もっとうまくなりたい ~池田晶子さん

家事を終えて子どもを寝かしつけたあと、机に向かって繰り返していたのはデッサンの練習です。

大ヒットアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」や「響け!ユーフォニアム」などで世界中のファンを魅了するキャラクターをデザインしてきた京都アニメーションの池田晶子さん。

“もっとうまくなってみんなを楽しませたい”

そのひたむきな向上心で育児とアニメーターの仕事を両立してきました。

(京都放送局 記者 海老塚恵)

ぷにっとしたキャラクター

池田晶子さん(寺脇晶子さん)は平成8年に京都アニメーションに入社し、会社が制作業務の一部を請け負ったテレビアニメ「犬夜叉」で作画監督に抜擢。

元同僚によると、池田さんが担当した回のキャラクターは「かわいくてかっこいい」と評判になり、次第に注目されるようになったといいます。

平成18年に放送が始まった「涼宮ハルヒの憂鬱」ではキャラクターデザインを担当。かわいらしさとまっすぐさ、そして不思議さを合わせ持った主人公を描き上げ、世界中のファンを魅了しました。元同僚は池田さんが描く女性のキャラクターには独特の柔らかさがあったと、その魅力を表現します。

元同僚アニメーター
「触れたらぷにっとしそうとでもいいましょうか。手、指、目など丸みのあるのが特徴で、指の爪ひとつの描写にも美しさが感じられました。描いた絵が本人に似てくるというのはよくあることで、この柔らかさに池田さんらしさがよく現れていると思います」

80人以上のキャラをデザイン

池田さんの柔らかいキャラクターの魅力が詰まっている代表作が「響け!ユーフォニアム」です。

京都府宇治市を舞台に、吹奏楽に青春をささげる高校生たちの日常を描いた作品で、女子高校生を中心に、80人以上のキャラクターをデザインしました。

その過程をまとめたラフ集では、主人公の「黄前久美子」のデザインを決めるために輪郭を丸くしたり、口を少し大きくしたり、ワンポイントの髪飾りをつけてみたり…。細部にこだわって試行錯誤するようすが描かれています。

このラフ集で池田さんは「ぜいたくにも時間を目いっぱいに使わせてもらい、プロらしい仕事ではなかったなーと反省しきりです。それでも結果的には、この回り道があって初めて生まれた久美子たちだったのだと思います」とコメントしていました。

お祭り騒ぎになってほしい

何度も描き直し、ひたむきにアニメ制作と向き合う池田さんの姿を夫もそばで見てきました。

2人の子どもの母親だった池田さん。家事を終えて子どもを寝かしつけたあと、自宅の3階にある机に向かって、写真やモノをおいて、デッサンの練習を繰り返していたといいます。京都アニメーションの取締役として若手のアニメーターたちを引っ張っていく立場になってからも自宅での作画の練習は続けていました。

池田さんの夫
「花瓶を置いて絵を描いていたので『何しているの?』と尋ねたら、私は絵が下手だしもっとうまくなりたいと言っていました。自分が若い子たちの手本になりたいと。よくモデルになってくれって頼まれたんですけど、私の顔を描くとかではなく、首筋のラインだけとか指の曲がりだけを描くとかそういうモデルでした。アニメに関してとなるとこだわりのスペシャリストで、描く時間を惜しまないし、自分に対する評価も厳しい。でも子どもに対しては優しかったです」

夫は育児と仕事を両立させてきた原動力は作品を見た人たちを喜ばせたいという思いだったと明かしました。

池田さんの夫
「アニメを通じてみんな楽しんでほしい。お祭りさわぎになってほしい。そのきっかけに自分の作ったアニメがなってくれたらいいなと言っていました。みんなが楽しんでくれるかどうか、それをひたすら追求していましたね」

デッサン机は子ども机に

池田さんがデッサンを繰り返していた机は、いまは小学5年生になった長男が引き継いで、勉強机として使っています。長男の将来の夢は人の命を救えるお医者さんになることだといいます。

京都アニメーションのスタジオ放火事件に巻き込まれ、44歳で亡くなってから3年。時間がたち、少しずつアニメーターだった母親との思い出と向き合えるようになってきたことで、家族はその思いや残してきたものを伝えたいと考えています。

池田さんの夫
「妻は日本のアニメ業界の将来を本当に心配していました。このままじゃだめだって。スキルとかクオリティの面ではなく、仕事をする環境として良い作品を作れる環境じゃないって心配していました。作品の素晴らしさだけでなく、アニメーターの待遇改善など妻が日々考えていたことをみなさんに知ってもらいたい」

思い出の場所を巡る

ことし、夫と長男は「響け!ユーフォニアム」の舞台となった宇治市を訪れました。いっしょに立ち寄ったお団子屋さん。除夜の鐘をつきに来たお寺。アニメのパネルが展示されている市の観光センターなどを巡りました。

作品にたびたび登場し、響け!のファンの間では「久美子ベンチ」と呼ばれるベンチを訪れると、当時池田さんが語っていたことを教えてくれました。

池田さんの夫
「アニメが放送されていたときにこのベンチに一緒に来て、聖地巡礼みたいなことをしたことがありました。その時にはこのベンチが老朽化していて良くないと話していましたが、後日、ベンチの修理を誰かがしてくれたって喜んで話をしていました」

“生き続ける”キャラクターたち

今回、複数の元同僚アニメーターにも話を聞きましたが、みなさんの口から語られたのはテキパキと作画をこなし、強い責任感で真摯に仕事と向き合う池田さんの姿でした。

社内では若いアニメーターたちをひっぱっていくまとめ役でもありました。元同僚の1人は「たくさんの作品が池田さんのことを鮮明に思い出させてくれます。すばらしい作品をありがとうございますと、いまもずっと思っています」と感謝の思いを語りました。

もっとうまくなりたいと常に向上心を持って、アニメーション制作に最後まで取り組み続けた池田さん。「響け!ユーフォニアム」のスタッフの寄せ書きに、こうつづっています。

“みんなそれぞれいろんな想いをもって生きているので、全てのキャラクターに「生きている」らしさを注入したいなと思ってデザインしています”

生き生きとしたキャラクターたちは受け継がれ、これからも多くの人たちの心を捉え続けます。