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子どもと離れる勇気 ある母親の選択

「お母さんなんだから、私が頑張らなくちゃ」
そんな気持ちとは裏腹に、体が思うように動かない、赤ちゃんの世話ができない。そんな状況になっている方も少なくないと思います。それは産後うつの症状かもしれません。重度になると、自分や子どもを傷つけてしまうおそれがあります。最近も痛ましい事件が繰り返し起きています。勇気がいるかもしれないけど、一度、子どもと離れてみるのも助けになるかもしれないよ。そう教えてくれた1人のお母さんの話です。
(ネットワーク報道部記者 野田綾)

「お母さんになったんだから、頑張らなくちゃ」

都内に住む30代の女性。4年前、娘を出産しました。生まれ育った地域から離れ、頼れる親もすでに亡くなっていて、夫に支えられながら、初めての子育てに奮闘していました。

「長女だったこともあり、自分はしっかりしていなくてはならない、何でも自分でやらなくてはと思う性格でした。母親になってからはさらに責任感が増し、『お母さんになったんだから自分が頑張らなくては』と強く思うようになりました」

出産から3か月がたつころ、体に不調を感じ始めました。

「今までやってきたことができなくなったのです。娘のお世話ができない。おむつを替えるのもしんどくなってしまって。判断力は低下し、体が動かなくなってしまった。大切な娘が全くかわいいと感じられなくなってしまったんです」

自分はどうしてしまったのだろう。女性は夫に相談します。すると想像もしていないことばが返ってきました。

「子育ては手伝うけど、仕事は休めない。育児休業は取れないと言われました。母親なんだから頑張れと。そして、どうせ一日中おむつ替えぐらいしかやることないだろうと。もうダメだと思いました」

子育てを手伝ってほしい母はもういない。義理の母親には子育てができないなどと言えない。夫はこの苦しさを理解してくれない。

最後の希望を求めて、たどりついたのが区の保健センターでした。女性の異変を表情から感じとった保健師はすぐに受診することを勧め、付き添ってくれました。

「ずいぶんとひどい顔をしていたのでしょうね。すぐに病院に行こうと言われ、付き添ってくれました。すると受診したクリニックで、さらに詳しく調べたほうがよいと言われ、より大きな精神科を紹介されました」

医師の診断は「重度の産後うつ」でした。女性は夫と共に受診したその日から、入院することになりました。

「宝物として大切にお預かりします。一緒に頑張りましょう」

夫はなんとか仕事をしながら娘を育てようとしましたが、1人では育てることが難しく、児童相談所に相談しました。

なるべく家庭的な環境で育ててもらいたいと希望したところ、児童相談所に紹介されたのは、自治体の認定を受けた里親でした。実の親と里親は、トラブルが起きるのを防ぐため、基本的に顔を合わせない形で運用されることが多いといいますが、この親子の場合は、里親を紹介されました。その里親から言われたことばに救われたといいます。

「初めて里親さんに会ったとき、『おうちに帰るまで、宝物として大切に育てますね』と言われました。安心しました」

里親に連れられて行くわが子を見送るとき、耐え切れないほどのさみしさを感じながらも、「早く元気になって迎えに行かなくては」と自分を奮い立たせました。

「離れていても父母に対して人見知りをさせない」

里親は離れている間も親子の絆を途切れさせまいと努力を重ねました。

まず週に2回、児童相談所を介して親子の面接を繰り返しました。

そして会えないとき、親子をつなぐのは動画でした。面会の時に里親が撮った、女の子の名前を呼ぶ両親の動画を、会えないときも繰り返し女の子に見せ「ママだね、パパだね、またすぐ会えるね」と声をかけました。

また、日々のめざましい成長を見逃してほしくないと、女の子の様子を撮影し、両親に送りました。

努力は形として表れました。

「預けて5か月後、体調も落ち着き始め、娘が一時的に家に帰ることが許されたときに、『ママ』と呼んで後追いをしてくれたのです。離れていたのに自分を母親として認識してくれている。当時の自分にとって、これ以上ない薬になりました」

母親は、みるみる回復していきました。預け始めてから8か月。1歳の誕生日を迎える直前、女の子は両親のもとに帰ることができました。

「家庭的な養育が優先」

親が育児をするのが難しい状況になったとき、児童相談所を介して子どもを施設などに預ける制度は以前からありましたが、最近は、里親が優先されるようになっています。

平成28年の児童福祉法の改正では「里親や特別養子縁組などで養育されるよう、家庭的な養育が優先される」と定められました。現場では、どのように対応しているのでしょうか。

