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シリーズ東京五輪今昔物語東京五輪と鳴子こけし

1964年の東京オリンピック。首都から350キロ余り離れた宮城県も地元出身選手の活躍に沸きました。日本選手金メダル第1号となったウエイトリフティングの三宅義信選手、柔道の無差別でオランダのヘーシンク選手に敗れたものの銀メダルに輝いた神永昭夫選手…。

その盛り上がりぶりを知ろうと、当時の地元紙を見返すと「世界の選手に鳴子こけし」という、ひときわ大きな見出しが。東京五輪と“鳴子こけし”。一体どんなつながりがあったのでしょうか。

こけしの街 鳴子温泉

早速、宮城県大崎市の鳴子温泉へと向かいました。

古くから湯治客の土産物として人気を集める鳴子こけし。

温泉街には今も25のこけし店が軒を連ねています。

街を歩けば、電話ボックスや郵便ポスト、車止めやマンホールにまでこけしがデザインされている、まさに“こけしの街”です。

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歓迎のしるし

駅前から共同浴場へとつながる坂の途中に、四代目のこけし職人、岡崎斉一さん(68)の店があります。

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岡崎斉一さん

岡崎さんに東京五輪と鳴子こけしの関わりを尋ねると、店の奥から大切そうに、小さな箱を運んで来てくれました。

箱から取り出したのは、1964年に作られた高さ16.5センチのこけし。

底がくりぬかれ、中には、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、日本語の5か国語で書かれた手紙が丸めて入っていました。その内容は…。

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東京オリンピックに参加の皆様へ皆さんを心から歓迎するしるしとして、日本に古くから伝わる民俗人形「こけし」をさしあげることにしました。「こけし」は数百年前から日本の東北地方に伝わる木製の人形で、武将の勝利を祈念するマスコットとしても愛用されていました。オリンピック東京大会での皆さんのご健闘を心からお祈りいたします。1964年10月

53年前、東京に集った世界のアスリートや役員に、鳴子こけしが贈られていたのです。

夏休み返上の中学生たち

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こけし作りを任されたのは、地元の鳴子中学校の生徒たちでした。

そのリーダーを務めたのが、当時中学3年生、「こけしクラブ」の部長だった岡崎斉一さん、その人。

前の年に鳴子温泉でスキー国体が開かれ、参加者にこけしをプレゼントしたところ好評だったため、東京オリンピックのお土産として白羽の矢が立ったのでした。

しかし問題はその数。国体の時は1200本。東京オリンピックでは、その10倍の1万2000本が必要でした。

およそ70人の生徒たちは夏休み返上で毎日学校に通い、ろくろを回し続けたそうです。

それでも足りず、職人たちが総出で支援。

毎年9月に開いていた「全国こけし祭り」も中止にして、10月のオリンピックになんとか間に合わせたそうです。

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岡崎さんは「とにかく一生懸命、選手に渡すんだという気持ちで、無我夢中で作りました。夏休みが終わってからも1週間、学校に泊まり込みで作り上げ、すべて仕上げた時はなんともいえない喜びでした」と笑顔で振り返りました。

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あのアスリートにも…

こうして作られたこけしが、どのように選手の手に渡ったのか、当時の映像を調べてみると、見つかりました。

選手村でのこけしの贈呈式です。

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その映像でこけしを受け取っていたのは、男子マラソンで2大会連続の金メダルに輝いたエチオピアの“はだしの英雄”、アベベ選手でした。

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岡崎さんには大会終了後、鳴子中学校にアベベ選手から直接、お礼の手紙が届いたそうです。

また当時のソビエトの選手からは民芸品のマトリョーシカを贈られたということで、こけしに込めた歓迎の心が、世界のアスリートに伝わったことが分かります。

岡崎さんは「自分たちが作ったこけしを世界中の選手にプレゼントするなんて夢にも思っていませんでした。本当にすごい経験をしました」と、中学生だった当時のように目を輝かせていました。

こけし=Kawaii

世界にこけしが紹介されたその時から半世紀余り。

再び東京五輪が開かれることになった今、こけしは日本の「Kawaii(かわいい)」文化の広がりとともに、海外から注目されるようになってきたようです。

試しに鳴子温泉を訪れていたアメリカ人観光客に声を掛けると、力強く「I love Kokeshi!」との答えが返ってきました。

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この女性、自宅に100本以上のこけしがあるということで、「私の誕生日に子どもたちがこけしを並べてバースデーパーティーを開いてくれたのよ」とスマートフォンの写真を披露しながら嬉しそうに語ってくれました。

手書きの表情やデザインが、1つ1つ微妙に違うところがおもしろく、いつも眺めて楽しんでいるとのことで、こけしの魅力を深く理解しているようでした。

KOKESHIを世界へ

観光で日本を訪れる外国人が年々増えている中、外国人を意識した新たなこけし作りに取り組む職人も鳴子温泉にいます。

前回の東京大会で、こけしの絵付けを担当した桜井昭寛さん(66)です。

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桜井昭寛さん

当時は中学1年生だった桜井さん。

今は息子の尚道さん(29)と一緒に家業のこけし店を守っています。

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2020年の東京大会を「再びこけしが世界から注目される節目」と捉え、英語のパンフレットを作成。

さらに外国人の好みを意識し、デザインをよりシンプルにしたうえで絵付けにパステルカラーを使ったこけしを生み出しました。

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“日本の民芸品”という枠を超え、海外のミュージアムショップでも販売してもらえることを念頭に置いたそうです。

パリにも先回り

桜井さん親子は、ことしの1月には2024年のオリンピック開催地でもあるパリで開かれた見本市にブースを出してこけしをPR。

この“先回り”の営業がきっかけとなり、海外との取引が始まったそうです。

桜井昭寛さんは「海外の人にこけしがどう見られているのかを日頃から考えてきた。世界の多くの人にこけしの文化を知ってもらいたい」と意欲満々です。

息子の尚道さんも「2020年までには海外の人たちに再びこけしを認識してもらえるよう、父と一緒に取り組んでいきたい」と話していました。

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尚道さん

変わらない思い

最も多い時には100人ほどいた鳴子のこけし職人は、後継者不足や売り上げの減少などに伴って30人ほどまでに減り、この地域ならではだった、中学校の「こけしクラブ」も今はありません。

しかし“こけしの文化を今に伝え、残していきたい”という職人たちの心意気は、半世紀余りがすぎた今も変わっていません。

2020年の東京大会を契機に、こけしをはじめ、日本が誇る地域の文化にも光があたってほしい。

休日に鳴子の温泉に浸かりながら、改めてそう感じました。(仙台放送局記者 成田大輔)