デイサービスなどの福祉施設の車にお年寄りが車いすごと乗り込んで、送迎してもらう様子をよく見かけるようになりました。でも送迎中に起きた死亡事故の取材を進める中で、車いすメーカーの開発担当者は言いました。
「通常の車いすは車での送迎を想定していないんです」
高齢化で増える車いすの送迎の安全を、もう一度考えてほしいのです。
富山県警作成のチラシ
富山市で去年(2019年)11月2日、デイサービスなどの福祉施設に送迎する車の事故が相次いで、車いすのお年寄り2人が亡くなりました。
富山市高木南でお年寄り5人を乗せて走行していて、事故に遭った送迎車です。センターラインを超えてきた乗用車と衝突し、運転手やスタッフにけがはなく、座席にいた4人の高齢者はいずれも軽いけがでした。車いすに乗っていた吉田美津江さん(94)だけが亡くなったのです。
車内の配置図です
吉田さんが通っていたデイサービスでは、職員が利用者を車で送迎していました。施設で使っていた車両はリフトで車いすごと乗り降りできるもので、「3点式」のシートベルトを装着できるタイプでした。
施設での生前の吉田美津江さん
しかし亡くなった吉田さんは高齢で姿勢が前かがみだったため、3点式だとベルトが首にかかって危ないと判断され、腰の部分にだけかかる「2点式」のベルトを装着していました。
2点式のシートベルト
施設の担当者
「私たちにできる安全対策はとっていました。車いすの固定も職員が確認し、シートベルトの装着も付き添いの職員がしたと聞いています。明らかな急発進や急ブレーキをしたという話も聞いていません。私たちの車に乗っていただいていた方が事故にあわれたことは、非常にショックで申し訳ないと思っています」
なぜ車いすの吉田さんだけが亡くなったのでしょうか。
車いすの利用者が時速50キロで衝突したときの様子を再現した実験映像です。上半身などに強い衝撃が加わることがわかります。
捜査関係者によると吉田さんは事故の衝撃でシートベルトがずれ、胸を圧迫されたり、前後に激しく揺さぶられたりしたことで死亡したとみられています。
同じ日に起きた別の送迎車の事故でも、亡くなった男性はベルトで腹部を圧迫されていました。
利用者を守るはずのシートベルトが逆に命を脅かすことにつながる理由は、車いすとの「相性の悪さ」にあります。
福祉車両の販売やレンタルの事業者でつくる「日本福祉車両協会」が、事故のあと、送迎時の安全について講習会を開くというので取材に向かいました。
広島市の福祉施設で行われた講習会で、担当者は次の点を強調していました。
・シートベルトは、車の座席と同じ「3点式」が基本
・お年寄りの体の状況によっては「2点式」にならざるを得ない場合もある
・腰の部分のシートベルトは、衝突時に腹部を圧迫しないよう、腰骨にしっかりあてる
ここで課題があります。車いすには「アームレスト」と呼ばれるひじ掛けがあり、この上にベルトを通すと腰骨にあたりません。アームレストの下を通す必要がありますが、これでも不十分なのです。
肘掛けの下の黒い板がスカートガード
実は多くの車いすには、衣服の巻き込みを防ぐ「スカートガード」と呼ばれる板がついています。これが邪魔になって、ベルトが腰骨に当たらない場合があるということです。スカートガードの下を通せばいいのですが、物理的にそれができない車いすも少なくありません。
日本福祉車両協会 平岡幸雄常務理事
「車いすの送迎中の事故は後を絶ちません。ただシートベルトの効果的なかけ方について、介護施設の現場の職員も悩んでいるということをよく聞きます。その方法は車いすによって様々なので、こうした講習会を通じて、それぞれのケースでどうしたらいいのかをよく考えてくださいと伝えています」
法律上の規制はどうなっているのでしょうか?
