よみがえる“憲法教科書”

70年前に施行された日本国憲法には、明治憲法にはなかった「国民主権」や「平和主義」などの新しい理念が盛り込まれました。こうした理念を広めようと、当時、国は「あたらしい憲法のはなし」という憲法の教科書を作成しました。その教科書が憲法施行から70年となる今、再び注目されています。(社会部 松井裕子)

(2017年5月3日放送)

復刻版がロングセラーに

憲法記念日を前に都内の書店では憲法に関する本が並びます。
そのなかにある「あたらしい憲法のはなし」という小さな冊子。70年前に作られた“憲法の教科書”の復刻版です。孫と訪れた男性客は「これはいいや。仲間に見せてやろう。こういう本があるのは知らなかった」と早速、購入していきました。16年前に復刻され以降、25万部を超えるロングセラーとなっています。

70年前の“憲法教科書”とは

「あたらしい憲法のはなし」は、憲法が施行された昭和22年に当時の文部省が中学生向けの教科書として作りました。その原本が教科書研究センターの教科書図書館に残されています。

事務局長の羽田喜次さんが、冒頭を読み上げて紹介してくれました。
「『皆さんあたらしい憲法ができました。自分の身にかかわりのないことのように思っている人はないでしょうか。もしそうならばそれは大きな間違いです』なんてことで始まるんですね。みんなのものだよ、と。関係ないんじゃないよと」

内容を見ていくと、国民主権や基本的人権の尊重、平和主義など、憲法に盛り込まれた理念をイラストつきの易しい語り口で説明しています。たとえば9条「戦争の放棄」。日本が、兵器を捨てて平和な世の中へと向かう様子を描いたイラストは、今の教科書にも使われています。文章は、戦争を体験した生徒たちの気持ちに訴えかけるような表現が使われています。
「皆さんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか」

そのうえで、戦争を放棄する意義を伝えています。
「『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかし皆さんは、けっして心ぼそく思うことはありません.日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです」

多くの子どもたちが手にした憲法の教科書、ジャーナリスト・田原総一朗さん(83)も中学生当時、学んだひとりです。
「非常にしびれましたすばらしいと思った。『あっ、民主主義ってこういうものなのか』と。思い出しますよこの中で書いてますね、『国で誰が一番えらいのか』と。『それは国民だ』と。主権在民だと。何を言ってもいい今の言論、表現の自由になるんだね。こんなこと本当にいいのかなと半ばこんなこと言うだけでできるのかな、という思いがありながら、すごいこと言うなと思いました」

消えていった“憲法教科書”

しかし教科書が作られてから3年後、朝鮮戦争が勃発し、冷戦の時代に入ります。日本でも自衛隊の前身となる警察予備隊が創設され、憲法改正が政治の場で議論されるようになります。

こうした中、「憲法の教科書」は2年で補助教材に降格。数年後には、学校現場から姿を消しました。その後、時代は高度経済成長を迎え、受験戦争が加熱します。主権者教育に詳しい東京大学大学院の小玉重夫教授は、憲法の理念を身につける機会が失われていったと指摘します。

「当初は新しい憲法というのは政治的な対立軸を超えて日本国民全体のものだという意識が強かったと思うが、1950年代以降、イデオロギーの対立の時代に入っていくと、憲法そのものがイデオロギー論争のひとつの磁場に置かれていくようになった。憲法そのものを学校の中で扱うことの難しさが増していった。さらに学校教育の中で社会科あるいはほかの教科が、どうしても知識を覚えるというところに力点が置かれるようになっていってしまう中で、憲法そのものも私たち自身の生活というところから離れた存在になっていったという部分があると思います」

“憲法の教科書”で学ぶ子どもたちも

いま、小中学校や高校の現場でこの憲法の教科書を使って憲法を成り立ちから学ぼうという動きが出ています。5月1日、愛知県の桜丘高校で行われた公民の授業。社会科の高橋勇雄教諭が「憲法施行70年ということだが憲法のイメージってどんなふうに思っている」と問いかけると、生徒からは「難しい言葉が多い」とか「堅苦しい」といった声が上がります。

憲法を実感できない生徒が多いなか、高橋教諭が取り出したのが「あたらしい憲法のはなし」です。
「こういう冊子、50何ページしかないけれど、多くの犠牲を出した戦争のあとで、どういう思いでこの憲法ができたのか、ここから見ていきたい」

授業では、当時の教科書を通して、憲法に込めた人々の思いや条文の意味を説明していきました。

高橋教諭は、「ほとんどの人が戦争を体験し、もう二度と嫌だなということで多くの人がこれを支持したと。こういうことが平和主義なんだろうね」と生徒たちに語りかけていました。

授業をうけた女子生徒は、「戦争とかすごく過酷な道をたどってきていたので、そういう思いがあって憲法ができたんだと思うとちゃんと考えていかなくてはいけないと思いました」と話していました。

また男子生徒のひとりは、「憲法は身近ではなく自分たちにはわからないものだと思っていたが、授業を通して今の国や社会を作っているものだとわかり自分には関係ないと思わず、知っていかなくてはいけないと感じました」と語っていました。

“憲法教科書”が問いかけるもの

「あたらしい憲法のはなし」の執筆の中心となった法学者の浅井清は、当時について「喜々として学校へ通う子どもたちの姿を見るにつけて、彼らの将来の幸福のために、正しい憲法の知識を持たせる唯一の機会が、筆者にあたえられたことに感激を覚えた」と記しています。

そして憲法について「一番大事なのは、運用の面で築き上げられる不文の実績であって成文の理解ではない。国民はまず第一に正しい観念を取得すべきであろう。そうして憲法を動かしていくものは、国民自身であることを体得すべきであろう」という言葉を遺しています。

憲法の施行から70年。私たちはこの憲法をどこまで自分たちのものにできたのかと考えさせられた取材でした。いま、憲法とどう向き合っていくべきなのか、70年前の教科書が問いかけています。