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シリーズ東京五輪今昔物語「鍵っ子」言葉は消えても

「おかあさんへの願いは会社から早くかえってきてほしいことです」。「あまりおそいと、おなかがすくしさみしいからです」。
50年前、教育雑誌に紹介された作文のテーマは「鍵っ子の願い」。
前回の東京オリンピックの頃、働く女性が増えて「鍵っ子」という言葉が生まれ、社会問題とも言われました。かつての鍵っ子と今の鍵っ子、会いに行くと時代の中で変わったもの、そしていつの時代でも変わらないものがありました。

社会問題とされた「鍵っ子」

昭和30年代後半の高度経済成長期、オリンピック景気という言葉も出てきて核家族化と女性の社会進出が起きていました。
その時のNHKのニュースに、鍵を腰からぶら下げた子どもが出てきます。タイトルは「カギっ子に多い母親への不満」となかなか深刻です。

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五輪の翌年には企業などで働く15歳以上の女性の雇用者数は876万人に達していました。鍵を持って、親が帰るまでの時間を過ごす子ども「鍵っ子」が増えました。「精神的に孤立する」「犯罪に巻き込まれる危険性がある」などと言われ社会問題として取り上げられることもありました。

当時の教育雑誌では「空腹の子どもが待っているとわかっていても退社できない風潮がある」「鍵っ子は“子ども”の問題というよりおとなの問題だ」と書かれていました。

立ち上がる母たち

放課後の居場所として「学童保育」のニーズが高まったのも鍵っ子の増加を背景にしています。受け入れが十分でない中、母親たちが立ち上がりました。

東京・狛江市で小学校の教員をしていた大久保洋子さん(73)。小学校入学を控えた長女の居場所を作ろうと、働く親たちと声を掛け合いました。

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夜な夜な空き地に20人から30人が集まり自分たちの手で学童保育を作ろうと話し合いを重ねたのです。

「手分けして候補となる土地を自転車に乗って市内中、探し回りました」
「しかし近所の人からの反対もあり、なかなかうまくいきませんでした。なんとか子どもの居場所を作ろうと必死でした」



最後は、市の職員や議員にも掛け合って用地と指導員を確保。1年近くかけてプレハブ作りの自主学童を作ったのです。

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今、狛江市には学童保育を行うところが12か所あります。狛江市のホームページには市の学童の礎を作ったとして大久保さんたちの話が紹介されています。

鍵っ子だった

母が作り上げた自主学童に通った長女の大久保しのぶさんはいま46歳になりました。介護施設で働きながら3人の子どもを育てるシングルマザーです。当時の思いを聞くと遊ぶ友達はみな鍵っ子で、学童にいる時は楽しかったと話していました。

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「でも、かぜをひいてもお母さんが休めなかったり運動会に来られなかったりして寂しかった思い出があります」
「母になったいま、あの時、母がどんなにつらい思いだったか、わかるんです。寂しい思いもしましたが、働いていた母は私にとって頼れる、そしてたくましい存在でした」

昔と違うのは…

鍵っ子という言葉、聞かなくなって久しいですが、今、共働き世帯の数は1129万世帯。放課後、家で待つ人がいない子どもは増えているはず。夕方、狛江市の郊外にある団地を歩いてみました。

多くの子どもたちがサッカーやローラーボードで遊んでいます。小学生8人に聞いてみるとみんな両親が共働きでした。
「鍵っ子」という言葉は誰も知らず、鍵を首やズボンに下げるのではなくランドセルのポケットやポーチに忍ばせていました。

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そして、もう一つもっていたのが、携帯電話です。子ども用でボタン一つで親につながるようになっています。話を聞こうとするとすぐ携帯電話に手が伸びました。「あのね、今NHKのおじさんが来て、鍵がどうのとか、何か変なことを聞いてくる」。慌てて電話を代わってもらい、お母さんに丁寧に事情を説明し事なきを得ました。

鍵を持たない鍵っ子

鍵を持たない鍵っ子もいました。狛江市の松田直美さんには小学3年生の長女がいますが、鍵を無くすことが心配で渡していません。 その代わりスマートフォンで遠隔操作して施錠・開錠するスマートロックを持っていました。鍵の閉め忘れの心配もなく職場にいながらアプリで操作して鍵を開け閉めしているそうです。

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ママも頑張っているから

今の鍵っ子はどんな思いでいるのか。少しでも知りたいとある男の子に密着することにしました。
かつて自主学童で過ごした大久保しのぶさんの長男で小学5年生の燦太くんです。放課後に密着すると燦太くんはランドセルを置いて児童館に向かいました。すぐに友達と大好きなドッジボールをして楽しんでいました。

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ただ周りに同級生の姿はほとんど見かけません。いま、塾やスポーツなど放課後を習い事で過ごす子どもが多く、週に4、5日も通う子もあちこちにいます。水泳をやっていましたが途中でやめて、いま習い事のない燦太くんは少数派です。

午後6時。利用時間が終わると、しのぶさんの職場に向かいました。介護施設のホールに並んだテーブルの端や事務所のベンチ。そこで毎日、お母さんの仕事が終わるまで時間を過ごします。
学校の宿題を済ませたり、携帯電話のゲームをしたりして母を待っています。

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お母さんが忙しくて寂しいと思ったことはないか、単刀直入に聞きました。

最初は「同級生がもう少しいればいいなとは思うけれど、寂しい気持ちにはならない」そう答えました。
そして「おなかがすいているときは早く帰ってほしいと思うこともある」
でも「ママが頑張っているのを見ているから僕も我慢できる」

変わらない思い

午後7時半、しのぶさんの仕事が終わりました。午後8時過ぎまで仕事をすることもあり、この日は少し早く終わったようです。燦太くんお母さんのもとに駆けつけ、うれしそうに「帰ろう」とせかしました。そして2人はそれぞれの自転車に乗りました。

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オリンピックから50年余。鍵っ子という言葉が使われなくなったのは、働く母親が珍しくなくなり、学童にせよ、習い事にせよ、子どもの居場所も増えてきたからかもしれません。時代が変わり鍵っ子という言葉は消えかけても親がいない時の寂しさは子どもたちの中にありました。そして親を誇りに思う気持ちも子どもたちの中に変わらずにありました。しのぶさんと燦太くんはこちらに手を振り、夜の住宅街の中を並んで帰って行きました。
(ネットワーク報道部記者 飯田耕太)