天気予報と知る権利 知られざる“空白”

私たちが毎日、欠かすことなく目にする「天気予報」。
専門家によりますと、実は「天気予報」は、憲法で保障された「知る権利」によって守られています。
ところが、世界ではひとたび戦争が起きると、天気予報は軍事機密として隠され、かつては日本でも日常生活から消えたことがありました。
5月3日で憲法の施行から70年を迎えるのを機に、「天気予報と憲法」について考えます。(社会部 加藤大和記者)

(2017年4月25日放送)

気象データが公開されなくなる異常事態

気象庁が毎日、発表している天気予報は、世界およそ200の国と地域で共有する、観測データをもとに作られています。
気象庁の図書館には、太平洋戦争中の観測データも残されています。

天気や気温、風向、風速、降水量など、今では気象庁のホームページで誰でもすぐに見ることができるデータですが、記録をまとめた冊子には「軍資秘」という印が押され、関係者以外は見ることができませんでした。
気象データは軍の秘密とされ、国民には伝えられなかったのです。

さらに、ハワイの真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった昭和16年12月8日、軍が当時の中央気象台長、今の気象庁長官に宛てた文書には「気象報道管制を実施すべし」と記されています。

「気象管制」とは気象に関わるすべての情報を制限するという意味で、観測データだけでなく、天気予報までも、秘密にすることが決められたのです。

今の日本では当然、「気象管制」は行われておらず、天気予報や気象データは誰でも当たり前のように知ることができますが、上智大学の高見勝利名誉教授は「いつでも自由に天気予報や防災情報に接する機会が保障されるということは、私たちの生活の基盤で、憲法上、一般に『知る権利』という形でそういう情報に接することを保障していると言える」と述べ憲法で保障された大切な権利だと指摘します。

繰り返されるデータの“空白”

憲法で保障された天気予報や気象データを知る権利。ところが、世界では戦争などによって観測データが公開されない事態が繰り返されてきました。

内戦が続くシリアでは本来、3時間ごとに送られてくるはずの観測データの多くが空白となり、内戦の前と比べると半分以下に激減しています。

また平成3年に始まった湾岸戦争では、イラクの観測データが公開されず、中東の天気図に空白が出来ました。今では人工衛星による観測で地球全体の気象状況をある程度は把握できますが、やはり、地上の観測データは重要です。

天気は世界規模で連動し影響するため、気象庁の関係者は、世界の一部のデータの空白は日本の天気予報にも影響を及ぼしかねないと指摘します。

このデータの空白は、昭和25年6月、日本のすぐ隣で始まった朝鮮戦争でも起きていました。

当時、気象庁からアメリカ軍に出向し、航空部隊の天気予報を担当していた横浜市に住む馬場邦彦さんは(92歳)、戦争が始まった4か月後、中国が参戦した直後から観測データが入らなくなったといいます。

このためアメリカ軍が上空から航空機で観測したデータをもとに、地上の値を推計して予報を作成していたということですが、精度の高い予報を作るのは難しかったといいます。

馬場さんは「広大な中国大陸のデータがあるかないかでは、天気予報の精度に大きく関わる。ただ、当時は気象情報を相手方にとって不利に扱うということが当然だったので、敵に分からないよう気象に関する一切のデータを出さなかったのだろう」と話しています。

天気予報の空白が招いた命の危機

さらに、天気予報自体が隠されたことで、国民の命が脅かされる事態まで起きていました。

太平洋戦争中、京都の日本海側、今の宮津市にあった気象庁の測候所で、天気図の作成や予報に携わっていた東京・狛江市の増田善信さん(93)は戦争が始まった日のことをよく覚えています。

気象の観測地点や気温、風速などのデータは当時も今も、5桁の数字をいくつもならべてやり取りするのが世界共通のルールになっています。

しかし、その日送られてきた数字は、それまでとは明らかに異なっていました。増田さんの報告を受けた測候所の所長は、驚きもせずに金庫の鍵を開け、中から真っ赤な表紙の厚い『乱数表』を取り出して、暗号を解読するよう伝えました。

敵に知られるのを防ぐため、気象データはすべて暗号化されて各気象台や測候所に送られ、担当者はそれに乱数を足して解読するシステムに変わったのです。

天気予報も秘密にされ、戦争が終わるまで、住民には伝えられなくなりましたが、日本海は、特に冬場に海が荒れやすく増田さんは、漁師から『どうして天気予報を教えてくれないんだ』と詰め寄られたこともあったといいます。

増田さんは「極めて厳しい気象現象が起こる可能性があると思われるような時に教えられないって言うのは、本当に心苦しかった」と今でも悔やんでいます。

こうして天気予報が秘密にされた結果、甚大な被害も起きていました。
昭和17年8月に九州の西海上を北上し、九州北部に上陸した「周防灘台風」。気象台は厳重な警戒が必要だとして九州に接近する前から暴風警報を発表しました。ところが、当初、軍はラジオや無線、新聞による伝達を禁止し、台風が上陸するまで許可しませんでした。また、台風が存在すること自体、絶対に公表してはならないとされました。軍の都合が優先された結果、多くの人が危険にさらされ、西日本各地で発生した高潮などによって1100人余りが犠牲になりました。

増田さんは「天気予報や気象データは戦争の際には非常に大事なものだが、一般市民にとってはもっと大事なんだということを痛感している。二度とこういう戦争のような状態を作ってはならないと思う」と話しています。

太平洋戦争中は、天気予報だけでなく、地震や津波の被害に関する情報も厳しく制限され、多くの人の命が脅かされる事態となりました。

高見名誉教授は「今の日本では、戦争中のようなことが起きることは基本的に想定されていないが、過去に生活の場から天気予報が消えたことが実際にあったのだから、今後の動向を注意深く見守る必要がある」と指摘します。

憲法の「知る権利」で保障された天気予報や防災情報に当たり前のように接することができる意味を、憲法記念日を機会に改めて考えることが大切だと今回の取材を通じて感じました。