7年のシリア内戦を経た首都ダマスカスはいま

    今世紀最悪の人道危機と言われるシリアの内戦。泥沼とも形容されてきましたが、ロシアやイランの支援を受けるアサド政権が圧倒的な優位を固め、いま大きな節目を迎えています。7年の内戦を経たアサド政権の牙城、ダマスカスはいま。そしてシリアの未来は。

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      安心感広がる首都ダマスカス

      9月上旬、筆者にとっては、1年3か月ぶりのダマスカス。レバノンの首都ベイルートから陸路で向かい、事前に申請したシリアのビザを国境の検問所で受け取って入国しました。国境からダマスカスまではおよそ40キロの道のりです。道路の状態はよく、高速道路のようにスムーズですが、検問所が4か所あり厳重な警戒が続いているようでした。

      ダマスカスの周辺部には破壊された建物など内戦の爪あとが残っていますが、中心部は都会の賑わいが戻っています。首都の周辺にいた反政府勢力がすべて排除されたのは、今年初めのこと。まれにあった迫撃砲などの攻撃もなくなりました。

      市民からは「危機的な状況は解消された」とか「投資家や企業も戻ってくるでしょう」と楽観的な声が聞かれます。ダマスカスにとどまった人たちは政権の支持者が多く、仮に思っていたとしてもアサド政権に批判的なことは口にできません。まして私たちの取材には情報省の職員が同行していて、市民との会話も全て聞いています。
      そのような条件を考慮しても、ダマスカスが「普通の状態」に戻ろうとしていることへの人々の期待は切実なものがあると感じました。

      伝統の国際見本市

      「ダマスカス国際見本市」。1954年から毎年、開かれている伝統の国際見本市が今回の取材の主な目的でした。

      首都の安定ぶりを印象づけ、内戦で疲弊した経済の活性化を図りたいアサド政権。内戦が終わりに近づいている現実を国際社会にアピールする絶好の機会ととらえていたようです。取材ビザの取得には、これまで申請から2か月、長くて3か月かかりましたが、今回は「国際見本市の取材」と申請した結果、1か月で発給されました。

      見本市は内戦で5年間の中断を経て、戦況が政権に有利になった去年に再開。この時には反政府勢力の砲弾が会場の入り口付近を直撃し、死傷者が出ています。ことしは、政権側が首都周辺の反政府勢力と過激派を排除し、安全を確保した上での開催となりました。

      ロシア、イラン、北朝鮮も

      参加したシリアの地元企業は130社。ブースを回ると、家電メーカー、食品関連、さらにアパレルメーカーも多く見られました。一方、海外からの出展はアジアや中東などから50近い国の企業や大使館。目立つのはアサド政権の友好国です。

      特にスペースが広く、存在感が際立っていたのは内戦で政権側を支えた国々でした。ロシアは産業貿易省が大きなブースを構えていたほか、復興需要を見込んで重機のメーカーなども出展していました。

      自動車や特産品のじゅうたんなどが並んでいたのはイランのブース。軍事的に深いつながりがある北朝鮮のブースもありましたが、私たちの取材にはノーコメントでした。

      ロシア市場への期待

      見本市にあわせて開かれたシリアとロシアのビジネスフォーラムにも双方の国から100社余りが参加。

      このうちシリアの衣料品メーカーの経営者は、反政府勢力が支配した東グータ地区に工場を構えていたため、操業ができなくなったといいます。それがこの春、政権側が縫製工場があった地域を制圧したことで、近く工場を再開できる見通しがつきました。

      「ロシアの市場はとても大きく、そこで商品を売ることができる」と新たな市場として期待を寄せているようでした。

      なぜアサド政権は勝利に近づいているのか

      これだけの犠牲を出して、なぜ結局、7年前と同じ体制が続くことになってしまうのか。反政府側の人たちからは、幾度となくやり切れない思いを聞きました。それでも、この現実に至った大きな理由の1つは、反政府側にアサド政権に代わる責任ある統治体制を作る力がなかったことではないかと考えます。

      内戦の序盤は勢いがあった反政府勢力ですが、結局、一枚岩になれませんでした。イスラム組織が勢力を伸ばすなど、アサド政権を倒した後、目指す国家の形が各組織によって大きく異なっていました。

      当初、反政府勢力側を支援した欧米諸国は大々的に武器などを供与できず、腰が引けてしまいました。武器が、過激なイスラム組織にわたってしまわないか恐れたからです。それを横目にロシアが介入し、形勢は逆転しました。

      当時のアメリカのオバマ政権は、アフガニスタンとイラクでの戦争を終わらせることを公約に掲げて登場した政権です。独裁政権を倒せたとしても、その後に安定した国家体制を築ける見通しがたたなければ、シリアの内戦に深入りできる状況ではありませんでした。

      アサド政権を認められるのか

      さらにシリア国内で混迷が深まる中、過激派組織IS=イスラミックステートが台頭しました。ISはアサド政権も、反政府勢力も、そして国際社会も敵視し、シリアでの優先課題を大きく変えました。欧米にテロが拡散したことでIS対策が優先課題になったのです。

      国内が混乱を極め、いわゆる「失敗国家」になると、過激派が権力の空白をつき勢力を伸ばしてしまう。それを国際社会が改めて目の当たりにしたことも、アサド政権には追い風となりました。

      内戦ではこれまでに36万人以上が犠牲になり、国民の半数が住む家を追われました。残るイドリブをめぐる情勢も、ロシアとトルコの合意で当面の間は総攻撃が回避されましたが、その「当面」がどれくらいなのかはわかりません。

      民主化運動を弾圧し、自国民に多大な犠牲を出したアサド政権を、欧米諸国や日本はシリアの正統な政権として認められるのでしょうか。一方で、アサド政権が復興を進めようにも、ロシアやイランといった友好国の力だけでは、限定的なものにとどまるでしょう。

      国外に逃れた人々の失望

      ダマスカスから約1000キロ離れたトルコのイスタンブール。アサド政権の退陣を求め、この地に逃れたシリア人の間では失望感が広がっています。

      実業家のムハンマド・ビタールさん(52)は、7年前にシリアを脱出。ゼロから事業を立ち上げ、現在イスタンブールなどでシリア料理の店やパン屋など合わせて11店舗を経営しています。雇用している300人余りの多くが同じくシリアを逃れた人々です。

      シリアにいたときは、セラミックの製造工場などを経営し、ダマスカスの国際見本市にも参加していたビタールさん。「アサド政権は、大量破壊兵器や化学兵器の見本市を開くべきだ」--アサド政権のもとで国際見本市が再開したことを苦々しい思いで見つめていました。

      「あの支配者がいなくならないかぎり、商人も労働者もシリアには戻らない」と話すビタールさんは民主化を求め、国外に逃れた数百万人のシリア人の1人です。深刻な分断が解消されるのはいつになるのでしょうか。

      内戦の勝敗は決しつつありますが、海外に逃れた難民や国内避難民にとっては苦難が続いています。いまこそ、国連の安全保障理事会の決議に沿った新しい憲法の制定などを通じ-もちろんそれ自体さまざまな困難や課題を伴いますが-政治的な解決を進めることが、シリアの国民1人1人にとって何より必要なことだと思います。(カイロ支局 渡辺常唱)