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親だって支援が必要~虐待に科学で挑む3
なぜ子どもを虐待してしまうのか。これまで2回にわたって、いくつかの要因が重なると誰もが虐待の加害者になり得ることをお伝えしました。3回目の今回は虐待の要因の1つ、「子育ての困難さ」を軽減させる取り組みについてお伝えします。この要因は、第三者が介入して支援することで、軽減することができます。子育てのしかたがわからない親や、子どもに愛情を感じることができない親の行動が虐待に行き着いてしまわないように、各地で支援の取り組みが始まっています。
(さいたま放送局記者 浜平夏子)
子どもとの関わり方を学ぶ
前回、前々回も取り上げた、虐待の要因を研究している脳科学者の黒田公美さん。今はほかの研究者や精神科医、心理士などのグループと連携して、親を支え親子関係を支援するプログラムを提供する仕組みを全国的に広げることができないか話し合いを重ねています。
黒田さんたちが注目しているプログラムの一つに、アメリカで心理学の知見に基づいて開発された、親子の愛着の回復を目指す行動療法、「PCIT=親子相互交流療法」があります。親がどう行動すればいいのか、実際に体験しながら学んでいくプログラムで、都内のクリニックなどで行われています。
参加した親子はマジックミラーのついた部屋に入ります。治療を担当する精神科医などはその様子をマジックミラー越しに別室から見守ります。親は耳にイヤホンをつけていて、別室の医師などから、トランシーバーを通じて、どう行動すればいいのか、指示を受けます。
私が取材したのは3歳の息子を育てる40代の母親です。母親は自分が子どものころ、親から褒められた記憶がなく、傷つくようなことばを何度も投げかけられたといいます。そのため自分の息子との向き合い方がわかりませんでした。
この日は親としての「良い指示」の出し方や、子どもが指示に従った時にどうするかなどを学びました。
子どもはおもちゃで遊び始めました。
遊びが始まり、落ち着いたタイミングを見計らって、医師たちは母親に「おもちゃをそっと箱の中にしまってください」と子どもに伝えるよう指示しました。子どもが行動に移るまで、5秒間、何も言わないでじっと待つことも伝えました。
すると、子どもは自分でおもちゃをそっと箱にしまいました。
さらに母親は医師に言われたとおり、「静かに上手にやってくれてありがとう」と息子を褒めました。息子は得意そうな顔をしました。
普通のように思えるやり取りですが、親から褒められる経験がないまま育った母親にとっては、「褒める」という子育ての基本のプロセスと子どもの前向きな反応を理解し、体験する初めての機会になりました。
PCITで学ぶのは子どもとの関係を改善するスキルや効果的な指示の出し方、それに子どもが指示を受けた時の対応などのスキルです。
具体的には、
1 『具体的賞賛』→「上手に絵が描けたね」だけではなく、子どもの行動や作ったものについて「一生懸命、線路をつなげて描いてかっこいい」など、具体的によい点を褒める。
2 『繰り返し』→子どもの言ったことをそのまま繰り返して言う。
3 『行動の説明』→子どもの行動が適切な場合、子どもを主語にして具体的に行動の説明をする。「○○ちゃんは車のおもちゃを走らせています」いわば実況中継。
こうしたやり取りで、子どもの行動のよい面に目を向け、親子は関係を改善することができるといいます。
一方で質問や命令、それに批判は避けさせます。子どもの適切な行動には関心を向け、子どもがかんしゃくを起こすといった不適切な行動に対しては積極的に無視をするというやり方を繰り返すことで、親子が適度な関わり方をお互いに学ぶのです。
取材した母親はプログラムを16回受講したといいます。「このプログラムに参加して子どもを褒めるやり方を初めて知った。子どもも私の言うことを聞いてくれるようになった」と話していました。
親子をまるごと支援
ただ、このプログラムでは、自分で受けようという意思がある人しか支援することができません。黒田さんたちは、本当に虐待を防ぐには「アウトリーチ」、つまり子育てに苦しんでいる親のもとへ支援者が「出向いていく」必要もあると考えています。
