シリア 千年の潤い

    鼻に近づけると何とも言えない自然の香りがした。
    世界中で愛され、日本の雑貨店でも販売されている、あめ色のせっけん。でも多くの人は、知らないのかもしれない。そのせっけんが「今世紀最悪の人道危機」と言われたところで作られていることを。
    1000年にわたって受け継がれてきたせっけん作り。いま、どうなっているのだろう。

    目次

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      「地獄」と呼ばれた町

      せっけんの生産地は内戦が続くシリアの北部にある。古くから交易の要衝として栄えた最大の商業都市、アレッポだ。

      3年前まで、この町は反政府勢力の最大の拠点だった。そこを包囲した政府軍は集中爆撃を浴びせる。病院も標的になり市民の犠牲は増え続けた。

      国連はあまりに悲惨な状況を「地獄」と形容した。

      紀元前から栄華を極めた歴史ある美しい町並みは、がれきと化した。地場産業が受けた被害も深刻で、アレッポの特産品であるせっけんもそのひとつだ。

      オリーブオイルと月けい樹のオイルで作られたシンプルなせっけんは添加物や香料を一切使用せず、環境や肌に優しいと言われ、世界中で愛用されている。日本はまだ平安時代、紫式部が「源氏物語」を書いたころから、シリアでは生産者たちがこだわりを持ってせっけんを作り、競いあってきた。

      しかし、アレッポに数百軒はあったと言われる工場は内戦で戦闘に巻き込まれ、操業できないまま、無残な姿をさらしているケースも少なくない。

      8年の変化

      アレッポのせっけんを20年近く前から輸入・販売している太田昌興さん(48)は、ことし1月下旬、現地のビザと滞在許可証を取得したうえで、8年ぶりにアレッポを訪れた。

      「爆風のすさまじさがこれほどとは思いませんでした。オリーブオイルを入れる厚さ8ミリの鉄板のタンクが、飛んできた破片で蜂の巣のように穴だらけだったんです」(太田さん)

      足を運んだのはタラール・ファンサさん(45)の工場だ。

      タラールさんは350年の歴史があるアレッポを代表するせっけんメーカーの社長で、かつてはここで製造したせっけんをシリア国内だけでなく、フランスや日本などに輸出してきた。

      しかし、内戦が起きると電気やガス、それに水の供給が停止。タラールさんの工場も2012年ごろから操業が難しくなった。

      「これはテロリストの仕業だ」

      無慈悲に破壊された建物を見つめながら、タラールさんが力なく語った。テロリストは誰のことなのかについては口をつぐんだ。

      アレッポでは廃業を余儀なくされたり、国外に逃れたせっけんメーカーも多い。でもタラールさんはシリアで作り続けることにこだわった。

      戦火を“生きぬく”

      アレッポから南西に直線で140キロ余り離れた地中海沿岸の港町、ラタキア。

      タラールさんは5年前、この港町に工場を移し、せっけん作りを続けることにしたのだ。もともと国外へせっけんを輸出する拠点として、この町の港を利用していたからだ。

      工場に入って太田さんは思わず目を細めた。働いていたのは、内戦前のアレッポの工場でよく見かけた懐かしい従業員たちだった。彼らは代々せっけん作りを家業としていてラタキアの工場で働くため、アレッポから移り住んでいた。

      せっけん作りのシーズンは11月から2月。作業に汗を流す彼らの姿は内戦前と変わらない光景だった。

      伝統の製法

      アレッポのせっけんは1年以上かけて作られる。

      まずはオリーブオイルと月けい樹のオイル、それにアルカリを加えて、じっくりと釜で炊く。この際、水を加えてせっけんにならない成分などを洗う作業も行われる。これが3昼夜続く。

      釜で炊いた熱々のせっけんの素地は、薄いクラフト紙のような紙を敷き詰めた床に豪快に流し込む。

      せっけんの素地は冬の寒さで徐々に固まっていく。適度に固まれば、歯がついた器具で切る「カッティング」が行われるが、従業員の家族の子どもを器具に乗せて大人たちが引っ張って切る、というのが定番のスタイルだ。

      次は熟成(=陰干し)だ。風通しをよくして乾かすために隙間を空けながら積まれたせっけんの山は、壮観な眺めだ。熟成期間は1年以上。

      最初は緑色だった表面は徐々に余分な水分が抜けて、あめのような茶色に変わっていく。

      熟成が終わると底に付着している紙を取ったり、熟成中に積もったほこりなどを削り取らなければならない。この工程が大変で、せっけんをひとつひとつ、すべて手作業できれいにする。

      清掃していたのは、パートの女性たちだ。太田さんがカメラを向けると、とても恥ずかしそうにはにかんでいた。

      最後にパッキング。こうして出来上がったせっけんが、遠い遠い日本に、私たちの手元に、今も届き続けている。

      いつか故郷で

      「アレッポは、確かに復興が少しずつ進んでいたけど、どこかさみしく、昔みたいに明るいアレッポではありませんでした。人が人を信用できなくなっていて、人々は心に深い傷を負っていた。いろいろな意味で破壊されていました」(太田さん)

      センチメンタルに考えている太田さんをよそに、タラールさんは「いまドイツからメールが来た」とか「コンテナの注文が来た」などと言って、エネルギッシュに働いている。

      いまも停電はしょっちゅう起き、ガスと水の供給も十分ではない。暮らしぶりの厳しさは変わらない。それでも新しい工場の真ん中で前を向いていた。

      「アレッポの工場を年内には再開させたい。そして今の困難を乗り越え、伝統あるせっけん作りを子どもたちに受け継いでいきたい」(タラールさん)

      これまでに36万人以上もの死者を出したシリアの内戦は、8年を経てアサド政権が軍事的にも政治的にも圧倒的な優位に立ち、事実上の終わりを迎えようとしている。

      ただ、アレッポに隣接し反政府勢力の最後の主要な拠点となっている地域では戦闘が続くなど、市民の犠牲が後を絶たない状況は変わっていない。

      せっけんの向こう側には、そうした現実がある。

      「これには平和への思いがこめられている」

      家でせっけんを使いながら、そう思った。(ネットワーク報道部 鮎合真介)