“革命” 2人の元戦士 「亡命」と「転向」の10年

    「何をしている!すぐにやめるように!」
    エジプトの首都・カイロ中心部にあるタハリール広場で撮影を始めて30秒。警察官や軍の関係者に周囲をあっという間に取り囲まれました。許可を得ている旨を説明し、なんとか了解が得られるまで待つこと5分。1時間の撮影の間、これが6回繰り返されました。エジプトは今、報道機関はもちろんのこと、社会全体が厳しく監視された中にあります。
    エジプトで独裁的な政権の崩壊につながった革命が起きたのは10年前。当時、抗議に繰り出した若者たちは今、何を思うのでしょうか。

    目次

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      革命の戦士からテロ容疑者に

      若者たちがタハリール広場に押し寄せたのは2011年1月。当時のムバラク政権に対する抗議デモは、瞬く間に全土に広がりました。
      その結果、30年続いた独裁的な政権は、わずか18日間で崩壊。中東や北アフリカで広がった民主化運動「アラブの春」の象徴となりました。

      デモを呼びかけた若者グループの中心メンバーだった、ムハンマド・カマールさん(48歳)。広報担当を務めていました。フェイスブックなどのSNSを駆使し、若者ならではの手法で抗議活動を展開。大きなうねりをつくりだしました。自由な社会を求めて10代の頃にもデモに参加して拘束された経験があり、“革命”は幼い頃からの夢が叶った瞬間でした。

      しかし今、カマールさんはエジプトを離れ、トルコで暮らしています。5年ほど前に亡命したのです。部屋には、母国を懐かしむように、ピラミッドの絵やエジプトの国旗が飾られていました。

      トルコ

      カマールさんは革命から3年後、テロ組織に関わったとして逮捕されました。その後の裁判では、25年の懲役刑を言い渡されました。裁判で反論する機会も与えられず、友人からの連絡とニュースで、自身に対する判決を知ったといいます。
      「もちろん、そんな罪は犯していません。判決が下された日は携帯電話の電源を切っていたのですが、電源を入れたら数百通のメッセージや着信が来ていました。とにかく家族の安全の確保を最優先にし、国外へ逃れました」。

      独裁政権の崩壊で失った目標

      革命を推進した立場から一転してなぜ、亡命生活を送ることになったのでしょうか。
      カマールさんたちが主導した抗議活動では「パン、自由、社会正義」が若者らの合言葉でした。独裁政権を権力の座から引きずりおろすことに成功はしましたが、そのスローガンが示すとおり、新たな国づくりで人々が求めたものは民主化に限らず、経済の発展、公正な社会の実現など多種多様でした。それまで独裁政権下で抑え込まれてきた政治的な対立が一気に噴き出し、社会は混乱に陥ったのです。

      2011年

      当時のことを、カマールさんはこう振り返ります。

      カマールさん
      「10年前は特定の目標があり、政治的イデオロギーを飛び越えることができたからこそ成功しました。しかしその後、一致した目標を失い、イデオロギーに集中するようになったことで、私たちは失敗したのです」

      革命の翌年には、エジプトで初めてとなる民主的な選挙が行われ、モルシ大統領が選ばれました。その出身母体はイスラム教の教えを重視するムスリム同胞団という組織で、宗教色の強い政策を推し進めようとしたことが、混乱に拍車をかけました。世俗的な社会を願った人々から反発を招き、ムスリム同胞団の支持者との間で衝突が起こったのです。カマールさんにとっても、モルシ政権が進めた政策は期待していたものではありませんでした。

      「軍が民主主義を殺した」

      そして2013年、カマールさんが描いていた理想が、踏みにじられる出来事が起きます。

      2013年

      現在の大統領で軍出身のシシ氏が、モルシ大統領を拘束した上、事実上の軍事クーデターで政権を掌握したのです。社会の安定を最優先にする政策の下、デモや集会を厳しく取り締まり、強権的な政権へと逆戻りしました。前大統領の出身母体、ムスリム同胞団は現在では、テロ組織に指定されています。
      モルシ政権を支持していなかったカマールさんですが、政権を批判すべきであっても、軍の行動を許してはならなかったと考えています。

      「エジプトでは、軍が民主主義を殺すと決めたのです。ムスリム同胞団の政策には反対でしたし、正しくなかっただけなのです。民主的な方法で克服するチャンスはありました」。

