事件当時 土師さんを支えたのは
土師さんの次男、淳くんが少年に殺害された平成9年。当時、犯罪被害者を守るための制度や支援はほとんどありませんでした。土師さんは人権やプライバシーをないがしろにされ、援助も少なく、精神的につらい日々だったと振り返ります。
「本当に被害者の立場や状況っていうのがまったくひどいものであると、自分が被害者遺族になって初めて分かりました。メディアスクラムもひどい状況で、とてもじゃないですけど、いまのように記者の人としゃべる気には全くならなかった」
犯罪被害者支援センターなど民間の組織もほとんどなく、土師さんを支えたのは、捜査のために自宅に常駐していた警察官だったといいます。
「逆探知のために家に24時間警察官がいたんですけど、いい人が対応してくれたと思います。話し相手になってくれましたし、買い物に行けない妻の代わりに買い出しに行ってくれたり。その後もずっと担当した方とは付き合いがありました。やはり話を聞いてもらうと、自分の気持ちを整えていくことができるわけですから、すごく重要だと思います」
土師さんは事件のあと、犯罪被害者の権利を向上させるため、全国犯罪被害者の会「あすの会」に参加し、中心メンバーとして活動してきました。事件から7年後の平成16年には「犯罪被害者基本法」が成立。この法律がきっかけになって、給付金の金額が引き上げられたり、刑事裁判に被害者が参加できる制度が初めて作られたりするなど、状況は大きく改善していきました。全国各地に民間の犯罪被害者支援センターも設置され、相談体制も拡充してきました。
京アニ放火事件「支援の手が届いているか心配」
みずからの経験をもとに、長年、犯罪被害者と向き合ってきた土師さんは、京都アニメーションの事件でも何か力になれることはないか考え続けています。今回の事件では多くの寄付金が集まり、金銭的な補償は行われているものの、細やかな生活支援や精神面でのケアなどが1人1人に十分行き届いているのか不安を感じているからです。
「あまりにも被害者、被害者遺族の数が多く、当然、支援する人間の数もかなり必要になってくるんじゃないかと思っていました。しかしニュースを見ている限りでは、全国的に人を集めたとか、そういうことは聞こえてきません。支援の手が届いていないところが多いのではないかと心配をしています」
とくに精神面は時間とともに変化していくため、支援する側は連絡を待つだけでなく、定期的に取り続けることも大切だと考えています。
「遺族や被害者自身が、自分たちがどういう支援を必要としているかということを、混乱した状況の中で理解できていないと思うんですよね。被害者の心的な状態っていうのは時期によって全然違ってくるので、ずっと接し続けることが大事です。最初は支援は必要ないと思っている人でも、張り詰めている気持ちがどこかで切れてしまう時もある。『支援は必要ありません』と言った人が本当にいらないかというのは話が違ってくるので、長い目で見ていく必要があると思います。そうすれば、その人の精神が危うくなったときの信号を捉えやすくなる。『大丈夫ですか、最近はちゃんと食事取れてますか』。それだけでもいいと思うんです」
そして、穏やかな口調のまま続けました。
「支援が必要でない、全く必要でない被害者遺族っていうのはいないと思います。人間ってそんなに強くないですよ」
自治体によって支援の内容に「格差」も
今回の事件では、36人が死亡、33人が重軽傷を負い、殺人事件としては平成以降最悪の犠牲者が出ました。北海道から九州まで全国に被害者が広がったことで、土師さんは住んでいる自治体によって、支援の格差が広がることも懸念しています。
犯罪被害者の支援制度は、平成16年に成立した基本法をもとに、大きな枠組みは整えられてきました。
一方で、家事や育児のサポート、見舞い金の給付など、生活に必要な細かな支援については、それぞれの自治体ごとに、独自に特化条例を定めて対応しています。
しかし、警察庁がことし4月時点でまとめたところ、全国1700余りの自治体のうち、こうした特化条例を定めているのは2割弱にとどまっています。
事件を受けて、亡くなったアニメーターの出身地の静岡県菊川市は新たに特化条例を制定し、遺族に30万円の見舞い金を給付できるようにしました。また京都市も条例を見直し、家事サービスや子どもの一時保育の利用料の補助を始めました。土師さんは住んでいる自治体によって、受けられる支援の内容が異なる現状を改善していってほしいと考えています。
「被害者に直接対応するのは現実的には市町村ですから、条例は必ず必要だと思います。これほどの重大事件ですので、今回のことをきっかけにして大きく見直していってほしい」
あすにつなぐ支援
土師さんが長年活動してきた全国犯罪被害者の会「あすの会」。この名前には「今日は苦しいが、あすはきっとよくなる」という願いが込められています。あすの会は状況が改善し、一定の役目を終えたとしておととし解散し、「つなぐ会」という新たな会に活動は引き継がれました。
京都アニメーションの放火殺人事件から1年経った7月18日。遺族の有志は文書でコメントを発表しました。そこには次のようなことばがありました。
京都アニメーション放火事件 遺族有志のコメント
「このような筆舌に尽くしがたい犯罪被害に遭い、私たち遺族は暗く深い闇に投げ出されましたが、これまで日本社会で起こった犯罪被害に立ち向かった多くの方々により、遺族を含めた被害者が平穏な生活を営むことができるよう支援する仕組みづくりや書籍などの情報発信が行われてきていました。そのことも私たち遺族の支えとなりました。この積み重ねや関係者の方々にも深く感謝いたします」
ある日突然、犯罪に巻き込まれてしまった被害者に同じ苦しみを味あわせたくない。あすへとつなぐ支援のあり方の模索はいまも続いています。