ニュース画像

東京オリンピック・パラリンピックまであと2年。世界中から多くの人が集まるスポーツの祭典を、多様な価値観を認め合える社会へのきっかけにしたい。そのために知ってほしいさまざまなことがあります。その一つが、知っているようで知らない、車いすでの生活です。

大好きなお店で、熱々のカレーを食べたくても、店の入り口にある段差をひとりでは越えられず、いつもテイクアウト。子どもと毎日遊びに行く公園の入り口にも段差。車いすの男性は「5センチの段差をなくそう」と働きかけを始めました。すると、周囲にも思わぬ変化が起き始めたのです。(さいたま放送局記者 直井良介)

普通のことを普通にしたい

「車いすでは、たった5センチの段差ですら越えられないことを知っていますか」

そう話すのは、埼玉県所沢市に住む森田圭さん(39)です。森田さんは、全身の筋肉が萎縮していく、難病の「筋ジストロフィー」を患い、28歳の時から電動車いすで生活しています。

ニュース画像

森田さんの楽しみは、まだ小さな息子と近くの公園に行くこと。でも、入り口に段差があり、遠回りして別の入り口に行かなくてはなりません。休日に家族で行ってみたいレストランがあっても、前にわずかな段差があるだけであきらめることも多いのです。

「普通のことを、僕たちも普通にしたいだけなんです」

その言葉が重く感じられました。

ニュース画像

街は段差にあふれている

私は、電動車いすを借りて森田さんと一緒に街に出かけました。横断歩道と歩道の境にわずかな段差。歩道と飲食店入り口の間にも数センチの段差。車いすの前輪がひっかかり前に進めません。勢いをつけて乗り越えようとすると、前のめりに転倒しそうになります。東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、バリアフリーのまち作りが叫ばれています。でも、街にあふれる段差のすべてを解消することは、物理的にも無理だと感じました。

5センチの段差をなくそう

でも森田さんは、自分たちなりの方法で段差をなくす活動を始めています。強化プラスチック製のスロープを飲食店や美容室などに依頼して、店の前に置いてもらうことです。

ニュース画像

スロープは折り畳み式で、ふだんは脇に置いておくこともできます。「5センチの段差をなくそう」ーーー森田さんはこのキャッチフレーズとともに、1年ほど前から車いすで生活する仲間たちと店を1軒ずつ訪ね、スロープの設置を依頼しているのです。

ニュース画像

店で熱々のカレーを食べたい

この日訪ねたのは車いすで生活する友人がお気に入りのインド料理店。友人は店の前の段差で店内に入れず、いつもテイクアウト。「お店で、できたて熱々のカレーを食べたい」といつも思っていました。「スロープがあれば、車いすだけではなくベビーカーを押す人も入りやすい店になるので、ぜひ、設置してほしい」とお願いする森田さん。店主は、スロープの設置を快く引き受けてくれました。

“事故が起きたら誰が責任を負うのか”

ニュース画像

これまで1年余りの活動でスロープを設置してくれたのは7店舗。

「スロープで事故が起きたら誰が責任を負うのか」、「ほかの客の邪魔になる」ーーー断られることも少なくないのが現実です。

スロープがもたらす変化

でも、協力してくれた店にはある変化が起きています。

新所沢駅近くにあるイタリア料理店では、森田さんの依頼を受けて去年12月に店にスロープを置きました。私たちが取材に訪れたこの日、車いすの男性2人が来店しました。すると店主の浅井修平さんは、手慣れた様子で案内する席のいすや、車いすの通り道にある物を片づけていました。

ニュース画像

2人とも言葉が不自由だったため、注文に聞き間違いがないか、一つ一つメニューを指さして確認。手も少し不自由そうだとみると食事をテーブルに並べたあとにフォークを手渡しすることも忘れません。

ニュース画像

“自分の考え方が変わった”

実は、スロープを設置するまで重い障害がある人が店を訪れることはほとんどなく、浅井さんは当初、どう対応したらいいのかすらわかりませんでした。

ところがスロープによって車いすの客が来店する機会が増えると、自然とわかるようになってきたのです。レストランはお客さんに料理を楽しんでもらう場所。一人一人の好みが違うように、手足が不自由な人、言葉が不自由な人、それぞれに少しだけふさわしい対応を考えるだけで、より多くのお客さんに料理を楽しんでもらえることができるのです。浅井さんは、「スロープのおかげで、自分の価値感や考え方が変わってきた」と話してくれました。

人と人とをつなぐ懸け橋

スロープの設置は店だけでなくお客さんにも変化をもたらしました。

ニュース画像

この老舗の洋食屋は、森田さんの活動を快く受け入れ、毎朝、段差にスロープをかけています。店の利用客に話を聞くと、こう話してくれました。

「スロープが店の入り口にかかっているのを見て、街なかには段差が多いんだということに気付かされました。段差がない社会が広がればいいと思います」

「障害者の人と日常で身近に接することが少なくわからないことが多いのですが、お店で食事をしているときに接する機会が増えたら、もっと理解し合えることが増えると思います」

障害者が本当の意味で身近に暮らす社会と、そこで深まる障害への理解。森田さんたちのスロープは人と人をつなぐ懸け橋になっているのです。

ニュース画像

もっと人として関わってほしい

森田さんは、1台2万円ほどのスロープ購入のために、仲間とともに定期的に駅前で募金を呼びかけています。「もっと人として僕たちと関わってほしい」と協力を訴える森田さん。「がんばって」と優しく声をかけて千円札を募金箱に入れる高齢の女性。車を止めて小走りに近づき、何も言わずにお札を箱に押し込んで去って行く男性。だっこした子どもの手から募金をする母親もいました。

ニュース画像

「世の中が変わってくれることを待つんじゃなくて、できることがあるならば、自分たちで動いていきたい。そこから、世の中が変わっていくんじゃないかと思います」

そして、「車いすはたった5センチの段差を越えられないことを知ってほしい」

森田さんたちからのメッセージです。