      現在は、ひたすら母国の家族の身を案じながらひとり、トルコで暮らすカマールさん。家族には5年以上、会っていません。

      家族に累が及ぶことを恐れ、撮影をしてもらっては困るけれどと、前置きした上で見せてくれた携帯電話には、笑顔で写る子どもたちの写真や動画が大切そうに保存されていました。

      「“再び家族と会える日を迎えることができるのか”と、毎日、自問自答するんです。家族や友人のぬくもりが奪われ、世界から孤立したように感じています」。

      「裏切り者」と罵られても

      カマールさんたちと一緒に革命に参加しながらも、その後、正反対の道を歩んだ人もいます。

      2011年

      タレク・コーリーさん(35歳)。現在は、与党議員としてシシ政権を支える立場です。去年、2度目の当選も果たし、若者グループから転じた人物として注目されています。
      議員として推進してきた政策の一つが、インターネットの規制です。かつて、若者グループにとって「武器」でもあったSNS対策に関わり、表現の自由を縛る法律に積極的に賛成してきました。エジプトでは今、インターネット上で政権批判やデモの呼びかけなどを行うことは、当局の取り締まりの対象になりうるのです。
      そうした規制を推し進めたことに、かつての仲間からは「裏切り者」と呼ばれることもあるといいます。しかし、革命後の混乱や、内戦に陥っていく周辺国の現状を目の当たりし、必要な変化だったと考えています。

      タレク・コーリーさん
      「デモで革命を起こそうという考え方に固執している人もいるが、私は違う。まずは社会を安定させる。言論の自由はそのあとです」
      「“革命”に参加した若者の間には、2つの異なる意見がありました。社会の不条理がすべて解決されるまでデモを続けるという意見と、政治に参加し、政治で社会を是正していこうという意見です。私は、政治プロセスに参加することを望んだのです」

      「安定」優先の政権を支持 本音は見えず

      現在、シシ政権の政策の中心は、インターネット規制を含む取り締まりで治安を安定させ、経済の回復を目指すことにあります。ビジネス関係者などの間で、一定の支持を集めてきました。2018年の大統領選挙では、その手法にさまざまな問題点を指摘されながらも、再選を果たしました。議会で与党が大多数を占める中、政権は、2030年までシシ大統領が職務を続けることが可能になる憲法改正を行い、長期政権への道筋もつけています。
      政権が再び強権化する中で、タレクさんは、かつて革命で掲げた自由や民主主義といった理想を諦めてしまったのでしょうか?

      「私たちはまだ、革命の目標を達成する途上にいます。いま、経済、政治、そして社会の改革の真っ最中なのです。革命の達成には、この先、数年はかかるでしょう」。

      革命はまだ途上にあり、時間がかかるものだと話すタレクさん。
      表現の自由が制限されたエジプトにあって、外国メディアの取材に対してぎりぎりの線を見極め、言葉を選んでいるようでした。
      ただ、現在の政権が進める変化が、かつての革命とどう結びつくのか、その本音を聞き出すことはできませんでした。

      革命は失敗したのか

      革命後に祖国を追われたカマールさん。与党議員として強権的な政権を支えるタレクさん。ともに革命に参加しながら、2人の10年後はあまりにもかけ離れています。そして、互いの立場を理解できるという意見は、聞くことができませんでした。
      革命後に生まれた対立や、その後の弾圧で、人々の間の断絶は解消が困難なほど、広がったと感じます。

      ただ、革命は失敗したのかという問いに対しては、そろって、それは違うという答えが返ってきました。
      「革命の灯火が消えた訳ではない。次の世代に受け継がれていく」。(カマールさん)。
      「革命はまだ、途上だ。経済、社会の改革が続いている。変化がある以上、革命が失敗したとは言えない」。(タレクさん)

      立場は違っても、多大な犠牲のうえに自分たちが成し遂げたはずの革命を、無駄にはしたくないという思いを抱き続けていると感じました。
      優先すべきは、安定か、民主化か。そのはざまで揺れ動いてきたエジプト。
      そのどちらかを排除するのではなく、人々がお互いの立場を尊重しながら国をつくりあげていく日が来てほしいと、心から願います。

      (カイロ支局・柳澤あゆみ)