憲法施行70年『平和』の言葉に込めた思い

ことし5月3日は、憲法が施行されてちょうど70年の節目の日になります。憲法は「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の3原則を掲げ、私たちの暮らしの基盤となってきました。このうち、「平和主義」は先の大戦の体験を踏まえたもので、戦争放棄をうたう9条では「国際平和を誠実に希求」するという意思が明確に打ち出されています。この条文が形づくられた経緯を詳しく取材すると、「平和」という言葉に知られざる思いが込められていることが見えてきました。

(2017年4月3日放送)

「平和」の言葉なかった草案

都内有数の繁華街、六本木。高層ビルのはざまに、小さな石碑が建っています。そこに刻まれているのは「日本国憲法草案審議の地」という言葉です。かつて、この場所には外務大臣の公邸があり、今の憲法は71年前、この地から本格的な議論が始まりました。
終戦翌年の昭和21年2月、この場所でGHQ=連合国軍総司令部から憲法の草案が手渡されたのです。以降、憲法の施行に向けた議論が加速していきますが、GHQの草案を改めて確認してみると、大きな違いがあることがわかりました。草案の8条には「武力の威嚇または使用は永久にこれを廃棄す」という戦争放棄を定めた今の9条につながる文言が記されています。
しかし、草案には、今の9条にある「国際平和を誠実に希求」という文言はどこにも見当たりません。「平和憲法」の根拠となるこの重要な文言は、日本側によって加えられていたのです。

「平和」加えた人物とは

ことし2月、仙台市で開かれたシンポジウムで、9条に「平和」の言葉を入れるよう訴えた人物に焦点があてられました。鈴木義男です。
シンポジウムで講演した東北学院大学の仁昌寺正一教授は、「世界平和を宣言するという画期的な提案を行った」と紹介しました。
鈴木は、仙台市にあった当時の第二高等学校を経て東京帝国大学に進み、「大正デモクラシー」の論客として知られた政治学者の吉野作造から学びました。戦後まもなく国会議員となり、憲法案を議論する「帝国憲法改正小委員会」の委員を務めました。昭和21年の記録映像には、鈴木が国会で「主権は国民にあるという規定はありまするけれども、特に大切なる規定であります」と演説する姿が残っていて、新しい憲法の理念を広めようと尽力した様子がうかがえます。
そして、当時の委員会の議事録を見ると、鈴木は「まず平和を愛好すると宣言すべき」と主張していました。単に戦争を放棄するだけでなく、そこに高い理想を掲げるべきだと訴え、委員会で議論された結果、今の9条の形となったのです。

『平和』こだわった背景は

なぜ鈴木は「平和」の文言にこだわったのか。東北学院大学の仁昌寺教授は、戦前の体験が大きく影響していると指摘します。
戦前、鈴木は東北帝国大学の教授でしたが、教育現場の状況に異論を唱えていました。
当時、中学校以上の学校には、現役の軍人が配属され、武器の使い方を指導し、講話を行っていました。
これに対し鈴木は、「教育の自由」が奪われると主張しましたが、軍の怒りを買って教壇を去ることを余儀なくされたのです。
仁昌寺教授がもう1つ注目しているのが、治安維持法との関わりです。鈴木は大学を辞めたあと東京で弁護士となりましたが、治安維持法の裁判で強い危機感を抱きます。
治安維持法は、当初、共産主義の運動を押さえ込むことが目的でしたが、その後、国家の方針に従わないという理由だけで取り締まれるようになっていきました。
これに対し鈴木は強く反発して「内心を処罰することは不当も甚だしい」と訴えました。仁昌寺教授は、「どういう思想を持っていようがそのことで人を裁いてはいけないんだという、言ってみれば当たり前なんですが、こういうことが戦時中はやられていた。鈴木はそれに対し真っ向から立ち向かうわけです」と解説します。しかし、治安維持法での摘発はその後も相次ぎ、鈴木は無力感に打ちのめされました。

「平和」に込めた意味は…

仁昌寺教授は、鈴木が自由な言動もままならない時代を体験したからこそ、「平和」であることの意味を深く考え、9条にその文言を入れたのではないかと考えています。
「人権を弾圧する一方で戦争に突き進んでいった。それは表裏一体なんですね。そういう戦前の体験が『平和』をより強力に訴える文言として憲法に残されたと思うんです。何にも束縛されないで、考え、行動し、生活できる、それを『平和』と考えていたんじゃないでしょうか」

今につながる「平和」

戦後、平和憲法の精神は人々に深く根付き、全国各地に「平和」の大切さを訴える記念碑がつくられました。鈴木は、その後、司法大臣に就任し、次の言葉を残しました。

「問題は憲法の規定そのものではなく、これを守る精神にある」

憲法があるからではなく、憲法をどう考えるのか。今の時代にもつながる鈴木のメッセージです。
戦後72年となり、戦争の体験者が減る中で、何を受け継ぎ、この先を考えていくのか、私自身、憲法の役割について改めて考える必要があると感じました。