精緻な細工が魅せる真珠貝細工 その技術は存続の危機に

    光沢のある真珠貝に無数の穴を開け、幾何学模様や植物などの繊細な模様を描く伝統の技。紛争を乗り越えて、中東のパレスチナで長年にわたって継承されてきた技術は、今、存続の危機に直面しています。

    目次

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      キリスト生誕地に根づいた「ベツレヘム・パール」

      イエス・キリストが生まれたとされる場所に建てられた「聖誕教会」。パレスチナ暫定自治区ベツレヘムを代表する建造物で、世界遺産にも登録されています。

      聖誕教会モザイク画 白く輝いているのが真珠貝

      この教会の壁画に、この地域に古くから伝わる、ある伝統技術をみることができます。モザイク画に描かれた植物に、華やかな白い輝きをもたらしているのは「真珠貝」です。
      ベツレヘムに伝わる、真珠貝細工の技術が使われています。

      1930 年代のベツレヘム 職人

      ベツレヘムで真珠貝細工の高い加工技術が確立したのは、15世紀頃とされています。当時は“巡礼ブーム”によって世界中から大勢の人々が、ベツレヘムを訪れていました。技術は、やはりこの地を訪れた、修道士たちによってもたらされたといわれています。

      以来、真珠貝細工は地元の職人たちの手によって磨かれ、独自の進化を遂げてきました。世界的に知られる「ベツレヘム・パール」として、500年ほどにわたって脈々と受け継がれてきたのです。

      無数の穴で魅せる、精緻な技術

      「ベツレヘム・パール」の特徴は、無数の細かい穴を真珠貝に施し、鮮やかなデザインにしたてあげる技にあります。アラビア語で「穴をあけること」を意味する「タハリーム」と呼ばれる技術です。

      「タハリーム」には、刃の太さがそれぞれ異なる、糸のこぎりが使われます。穴にのこぎりを通して少しづつ貝殻を削り、なめらかで美しい模様をつくりあげていきます。すべて手作業で行われ、習得するまでには10年以上を要する熟練の技です。

      写真は、聖書に記述される「最後の晩餐」を題材にした作品です。周辺部分にはタハリームによって非常に精細な装飾が施されています。
      キリスト生誕の地とあって、宗教上のデザインなどをあしらった作品が多く作られてきました。各国要人への贈答品としても使われ、世界的に高く評価されてきました。

      巡礼によって発展をとげた技術は今、この地を訪れる人たちが買い求める伝統工芸品にもなり、地元の観光産業にとってなくてはならない存在となっています。
      ブローチやペンダントといった装飾品が、人気を集めています。

      こうした真珠貝を使った伝統工芸の技術、ベツレヘムだけでなく中東に広く分布しています。エルサレムのアンティークショップで見つけたタンスには、やはり真珠貝が散りばめられていました。店主によると、中東のシリアで作られたものだそうです。

      ベツレヘム・パールに詳しい研究者は、ベツレヘムでは貝殻の中心部分が使われ、残りの部分は周辺国に運ばれ、家具などの装飾に使われてきたようだと話していました。

      紛争地パレスチナ 翻弄される技術

      キリスト生誕の地で長年にわたって受け継がれてきた技術ですが、この土地ならではの歴史に翻弄されてきました。

      オスマン帝国やイギリスなど、帝国や列強によって支配されてきた、ベツレヘム。1948年の第1次中東戦争のあとは一時期、隣接するヨルダンによって併合されましたが、その後はイスラエルの占領下となりました。90年代にパレスチナ暫定自治政府が発足しましたが、いまもイスラエルに占領された状態が続いています。

      いまから58年前、15歳の時に職人の道に入ったパレスチナ人のハリル・クムスィーエさんは(73)は、こうした大きな変化の中で、伝統技術と向き合ってきました。

      「ヨルダン政府の管理下にあったときは黄金時代でした。ヨルダン政府は、この産業を推進し、税金も免除されていました。私は同じ職人をしていた家族に言われるがままに、この仕事を始めましたが、当時は教員よりも良い給与をもらっていたのです」。

      しかし、1967年の第3次中東戦争のあと、イスラエルによる占領が始まると、状況は一変したと話します。

      「占領下では税金などが課されるようになりました。私たちは原材料となる真珠貝をパレスチナの外から輸入しなければならなくなって、さらにコストがかかるようになり、産業全体が大きな打撃を受けました」。

      占領によって、伝統産業への政策が変わったことに加え、戦闘や衝突が続いたことも、大きな打撃となりました。 訪れる観光客が大幅に減り、収入減が失われてしまったのです。ハリルさんも、職人としてだけでは食べていけず、野菜を育てたり、運送業のドライバーもして、なんとかしのいできました。

      紛争地を取り巻く厳しい環境によって「タハリーム」を習得した熟練職人は、今ではハリルさんを含め4人にまで減少してしまったといいます。

      「タハリームの技術があるからこそ、ベツレヘム・パールは美しいのです。伝統技術が将来に受け継がれて欲しいと思いますが、核心の技術である『タハリーム』が継承されなければ、いつかは産業自体がなくなってしまうのではないかと思います」。

      工房の危機 伝統を受け継ぐには

      職人を続けながらも、習得まで膨大な時間を要する伝統の技には、見切りをつけたという人もいます。

      親子3代にわたって工房を経営するマムドゥーフ・アトラシュさん(57)です。 現在は、チェス盤や置物などの作品を作っています。いずれも真珠貝が使われていますが、タハリームの技は使われていません。

      実は、マムドゥーフさんの父親はタハリームの職人でした。しかし、習得に長い年月がかかる上、製作の労力のわりに得られる収入が少ないため、あえてタハリームの技術を受け継がなかったのです。現実的な選択肢で、工房の存続を図ってきました。
      それでも、新型コロナの影響で、以前は20人いた従業員を5人にまで減らさざるを得なくなりました。

      マムドゥーフ・アトラシュさん
      「タハリームはパレスチナにしかない特別なものです。しかし、タハリームの習得には時間がかかり、収益に見合わない。だから私は、他の人たちが作っていないようなもので、収益を得られるものを作ろうと思ったのです。地域の不安定な情勢に左右されてきましたが、早く観光客に戻ってきて欲しい」。

      それでも、若い世代に真珠貝細工の技術を引き継ごうという動きも始まっています。

      真珠貝細工の研究者や職人などが、技術継承のための団体を設立。地元の高校生たちに、デザインの方法や加工技術を教えています。若者の失業率の高いパレスチナにあって、イタリア政府が支援に乗り出すなど、職業訓練としても注目を集めています。

      サーメル・バブンさん 真珠貝細工を教える施設を運営
      「ベツレヘム・パールは、ベツレヘムのとっての文化遺産であり、私たちのアイデンティティの一部です。私たちは若者たちに、この技術を継承していかなければいけないのです」。

      数々の苦難を乗り越えてベツレヘムの職人たちが守り続けてきた伝統の技。地域が安定し、人々が平穏な日々を取り戻すことで、次の世代にも受け継がれていくことを願わずにいられません。

      (エルサレム支局 曽我太一)