その日、太陽が神を照らす “光の奇跡”が本当に奇跡である理由

    わけあってエジプトのカイロに住んでいます。はじめはピラミッドだスフィンクスだと感動したものですが、慣れてしまうといちいち見に行こうとも思いません。そんなエジプト慣れした私の心をも奮い立たせる話が。古代神殿で1年に2回だけ起きるという“奇跡”の現象があるというのです。そうだ、部屋で寝てる場合じゃない。

    目次

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      アブ・シンベル神殿へGO

      カイロの空港を飛び立つと、密集した家々を覆うほこりっぽい空気と、ナイル川が眼下に広がります。2時間ほどの空の旅でアブ・シンベル神殿への玄関口、アブ・シンベル空港に到着です。

      こぢんまりした空港を出ると、そこから神殿まではタクシーなどで10分の道のりです。きれいに舗装された道路を進むと岩山っぽいのが近づいてきます。え、これがアブ・シンベル神殿…。神殿の裏側からアプローチする形になるので、ただの岩山にしか見えない。

      アブ・シンベル神殿があるのはナイル川沿いのエジプト南部。スーダンとの国境近くです。今からおよそ3000年前に当時の王、ラムセス2世が命じて、大きな岩山をくりぬいてつくられたそうです。

      神殿の入り口には、巨大な4体のラムセス2世像が鎮座しています。4体とも同じ人とかすごい。

      その入り口からおよそ60メートル入ったところに「至聖所」と呼ばれる小部屋があります。その中にも4体の神々の像が置かれています。

      緻密に計算された“奇跡”の謎

      私たちが今回見に来たのは、この部屋に朝日が差し込み、中の像が照らし出されるという超神秘的な現象。しかも年に2回、2月22日と10月22日にしか起きないのです。まさに古代エジプトの謎…!

      遺跡保全に取り組む団体の代表、マハルース・サイードさんに解説をお願いしました。

      「これは、古代から続く“奇跡”なんです。緻密な計算をして、特定の日にラムセス2世の顔に太陽光があたるようにしたのです。それも、入り口から60メートルも内部に。現代の技術をもってしても、そう簡単なことではありません。」(サイードさん)

      (記者)なんでこの2日間に決めたんでしょうか。

      「一説には、ラムセス2世の誕生日と、即位の日だと言われていますが、収穫の日と、種まきや耕作の日だとする説もあります。考古学者の間でも、意見が分かれているのです。」(サイードさん)

      (記者)即位と種まきじゃずいぶん違う。

      エジプトの中心で日本人観光客に出会う

      2月22日の当日。私たちは午前1時半に遺跡のすぐ近くにあるホテルを出て神殿に向かいました。ご来光を見るために山小屋を出発するのと同じ感覚。

      遺跡に着くと、こんな時間にも関わらずもう長蛇の列ができていました。数千人の観光客が詰めかけるらしく、徹夜で並ぶ人も少なくないのだとか。

      と、ここであちこちから懐かしい響きが。日本語だ、日本語が聞こえる…!上野駅の石川啄木と私の心情が重なりました。

      以前、エジプトの観光関係者に、日本人観光客はよく勉強してくるし、非常に熱心だと聞いたことがあります。この日も、少なくとも100人の日本人がチケットを購入していたそうです。

      暗闇に一直線に差し込む光

      今回は特別な許可を得て、「至聖所」の中にカメラを設置。日の出の時刻にあたる、午前6時半前になるとライトが消され、部屋は真っ暗になり、誰もが息をのんでそのときを待ちます。

      そして午前6時半過ぎ、暗闇にうっすらと光が差し込み始めました。数分後には、オレンジ色の強い光が真ん中の像を明るく照らし出します。

      それは60メートル離れた神殿の入り口から一直線に差し込む、ひと筋の強い光。暗がりに浮かび上がった像は、神聖さが際立つように感じました。

      古代エジプトの人たちはこの光景をどんな思いで見たのだろう。いや、そもそも見ることは許されていたのだろうか。そう思いをはせているうちに、20分ほどの“奇跡”は終わりました。

      ところでこの神秘の時間を観光客がゆっくり堪能するのは至難の業です。数千人の観光客が詰めかけるなか、「至聖所」の前では立ち止まることはできず、その瞬間を目にできるのは、本当に一瞬。さらに無数のカメラのフラッシュが…。現場では観光客と係員の間で大混乱が生じていました。

      現場にいた日本人にも話を聞きました。神奈川県からやってきた女性(写真左側)は興奮気味に、こう話してくれました。

      「もう、本当にすばらしかったです!振り向いたら、入り口から一直線に光が入ってきて。昔の人たちが太陽を神様だと考えたのもよくわかります。この現象を見るために早朝から待っていましたが、待っただけの価値はありました。」

      神殿の奇跡はこうして守られた

      実はアブ・シンベル神殿は今から60年ほど前、水没の危機に直面しました。ナイル川に「アスワン・ハイダム」を建設する計画が持ち上がったからです。

      建設に伴って上流にできる巨大な人工湖が、アブ・シンベル神殿などのナイル川沿いの遺跡を軒並み水没させるおそれがあったのです。

      危機感を強めたユネスコ(国連教育科学文化機関)などは、世界中に遺跡保護への協力を求める大規模なキャンペーンを展開。様々な保護の方法が検討された結果、神殿そのものをいくつものブロックに切断し、60メートルほど上に移築させることに決まりました。

      移築は“奇跡”がきちんと再現されるよう、角度などを綿密に計算して行われました。これも諸説ありですが、エジプトの考古省によると、移築の前の奇跡の朝日は、今より1日前、2月21日と10月21日だったそうです。

      今回、私たちが目にした「奇跡」の瞬間は、60年前の人たちの強い意志と技術で守られたものでした。そしてアブ・シンベル神殿の危機とその救済活動は、遺跡などの保護についての認識を大きく変え、ユネスコの「世界遺産」の制度が創設されるきっかけとなりました。

      薄暗い部屋に差し込んだひと筋の光は、まさに神秘そのものでした。3000年も前から朝日は変わらず昇り、神殿の場所が変わった今もなお、年に2回の“奇跡”が繰り返されているのです。

      神殿の外に出ると、いつものエジプトの強烈な日差しが全身に照りつけます。さっきまでの“奇跡”と日常とのギャップに軽いめまいがしました。(カイロ支局・柳澤あゆみ)