アラブの春は「挫折」したのか

    多くの国で王族や独裁政権による統治がなされ、民主的な政治とはあまり縁がないように思われてきた中東・北アフリカ地域で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が一気に広がったのは2011年。あれから10年がたった今、この地域では民主化が定着するどころか、内戦や政治の混乱が続いています。
    民主化の動きは挫折してしまったのでしょうか。民主化運動に参加した活動家や中東に詳しい専門家に話を聞きました。

    目次

    ※クリックすると各見出しに移動します

      「アラブの春」その現在地は?

      民主化を実現した国(チュニジア)

      アラブの春“唯一の成功例”。憲法の制定や民主的な選挙を実現。経済は低迷し、職を求めてヨーロッパに渡る若者も。

      抗議デモをきっかけに混乱や内戦に陥った国(リビア、シリア、イエメン)

      リビアでは、40年以上にわたって政権を担ったカダフィ独裁政権が崩壊。国が東西に分裂して内戦状態に陥る。現在は国連主導の政治対話によってことし3月、暫定首相が就任し、混乱を抜け出そうとしている。
      アサド政権が民主化運動を徹底的に弾圧したシリアでは、周辺国を巻き込んだ泥沼の内戦が現在も続く。混乱に乗じる形でIS=イスラミックステートが台頭し、国際社会はテロとの戦いも余儀なくされることに。
      イエメンでは、暫定政権を支援するサウジアラビア主導の連合軍と、反政府勢力「フーシ派」を支援するイランが代理戦争を展開。「世界最悪の人道危機」と呼ばれる事態に。

      一時は民主化に向かうも強権的な政権に逆戻りした国(エジプト)

      30年続いたムバラク政権が退陣。民主的な選挙が行われ、イスラム色の強い政権が誕生した。しかし2013年に事実上の軍事クーデターが起き、軍出身のシシ大統領による強権的な政権に逆戻り。

      抗議デモが発生も政権や体制は維持された国(モロッコ、アルジェリア、スーダン、レバノン、ヨルダン、サウジアラビア、イラク、クウェート、オマーン、バーレーン)

      サウジラアビアをはじめ、長年にわたり王族による支配を続けてきた湾岸諸国は民主化の動きを強く警戒。各国が連携して、抗議デモを押さえ込む動きも。バーレーンには協力して部隊を派遣、オマーンには巨額の財政支援が行われ、デモが封じ込められた。

      ※アルジェリアとスーダンでは2019年に再び民主化運動が起こり、長期政権が崩壊。「第2のアラブの春」とも呼ばれる。
      ※スーダンでは、2011年7月に南部地域が分離し南スーダンが誕生

      革命はまだ途上に

      アラブの春で民主化運動の象徴となった女性がいます。イエメン人ジャーナリストだった、タワクル・カルマン氏。祖国にアラブの春が波及すると、反政府デモを率いて活動し、強権的な支配を続けていたサレハ大統領は退陣に追い込まれました。これによりその年には、ノーベル平和賞を受賞しました。しかしその後、イエメンは外国が介入して内戦に陥り、人道危機が深刻化したまま、現在に至っています。現在は、トルコとアメリカを拠点に活動を続けるカルマン氏に、10年前の民主化運動をどう受け止めているか、聞きました。

      Q.イエメンではアラブの春を受けてサレハ大統領が退陣し、暫定政権の下で新憲法の制定に向けた協議が行われるなど一時は、民主的な制度づくりも進められました。しかし2014年に、武装組織も参加する反政府デモが起こるとサウジアラビアが軍事介入。反政府勢力側はイランが支援し、代理戦争の様相を呈した内戦が泥沼化しています。いまの状況をどう見ますか?

      A.民主化運動から3年ほどの間は、人権や自由が尊重された時代でした。しかしその後、混乱が始まり事態は悪化しました。民主化をよく思わない外国勢力、サウジアラビアやイランがアラブの春を止めにかかったのです。これらの国は、民主化を恐れている国々です。そのため、民主化に向けた動きを攻撃しているのです。今は特に、サウジアラビアによって、イエメンの政治は乗っ取られてしまっています。

      Q.民主化運動がその後内戦に陥りイエメンは、国民の多くが飢えに苦しむなど、人道危機に陥っています。イエメンにとって今、何が必要ですか?

      A.イエメンは世界最悪の人道危機に苦しんでおり、まずは内戦をやめさせるしかありません。国際社会はそのためにも、この地域への武器の支援をやめるべきです。各国が、サウジアラビアやUAE=アラブ首長国連邦などへの武器の提供を続ければ、それは人道危機に対して目をつぶっているのと同じです。イエメンに今必要なのは弾薬ではなく、経済の立て直しです。

      2012年 首都サヌアの集会に参加したカルマン氏

      Q.アラブの春以降、イエメン以外でもシリアやリビアが内戦や混乱に陥り、エジプトでは強権的な政権が復活しました。その一方で、民主化はほとんど進んでいません。民主化運動は挫折してしまったのでしょうか?

      A.もちろん、民主化運動の結果に満足しているとは言えません。しかし、1つ言えるのは、私たちはまだ、民主化を求める革命の途中にいるということです。10年という時間は短く、十分ではありませんでした。しかし、この地域に独裁政権がある限り、汚職がある限り、権力の乱用がある限り、革命は止まらないでしょう。2019年には「第2のアラブの春」と呼ばれる動きが、スーダンやアルジェリアでありました。アラブの春は続いており、いくつものうねりがこれからもあるでしょう。

      SNS 民主化のツールから統治の道具に

      「アラブの春」では、若者らが積極的に使ったツイッターやフェイスブックなどのSNSが大きな役割を果たしました。インターネットと民主化の関係に詳しく、エジプトで調査も行った清泉女子大学の山本達也教授に話を聞きました。

      Q.アラブの春で、インターネットが果たした役割は?

