ISの子どもたち

    イスラム国家を標ぼうし、世界を震撼させた過激派組織IS=イスラミックステート。去年、ISの拠点は陥落し、イラクやシリアの支配地域の大半も失われました。

    しかしISは本当にこれで終わったのか。取材をするなかでその疑問がくすぶり続けていました。特に、私の心に残っていたのが、数々のISのプロパガンダ映像に登場していた「ISの子どもたち」です。

    目次

    ※クリックすると各見出しに移動します

      ISが育てた少年兵

      少年兵時代のサイード君

      「無理やりにでも言われたことはすべてやらないといけませんでした。ISに入って生活はすっかり変わってしまいました」。

      まだ幼い顔だちの少年。目の前で語る体験の重さとのギャップに、思わずインタビューをする言葉が詰まりました。ISの少年兵だったサイード君(仮名、17歳)と出会ったのは、イラク北部の町ドホークでした。サイード君は、2014年8月にISに拉致され、ことし3月に逃げ出すまで3年半にわたって、ISの下で過ごしました。

      その一方で訓練から離れると上下関係はなく、自分たち少年兵にも同じ仲間として優しく接してくれたと言います。「今でもISの戦闘員のことを私の中ではリーダーだと思っていて、尊敬しています」と話すサイード君。ISは少年たちを支配下に置くためアメとムチを巧みに織り交ぜていました。

      ISのプロパガンダ映像より

      戦闘員として教育されたサイード君は、やがて戦場の最前線に立つようになります。ISのプロパガンダ映像のなかで、サイード君は戦場で機関銃を発射しています。これについて「戦場に立つうちに恐怖心は無くなっていました。1週間休むことなく銃撃戦を続けたこともありました」と打ち明けました。

      今回の取材で、私はサイード君と1週間にわたって、話をする機会がありました。終始、淡々とインタビューに応じてくれましたが、感情をあらわにする場面もありました。私が「ISでの戦いを思い出しますか?」と聞くと、突然、涙をこぼしたのです。ある戦闘で、友人だった少年兵が死亡した経験が、心の傷として残っているということでした。ISから逃げだし、日常生活に戻った後、悲しみが襲ってくるようになった―――サイード君は今も戦場の苦しみを引きずり、どうやって生きていけばよいのか悩み続けていました。

      「夢は何ですか?」最後に聞くと、短くこう答えました。「苦しみを忘れたい。とにかくイラクを離れたいだけです」

      ISは終わった話ではないんです

      子どもたちを受け入れる家族も大きな試練に直面していました。サイード君には18歳の兄がいます。同じくISに拉致され、少年兵として戦地に立たされていました。その兄が、ISから逃げてきて4年ぶりに家族のもとに戻ることになり、私たちは、喜びの声を聞こうと家にかけつけました。

      しかし、解放された兄は終始うつむき加減で、ほとんど笑顔は見られませんでした。2日後、少し落ち着きを取り戻したように見えた兄に、ISについてどう思っているか聞くと、返ってきたのは意外な答えでした。「ISから逃れてきたのは、生活が苦しく大変だったからです。ISに4年間教わった考えは変わりません」

      サイード君の父親

      サイード君の両親は息子2人がようやく帰ってきてくれたことを喜んでいましたが、子どもたちの大きな変化を目のあたりにして途方に暮れていました。

      「ISから戻ってきて後悔していると言うのです。人の話を聞こうとせず、突然、兄弟に暴力を振るったりもします。昔はあんなにやさしかったのに、私が育てた息子とはまるで別人です」(母親)

      「殺人やテロの中で育ったので、変わってしまいました。まだ、ISにいるように感じます。影響は今後もずっと残るのでしょう。私たち家族にとってISは終わった話ではないんです」(父親)

      死をも恐れない戦闘員

      なぜ、ISは子どもたちを戦闘員に仕立てたのでしょうか。2014年6月、ISはシリアとイラクの広い範囲を支配下におさめ、「イスラム国家」の樹立を一方的に宣言。さらに、ISの過激な思想に影響を受けたものたちは、ヨーロッパなどで大規模なテロを繰り返し、世界中が恐怖に陥りました。

      ISのプロパガンダ映像より

      「国家」を作る過程で最も重視したのは子どもたちへの教育でした。「ジハード=聖戦に参加すれば天国に行ける」などと思想教育をほどこし、さまざまなトレーニングを受けさせて洗脳しました。子どもは純粋で洗脳しやすく、従順に指示を実行する「死をも恐れない戦闘員」として重宝し、戦場の最前線に送ったのです。その数は少なくとも3000人にのぼるとみられています。

      しかしアメリカを主体とした有志連合軍などが攻勢を強め、ISは次第に劣勢になり、去年、ISはイラクのモスルとシリアのラッカという2大拠点を相次いで失いました。ISが壊滅寸前となった今、ISのもとを離れた子どもたちが次々と社会に戻ってきているのです。

      少年刑務所が少年兵の更生施設に

      更生施設

      ISから戻ってきた子どもたちを社会はどう受け入れようとしているのか。今回、元少年兵の社会復帰を促す更生施設の取材が特別に許可されました。イラク北部にあるこの施設は、もともと少年刑務所でしたが、ISの登場後、あふれる元少年兵のために役割を変えました。中に入ると、驚くほどの数の元少年兵たちがいました。その数は、定員の3倍近い360人。集団生活をしながら、将来の社会復帰を目指し、理容師や配管工などの職業訓練を受けています。さらに週に1度、イスラム教の指導者が訪れ、正しいイスラムの教えとは何かを説くことで過激な思想を取り除こうとしています。

      施設の所長は一定の手応えを感じていましたが、不安も口にしていました。「社会復帰にむけてできることはすべてやります。しかし、異常な環境下に置かれた彼らをどのように社会復帰させるのか、私たちも経験がないので、みんな苦労しています。長い時間がかかると思います」

      ナイフで人を殺しました

      子どもたちの心理ケアの現場にも立ち会うことができました。イラクの施設で、心理療法士が元少年兵とカウンセリングを行っていたのです。カウンセリングを受けていたのは、14歳の元少年兵。あどけない表情に小さな体で、実際の年齢よりもさらに幼く見えます。しかし、そのやりとりはあまりにショッキングなものでした。

      カウンセリングを受ける少年

      ―ISに強制されたことはありますか?