都内のある児童相談所の担当者は「親御さんが里親のもとでの養育を希望する場合は最大限尊重し、子どもの養育環境を整えます」と話しています。

ただ、里親に預けられるのは次の3つの課題を解消できるケースだといいます。

1つ目は子どもに特別な配慮が必要ではないこと。
落ち着きがなく、じっとしているのが苦手だったりすると、里親の家庭で預かることが難しい場合もあるからです。


2つ目はすぐに預けられる里親が見つかるかどうか。
東京都では、乳児の場合、乳児を預かるための特別な研修を受けている里親にしか預けないという決まりがあります。里親がいたとしても、子どもが乳児だと、条件が合わずに預けられないことがあるのです。


3つ目は親子の面会の頻度。
東京都では、実の親と里親の間のトラブルをさけるために、双方を引き合わせることは基本的にはしていません。実の親は児童相談所まで出向いて、施設内で子どもに面会しなければなりませんが、乳児の場合、児童相談所へ連れて行く回数が多くなると、乳児にとって負担となります。このため、親が子どもと頻繁に面会したいと希望している場合は、乳児の負担にならないように乳児院に預けるよう勧める場合もあるといいます。

この担当者は「子どものためにいちばんよい環境を用意するようにしています」と話していました。

東京 中野区では独自の取り組みも

少し子どもと離れて自分をリセットしたい。そんな母親を地域で支えようと、東京 中野区は「ショートステイ協力家庭事業」という里親に似た制度を昨年度から始めました。

3歳から17歳までの子どもを2泊3日、地域の家庭で預かるという制度です。昨年度は親の急な出張や入院などの理由で一時的に養育ができなくなった家庭が対象でしたが、今年度からは子育ての休息を求める家庭なども対象となりました。

中野区では日々の育児相談の中で、子育ての環境を整えるには親を休ませたほうがよいと感じた場合には、この制度の利用を勧めるということです。また、利用する場合は、実の親に協力家庭と会ってもらい、安心して子どもを預けてもらえるようにしています。

中野区子ども家庭支援センター 神谷万美所長

中野区子ども家庭支援センターの神谷万美所長は「子育てに疲れたときに地域の家庭に預ける。それをきっかけに、地域に子育てを手助けしてくれる顔見知りを増やしてもらいたいと思います。支える側にも、協力家庭として短期の預かりを経験することで、その後里親にステップアップするきっかけにしてもらいたい」と話しています。

そのうえで育児で追い詰められている母親たちへのメッセージとして、「悩みを抱え込まないで、誰かに相談してください。お友達や保育園の先生など身近な人でいいです。そうすれば気持ちも楽になるし、何か支援につながるかもしれないので」と話してくれました。

“独り”で育てなくていいんだ

冒頭で紹介した、都内に住む親子。5月のある日、女の子は里親のもとに泊まっていました。これまでと違うのは児童相談所を介さず、親戚の家に泊まるように訪ねて行ったこと。

この親子と里親は預かる期間が終わっても、一緒に女の子の誕生日を祝うなど、家族ぐるみのつきあいを続けているのです。今回は、母親が仕事で研修に参加して帰りが遅くなるため、数日間、娘を預かってもらいました。

女の子が「1人で泊まるのはイヤだ」と言ったため、母親も研修から帰ると里親の家に泊まらせてもらいました。

この間、女の子は里親の家の子どもたちに「末っ子」のようにかわいがられ、おもちゃを自由に使って遊んだそうです。里親の近所の人も成長を温かく見守ってくれていて、大好きなびわの実を届けてくれました。

女の子はたくさんの人に愛され、のびやかに成長しています。

母親はこう話してくれました。

「『お母さんはひとりじゃないよ。頑張らなくていいよ。みんなで育てようよ。社会で育てればいいじゃない』助けてもらって今がある、これが私の気持ちです」

現在の児童相談所の運用では、基本的に実の親と里親が引き合わされることはなく、今回は例外的なケースといえます。ただ、お互いに顔を合わせて交流が生まれ、確かな信頼関係を築くことができた場合、里親は親子の力強い支えになると感じました。

中野区のように、里親に似た制度を導入した自治体もあります。また、どの自治体にも、日中、地域の子育て経験のある人が子どもを預かる「ファミリーサポート」や、保育園の一時預かりなど、母親が1人の時間を持つための手助けがあります。

限られた時間とはいえ、子どもと離れるのは勇気がいることだと思います。それが一定の期間になる場合、子どもを手放すという罪悪感、気持ちまで離れてしまうのではないかという不安は拭い切れないかもしれません。

ただ、子どもがかわいいと思えないほど追い詰められた時、思い切って助けを求めれば、頼れるサポーターを得られるかもしれないことを、この母親は私に教えてくれました。

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