      A.大きく2つの役割がありました。ひとつはデモ参加者の動員です。組織に頼らずに多くの人たちをつないで、同時に行動できるようにしたことはすごく大きかったと言えます。もう一つは情報統制をして物事を隠そうとしていた政府の壁を、突破していった働きです。当時のエジプト政府は焦りを感じたのか、途中でネットの遮断をしました。そのことで、逆にデモが勢いづいたという証言もありました。

      Q.他方で、強権的な政権に逆戻りしたエジプトで政府が、インターネット空間での政権批判やデモの呼びかけに対して規制を強めているように、この10年でインターネットを取り巻く環境は様変わりしました。この変化をどう見ますか?

      A.この10年でコンピューターの処理能力がぐっとあがったことで、情報を解析して、意味あるデータに変換できるようになりました。さらに、ネット監視のための予算や人員を割く国が出てきたということも大きいです。またサイバーセキュリティーの法律や制度を整備する動きも広がり、法律に基づいて逮捕するという事例も出てきています。技術的なコントロールと、リアルな世界での取り締まりをセットにして統制をかけています。

      2011年 エジプトでの抗議デモ

      Q.市民と国家の関係において、インターネットは今後どのような役割を果たしていくと考えますか?

      A.インターネットは国を良い方向に変えていけるツールなんじゃないかと思われていましたが、統治やコントロールのほうが目立ってくる時代が始まったと、ひしひしと感じます。『安全や治安』と『自由とプライバシー』の価値のどちらをとるかというと、目の前の安全をとりやすいのです。自由やプライバシーといった人権的な価値は、取りに行くのは結構難しいけど、手放すのはわりと簡単。自分たちの社会でどんな価値が大切なのかということを、いま改めて真剣に考えないといけない時代になっていると思います。

      民主的な政治の定着に向け「妥協と調和」を

      「アラブの春」では、独裁政権を崩壊させたあと、民主的な政治を定着させることの難しさが露呈しました。中東と国際関係に詳しい、武蔵野大学国際総合研究所の山内昌之特任教授に話を聞きました。

      Q.民主的な政治が定着しなかった要因をどのように考えていますか?

      A.市民たちが未熟だからというようなことが強調されがちですが、重要な点として、民主化の実践そのものを奪っていく「外からの干渉」に目を向けなければなりません。中東では、外国あるいは外部の軍事干渉が恒常化しているのです。民主化という日常的な政治の努力が行われているところに、軍事介入や戦争が重なるように起きているという非常に残念で、悲しい現実があります。外国勢力の介入を受けた、戦争という手段によって、目的を達成していくという考え方が広く浸透していることに、大きな問題があります。

      Q.それでもアラブの春の成果をあげるとしたら、どのようなことが言えますか?

      A.チュニジアやエジプトのように、内戦や内乱の一歩手前で踏みとどまったケースもあります。これらは、アラブの春で得た重要な教訓と成果といえると思います。平和的なデモや集会というものを経験し、市民運動が展開されたという歴史的な事実は否定できません。
      アラブの春が失敗や挫折の連続だったとしてもこれは、将来に向けた代償だという考え方も重要です。過去の失敗や挫折は将来、その果実や成果を得るために存在しているのです。

      エジプト・タハリール広場

      Q.アラブの春の舞台となったイスラム圏では、宗教と政治の関係をどう位置づけていくかという議論も避けられません。エジプトでは、アラブの春を経て行われた大統領選挙でイスラム色の強い勢力が政権につき、このことが世俗的な社会を求める勢力から反発を招きました。アラブの春における両者の関係を、どのように語ることができますか?

      A.イスラムの世界において政治と宗教の関係をどうとらえるかは、大きく分けて3つの考え方があると思います。①信仰と社会は切り離せないという原理主義、②ヨーロッパのような、議会制民主主義と宗教を調和させなければならないといったモダニズム、③そして信仰は個人の心のあり方の問題であり、政治と切り離すべきだという世俗主義。
      エジプトでアラブの春以前に、強権的な政権を率いたムバラク政権は、大雑把に言うとモダニズムに近い政権でしたが、国民に嫌われて排除されました。その後の選挙では、民主化運動を推進した若者や知識人のうち、かなりの人々は、3つ目の世俗主義的な社会を目指しました。しかし、人口の9割をイスラム教徒が占めるエジプトにおいてはやはり、こうした考え方が支持を得るのは難しかったのです。民主的なプロセスを経て、エジプトの国民が選んだのは限りなく原理主義に近い、イスラムの政治勢力でした。世俗主義的な志向を持った人たちから民主化運動が始まったということを考えると、これは皮肉な結果ともいえます。

      ※2011年 チュニジア抗議デモ

      Q.アラブの春は多くの国で混乱をもたらしていますが、他方で2019年にはアルジェリアやスーダンで、やはり強権的な政権が倒れ「第2のアラブの春」とも呼ばれる市民運動と政権交代が起きました。今後、変化を民主的な政治の定着へとつなげていくにはどのようなことが重要になりますか?

      A.今後は青写真、具体的なシナリオを描けるかが重要になると思います。エジプトにおいてアラブの春が挫折したのは、妥協と調和というものがなかったということに尽きるのではないでしょうか。民主的な政治は、妥協と調和の産物なんですよね。
      1968年に当時のチェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」も旧ソビエト軍などに押さえ込まれましたが、その後、91年のソビエトの崩壊というものを介して大きな形で花開き、現在自由と民主主義を実践する国家として成長しています。
      そういう文脈の中でアラブの春というものを見ないといけないと思います。
      (国際部・佐野圭崇)