      「人を殺しました」

      ―どうやって殺しましたか?

      「銃で殺しました」

      ―どこを撃ったのですか?

      「頭でした」

      ―ほかにも人を殺したことがありますか?

      「ナイフで人を殺しました」

      ―そのときあなたは何を感じましたか?

      「特に何も感じなかったです。ISと同じ感覚だったんです」

      心理療法士は、こうしたカウンセリングを通じて過酷な経験を1人で背負いこまず、まずは吐き出すことが重要だと話します。この少年は4年前にISに拉致され、戦闘員として凄惨な体験をし、帰ってきてからは眠れない日が続きました。半年ほど前から月に1度カウンセリングに通い、症状は少しずつ落ちついてきているといいます。今では、心理療法士に対して「なぜあの人を殺さなければならなかったのか考えています」と話すなど、少しずつ自らの行為に向き合い始めているということです。

      心理療法士は「ISの影響を強く受けていて、大人になったときにどうなるのかは全くわからない。これからも注意深くケアしないといけません」と話し、心理ケアには継続的な支援が欠かせないと訴えていました。

      550万人の人口に心理療法士30人

      この少年のように専門家によるケアを受けられるのはごく一部です。長年、戦争や紛争が続いたイラクでは、まだISの混乱から立ち直ろうとしている段階です。多くの避難民が暮らすイラク北部は、550万人の人口に対し、心理療法士はわずか30人しかいません。外国のNGOなどの支援に頼っているのが実情で、そうした支援はいつ途切れるかわからない不安定な状況です。

      心理ケアにあたっているドイツの精神科医キジルハン博士は「適切なケアさえ受けられれば、十分に社会復帰は可能ですが、イラクには心理ケアにあたる専門家もシステムもありません」と指摘しています。

      このため、イラクの大学と共同で心理療法士の育成を始めました。現在、およそ30人が学んでいて、3年かけて育成し、将来的にはこの育成システムをイラク各地に広げたいと考えています。しかし、資金や心理ケアの必要性など国民の理解も足りず、実現の見通しはたっていません。

      時限爆弾

      こうした元少年兵やISに洗脳された子どもたちが抱える最大のリスクは、彼らが新たな過激派組織の戦闘員になることです。

      ISは、かつての国際テロ組織アルカイダのメンバーたちを中心に誕生しました。今回、ISそのものは事実上壊滅したものの、また新たな過激派組織が生まれるのではないかと危惧されています。彼らが社会復帰に失敗し、孤立感を深めたとき、その新たな組織のメンバーになりかねません。

      私が取材した、ISの情報を分析している現地のジャーナリストは「少年兵たちは、いわば『時限爆弾』だ。将来、新たな過激派の指導者が誕生した場合、テロを実行するよう指示があれば、再び戦場に戻ってくるかもしれないというリスクを抱えている」と指摘していました。

      実は私も取材中に、こうした懸念を強く感じたことがあります。トルコで私が出会ったある15歳の少年は、今も募るISへの強い忠誠心を打ち明けたのです。「ISは僕のすべてで、家族のような存在です。善悪の判断もすべてISが教えてくれたんです」

      この少年はISが首都としたシリアのラッカで、ISの戦闘員に勧誘されました。幼いころに父親を亡くした少年は、お小遣いをくれたり、ドライブにつれていってくれたりしたその戦闘員に取り込まれていったのです。本人のスマートフォンには勧誘した戦闘員の写真やISに関わる動画が大量に残っていました。家族がISから少年を引き離して3年がたちますが、今も毎日ISの動画をみたり、アプリを通じてISの戦闘員とやりとりをしているといいます。

      少年は取材中、何度もこう繰り返し話しました。「ISが復活すれば、自分もすぐにかけつけて戦闘員として加わり、ジハードに参加します。ISが以前よりも強くなって帰ってくることを願ってます」

      国の将来を支えるために

      取材中、ISへの信頼を無邪気に語る子どもや、ISの過去に苦悩する子どもを前にし、胸が苦しくなるような感覚を覚えました。

      少年兵だった子どもたちは、ISの強制によって深い傷を負わされた被害者である一方、ISの犯罪に加担した加害者の側面もあります。取材した子どもたちはそれぞれに葛藤を抱えているようでした。イラクが長年、紛争や混乱に苦しんできたように、紛争は次の世代に引き継がれるリスクもはらんでいます。

      彼らが、新たな過激派組織の戦闘員になるのか、イラクやシリアの将来を支える中心になるのか、この数年にかかっているとも言えます。紛争の恐ろしさを知る彼らが復興を担うためにも、大人たちや地域社会が彼らを受け入れ、支える体制が整うことを願っています。そして「ISの子どもたち」がどう生きていくのか、いつかまた話を聞きたいと思うのです。
      (国際部 太田雄造記者)