そんな支援が可能なのか、私(記者)が黒田さんの共同研究者に尋ねたところ、東京の訪問看護を行っている会社の取り組みを紹介されました。
私が訪れたのは東京 立川市にある「円グループ」です。ここでは精神的な病気のある人たちの訪問看護を行っています。
その中には子どもを放置してしまったり、傷つけてしまったりするリスクがある親もいます。この日、看護師の安藤貴世さんが訪れたシングルマザーの家庭では、部屋の様子や何気ない会話の中から、母親の状態を確認していました。
母親は統合失調症で、気分が沈むと寝込んでしまい、娘の世話ができなくなることもあるといいます。週に1度のペースで訪れる安藤さんに、子育てに関するささいな悩みや不安を相談しています。
母親は小学校入学を控えた娘の就学準備に悩みを抱えていました。安藤さんは母親の悩みを否定せず、気持ちに寄り添って聞き続けました。
すると、『頑張っているママに』とカラフルに色がつけられた貝殻を娘からプレゼントされたという前向きなエピソードを聞くことができました。
安藤さんは娘の様子も把握し、親子を「まるごと」支援しようとしています。
心がほどけていく場
この会社の特色は、単に訪問看護をするだけでなく、精神的な病気のある親どうしが交流できる場も作っていることです。診療報酬の対象にはなりませんが、支援の質を上げるためにこの取り組みを始めたといいます。
月に1度の交流会では、精神的な病気のある母親やその子どもが事務所に集まります。
1月に私が取材した時は、8人の母親が集まりました。看護師や精神保健福祉士なども交えて、2時間にわたって自分の近況や思いを語り合いました。
会場ではお茶やお菓子が出され、和やかな雰囲気でしたが、そこで語られたのは赤裸々な母親たちの“本音”でした。
「私はどうしても子どもを愛せない。責任感だけで子育てしている」
「出産後、私が精神的な病気になり、家族が崩壊した」
私はこの“本音”に驚きましたが、子育て中の自分にも思い当たるふしがあると感じていました。私にとって子育ては思うようにいかないことの連続で、イライラしてしまうこともあるからです。
集まった母親たちはこの“本音”に「うん、うん」とうなずいています。この場に母親を批判する人は誰もいません。みんなそれぞれの本音にじっと耳を傾けていました。
自分の病気や子育ての難しさなど近所のママ友には話しづらい“本音”をはき出した母親たち。母親たちの集まりは、自分について話すことで気持ちを整理し、同じ境遇の母親たちの話を聞いて共感する場になっていました。
取材した母親は「ふだんの心のモヤモヤがここで話すことでほどけるんです」と話していました。
実は、母親たちが語り合っている間、別の会場では看護師が子どもたちと遊んでいます。子どもの成長の様子や気になる点を確認するためです。
そして、すべてが終わった後、スタッフが残り、母親の様子と子どもの様子をそれぞれ報告し合い、今後の訪問看護サービスに生かすということです。
本能でも、うまくいかない
冒頭で紹介した黒田さんが子育てに関する講演会で触れることばがあります。
それは「子育ては本能だけど最初からうまくできるわけではない。初めてのセックスが上手にできましたか、それと同じです」。
少し刺激的な表現ですが、子育てに困難さを感じることは誰にでもあり得ることで、虐待を受けた経験や精神的な病気などがあれば、なおさら難しさが増します。だからこそ、黒田さんは親たちを支援する取り組みが重要だと感じているのです。
これまでの取材で、子どもへの虐待は親のさまざまな背景、生きづらさの矛先が子どもに向かった結果、起きてしまうものだと感じています。子育てはうまくいかないことの連続で、イライラ・モヤモヤしてしまうこともあります。
そんな時、支えになる選択肢がたくさんあって、どれか1つでもその人のもとに届けば、親のイライラ・モヤモヤはおさまるかもしれません。
虐待をなくすには、子どもを守る支援はもちろんですが、親をさまざまな形で支える仕組みを、日本中どこでも、必要とする人たちに行き渡らせていくことが必要なのではないでしょうか。
さいたま放送局記者
浜平夏子