を厳しくしているのです。

      3人はエジプトとガザの境界にある待合所で入国審査のため延々と待たされ、ベンチしかない粗末な部屋の床で一夜を明かしました。厳重なセキュリティーチェックを経てエジプト側への入国が許可されたのは、まる1日以上が経った翌日の夕方になってからでした。

      立ちはだかる危険地帯

      エジプト入国後も険しい道のりが続きます。空港がある首都カイロに行くには、過激派組織IS・イスラミックステートの勢力がはびこるシナイ半島を横断しないといけません。

      移動手段はタクシーだけ。過激派が出没するため、エジプト軍は監視の目を光らせていて、設置されている検問所は40か所にのぼります。数キロおきの検問のたびに車から降りて、荷物を開けて中身をひとつひとつ取り出さなければなりません。

      また、軍はテロの標的にもなるため、検問所で過ごす時間は危険な時間でもあります。その上、夜間の移動もできず、路上で一夜を過ごしました。タクシーがライトをつければテロ攻撃の格好の標的になるからです。3人の画家の1人、ラーエド・イサさんは「戦地をタクシーで横切るようなもので、気が気ではなかった」と話していました。

      下りないビザ

      移動に加えて、彼らを苦しめたのが日本に入国するためのビザ取得です。

      日本の画家などの助けを借りてビザの申請手続きを始めたのは4か月前。申請先はガザ地区と隣接するイスラエル国内にある日本大使館です。

      しかし、封鎖されているガザ地区から出られない3人は、大使館に直接出向くことができません。仲介業者を頼りますが、大使館から口座の残高証明など文書を追加で求められるたびに業者経由で手続きを進めなくてはならないのです。業者が不慣れだったためか、パスポートがおよそ1か月にわたって行方不明になる事態にも見舞われました。

      3か月にわたる努力もむなしく、ビザの発給は渡航予定日に間に合わず、当初の予定より1か月遅れました。日本で予定されていた3つの展覧会は主役不在で開催され、講演会などのスケジュールは変更を余儀なくされました。

      抑えきれない涙

      さまざまな苦難を乗り越えて、3人が成田空港に到着したときの写真です。ソヘイル・サーレムさんはアラブ伝統のスカーフ、クフィーヤで抑えきれなかった涙をぬぐっていました。

      「来日は不可能だと思っていた。夢のようだ」

      ハワジリさんは、こう話しました。「不可能」で「夢のようだ」とは大げさに聞こえるかもしれません。ただ、封鎖されているガザ地区から日本にたどり着くのは、それだけ難しかったのだと思います。

      それでも来日したわけは?

      そこまでして3人が日本を訪れた目的は何だったのか。ラーエドさんは横浜市で開かれた講演会でこう語りました。

      「戦争や破壊だけでないガザ地区の日常をアートを通じて伝えたい」

      圧倒的な軍事力でガザ地区を抑え込むイスラエルに対して、アートは抵抗の手段でもあると言うのです。

      それでは、作品にはどのような思いが込められているのでしょうか。

      今回、日本で展示された作品の1つです。包帯が巻かれた足。イスラエル軍による空爆や発砲で死者やけが人が絶えないガザ地区の惨状を象徴していますが、実はもうひとつの現実も投影されています。

      イスラエルとガザ地区を隔てる分離壁です。封鎖の象徴にもなっています。包帯が巻かれた足を、この分離壁にも見立てて、封鎖への抗議の意味を持たせているのです。

      展示できなかった作品も

      日本では、およそ40点の作品が展示されましたが、実は彼らが持ち込めなかった作品があります。大きさが縦横1メートルを超える作品や政治色が強い作品は出品を見送ったのです。イスラエルがガザ地区からの持ち出しを認めない可能性があるためです。そうした作品のいくつかを紹介します。

      水分の少ない乾いた土地でも力強く生きるサボテン。自分たちの姿と重ね合わせるとともに、とげだらけのサンダルは履くことができず、封鎖でどこにも行くことができないガザ地区の現状になぞらえています。

      これは、ピカソの代表作品である「ゲルニカ」を取り入れた合成写真です。スペイン内戦を描いた「ゲルニカ」の世界には電気が通っていても、ガザ地区では停電に悩まされている皮肉を表現しています。

      投石をしてイスラエルの占領に抵抗する人々を描いた作品。催涙ガスに効果があるといわれるネギをマスクに挟んでデモに参加し、一躍有名になった少年の姿を描きました。「石は投げるのではなく、表現するものだ」との思いです。作品を作ったラーエドさんによりますと、この作品も「武器になりうる」としてガザ地区からの持ち出しが認められないおそれがあるということです。

      “監獄”からのメッセージ

      東京や京都など各地で開かれた講演会には3人の来日を聞きつけた人たちが大勢集まりました。訪れた人からは、作品が伝えたかったことにとどまらず、ガザ地区での暮らしぶりや、政治と芸術の関わりなど様々な質問が寄せられ、関心の高さをうかがわせました。

      アートを通してガザの現状を知ってもらいたい。強い思いを持ち続け、危険を冒して日本へとやってきた3人が投げかけたメッセージが少しでも届き、パレスチナの問題と向き合うきっかけになればと感じました。(国際部 佐野圭崇)