私たちが利用する車の座席では、3点式シートベルトやヘッドレストの装備や着用、さらには衝突の際の強度まで、法律で具体的に定められています。
一方で車いすは、シートベルトについて座席ほど細かな義務づけはありません。ヘッドレストや車いすの強度については、なにも決まりがありません。
理由について国は「車いすは利用者の身体機能などによって形状が多種多様で、一律の基準や義務を設けることは難しい」としています。
車いすの事故については、全国でどれぐらい起きているかの統計もありません。車いすの送迎中の安全対策は、その難しさから見過ごされてきたともいえます。
日常用からパラリンピックのアスリート用まで、さまざまな車いすを製作している岐阜県養老町のメーカーに取材したところ、開口一番こう言われました。
松永製作所開発担当 小澤康一さん
「通常の車いすは日常の移動を楽にすることを前提に設計してあり、車に載せることを想定していません。非常に危ない事ですので、できれば車載用の車いすと通常の車いすを使い分けていただけたらと思います」
これが車載での送迎用に開発された車いすです。
特徴は次の4点です。
①シートベルトが腰骨にあたるよう穴が開いている
②ヘッドレストがある
③車いすを床に固定するフックをかけられる
④車の座席並みに20Gの衝撃に耐えられる肉厚のパイプを使用している
会社では自動車メーカーの求めに応じて、10年以上前にこの車いすを共同開発しましたが、売れるのは年間20台ほどで、あまり普及していないそうです。
車載用の車いすは、複数のメーカーが作っていますが、
①通常の車いすに比べて重かったり、費用が高かったりする
②通常の車いすを送迎で使うことの危険性が知られておらず、ニーズ自体が少ない
こうしたことから広まっていません。
車いすの安全について詳しい、元神奈川県立保健福祉大学講師の藤井直人さんは次のように指摘します。
「車いすのお年寄りも表に出たいのです。車いすで車に乗って移動することにどういう危険があるか、まず情報として知ってもらうことが必要です。そのうえで国やメーカーが協力して送迎用の車いすの安全基準を作り、その利用を広める取り組みが必要です」
富山市の事故で亡くなった吉田さんは絵を描くのが大好きで、風景画をよく描いていたといいます。4年前に脚を悪くしてから車いすが欠かせなくなり、週3回デイサービスに送迎されてお風呂に入るのを楽しみにしていました。
事故が起きた日も家族はふだんどおり帰ってくるのを待っていました。
(家族)
「もう帰ってくる時間だなあと思ってたんですけど、まさか交通事故にあうとは思っていませんでした。100歳まで生きるんじゃないかと思ってたんですけど、ショックです」
介護保険を使って車いすを利用するお年寄りは、全国で73万人に上ります。送り出した家族のもとへ笑顔で帰ってくるために、車いすの安全対策を社会全体で考えていく時期に来ていると感じます。
小塚孝則
2020/03/04 60代
親が要介護状態になってから、送迎などのために車が用いられていることに気付きました。しかし、通常の車いすにはヘッドレストがなく、自動車事故があったら大変危険だと気付きました。通常の車両にヘッドレストが義務付けられて50年近くたっているのに、いまだに車いすには対策が取られないままデイなどの送迎が行なわれていることに疑問を感じ、介護施設や行政に問合せましたが、この点に危機感を持っている方は皆無で、全く情報が得られませんでした。 私自身も時折通院のために親を連れ出す必要があるので、ヘッドレストのあるリクライニング式の車いすを買い、むちうちにだけはならないように対策を講じました。 今回、「車で、車いすを送迎 安全を考えて」の記事を読み、人々の高齢者の安全に対する無関心がこうした情報の広がりを妨げていると感じました。行政さえ知らず、私のように親の健康・危機管理に関心を持つ者に情報が届かないというのは残念でなりません。 今回、ヘッドレスト以外にも危険があるという事を知り、心を引き締めることができました。 また、特別仕様の車いすがあることを知っていれば、迷うことなくそれを選択できたのに、と悔しい思いもあります。 ぜひ、より広く、この情報が伝わるよう働きかけていただきたいと思います。 コストの問題は、需要が広がれば徐々に改善していくはずです。 奮闘に期待します。
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