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東京・渋谷のスクランブル交差点。外国人も多くさまざまな言語が飛び交うこの場所に立つ女子大学生は、少数民族・アイヌです。週に1回北海道に通い、ラジオのアイヌ語講座の講師を務めています。北海道がこのほど行った調査では、アイヌの人たちでアイヌ語で会話ができる人はわずか0.7%しかいないことがわかりました。東京オリンピックを、さまざまな価値観をわかり合える社会へのきっかけにしたい。今回はアイヌの言葉を見つめます。(ネットワーク報道部記者 郡義之、室蘭放送局記者 横山寛生)

長老だけど話せない その理由

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まず取材に訪れたのが、札幌から約80キロの平取町。アイヌ文化の伝承活動が盛んな地域で、川奈野一信さん(83)に会いました。

力強い声が印象的でアイヌ文化をよく知る長老、アイヌ語で「エカシ」と呼ばれる存在です。

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「若いころは、近所のおばあさんたちがアイヌ語で話すのをよく聞いていた。だから、アイヌ語を聞けば、ある程度意味がわかるよ」

私は期待を込めてアイヌ語を詳しく教えてもらおうと、話を聞いて驚きました。

「アイヌ語は話せないんだ」

エカシは、その理由をゆっくりと説明してくれました。

明治に入って進められたアイヌの伝統や文化を否定する同化政策。学校や職場はおろか、家庭での会話も日本語でした。 エカシは「アイヌ語はもう終わりだ」と思い、進んで学ぼうとはしなかったのです。

北海道が去年行った調査では、1万3000人以上いるとされるアイヌの人たちで、アイヌ語で「会話ができる」と答えたのはわずか0.7%。消滅の危機にひんしている言語の一つです。

ピㇼカオッカイポ!(いい男だねえ)

もう1人、話を聞いたのが平取町の山あいの集落に住む木幡サチ子さん(90)です。

アイヌの血を引くおばあさんはアイヌでは「フチ」といいます。

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「ヒナㇰワエエㇰ?(どこからきたの)」
「ピㇼカオッカイポ!(いい男だねえ)」

取材を始めるとわき水のごとくアイヌ語が出てきて、メモを取るのが追いつかないほど。年齢を感じさせない元気なフチです。九州生まれの私(横山)も、生きたアイヌ語を前に胸が熱くなりました。

習って覚えた

木幡さんのアイヌ語も、親から伝えられたものではありません。幼いころにはすでに日常会話が日本語で行われる環境で、働き始めても教養としてアイヌ語を習うには忙しすぎたと言います。

木幡さんがアイヌ語を学んだのは60代になってから。民族の言葉をもう一度学びたいと、アイヌ初の国会議員として活動した故・萱野茂さんのアイヌ語教室で学んだのでした。

今では、数少ないアイヌ語を話せる人たちが集まった時に、アイヌ語での会話を楽しんでいます。上達の秘訣は、言葉を交わせる環境があることだと言います。

独自の文字もたない言葉

アイヌ語は、日本語とは根本的に異なる独立した言語です。

単語をみても、男性「オッカヨ」、村は「コタン」、山は「ヌプリ」などと、日本語からは意味が想像できません。

最大の特徴は独自の文字がないこと。親から子へと受け継がれてきた「音」の言語です。

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今でこそカタカナなどほかの言語の文字を使い、録音も残されていますが、記録されなかった語彙が失われていることも想像に難くありません。

とっておきのユカㇻ

「あんまり外ではやらないんだけど」
そういって、木幡さんが披露してくれたのが、「ユカㇻ」というアイヌ民族に伝わる叙事詩。物語を通じて神や自然と、人間との関わり方などを教えてくれるものです。

木幡さんは祖母が子守歌代わりに歌っていたユカㇻ「ヌタㇷ゚カタ」を語りました。

抑揚のある伸びやかな節回し、よどみなく流れ続ける言葉の響きに、私はカメラを握りしめて聞き入ってしまいました。

アイヌ語の未来 エカシとフチの願い

木幡さんは今、地元でアイヌ語の講師を務めていますが、体力の限界からやめたいと思うこともあると話します。それでも「一人でも多くアイヌ語を覚えて、伝えていってほしい」との思いで続けているそうです。

「エカシ」の川奈野さんも、アイヌ語教室の運営メンバーを務めながら、自身もアイヌ語を学び直す日々を送っています。

「すぐには覚えられないけど、ここで終わらせるわけにはいかない」(川奈野さん)

かっこいい言葉

平取町から約800キロ離れた東京。ここにアイヌ語を今に伝えようとする若者がいます。

渋谷のスクランブル交差点に立っていたアイヌの女性、関根摩耶さん(18)。慶応大学に通う1年生です。彼女は今、神奈川県藤沢市に暮らしながら、北海道に通い民放ラジオで週1回放送されるアイヌ語講座の講師を務めています。

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またアイヌの言葉を広めようと、日高地方を走る路線バスの車内で流されているアイヌ語のアナウンスも彼女の声です。

「アイヌ語に多くの人に触れてもらって、かっこいい言葉だと思ってもらいたいんです」(関根さん)

自分を変えた出来事

平取町の出身の関根さんは、兵庫県出身の父とアイヌの母の間に生まれました。アイヌ語を大切にする両親に育てられ、自宅では毎日、アイヌ語のCDが流れていました。

「雪を見れば、アイヌ語で雪を意味するウパシという単語が思い浮かぶ、そんな子でした」(関根さん)

しかし、思春期を迎えると、アイヌ語と距離を置きたいと感じるようになりました。イヤホンで音楽を聴きながら、アイヌ語を遮断する日々。アイヌが過去に受けた差別など負のイメージが、そうさせたのかもしれないと言います。

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そんな関根さんを変えたのが、高校生の時、研修で訪れたアメリカ・ハワイで出会った1人の男性でした。男性はハワイの先住民族出身で、関根さんがアイヌだと知ると、男性は「あなたは、アイヌ民族であることに誇りを持ちなさい」と笑顔で語りかけてくれました。

聞けば終戦直後、アメリカ空軍の技術者として日本を訪れた際、日本人が冷ややかな態度で接するのに対し、唯一、丁寧なもてなしを受けたのが、アイヌの人たちだったというのです。このひと言で関根さんは変わりました。

ケラ・アン!

関根さんはふだんの会話でも、自分の出自やアイヌ語などを織り交ぜながら話すと言います。そのかいもあって周りでは最近、アイヌ文化がちょっとしたブームです。
大学の食堂でも、ご飯を食べた友人が「ケラ・アン!(おいしい)」とひと言。同級生の男子学生は、アイヌをテーマに小説を書き始めたといいます。

2020へのメッセージ イランカラㇷ゚テ

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北海道白老町では今、アイヌ文化を伝える拠点「民族共生象徴空間」の整備が進められています。

完成は東京オリンピック・パラリンピックと同じ2020年。ここにはアイヌ文化を紹介する博物館や慰霊施設などが設けられ、虐げられてきた民族の文化を世界に紹介することになっています。

関根さんには好きなアイヌ語があります。

「イランカラㇷ゚テ」

日本語で「こんにちは」という意味です。

「この言葉を直訳すると、『あなたの心にそっと触れさせてください』という意味になります。人の優しさ、温かさを感じるんです。争いなく、ともに生きていく姿勢や、ものを大事にする気持ち。こうしたアイヌの精神は、これからの日本に必ず必要なんです。私は東京オリンピックをきっかけに、そのことを多くの人に伝えていきたいです」

そしてこう語ってくれました。

「アイヌは『人間』という意味です。私は1人の人間として、アイヌ語も日本語も共生できる社会を作りたいです。必ずできると信じています」