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老後2000万円問題 官僚たちはどう受け止めた?

今、永田町・霞が関を揺るがしている老後の資産形成をめぐる金融庁審議会の報告書。官僚の本音に迫る私たち取材班にとっても、この問題を官僚のみなさんがどう考えているのか、気になります。その率直な声をお届けします。(霞が関のリアル取材班 三浦佑一 荒川真帆)

老後2000万円問題って

まずこの問題を簡単に振り返ります。5月22日に金融庁金融審議会のワーキンググループが、「高齢社会における資産形成・管理」という報告書の案を示し、これを朝日新聞が翌日の朝刊一面で報道しました。このなかにあった「毎月の赤字額約5万円」「30年で約2,000万円の取り崩しが必要」という部分がネットなどで大きく取り上げられ、野党は「100年安心の年金というのはウソだった」などと攻勢を強めました。参議院選挙を控えた与党議員からも不満が噴出し、今月11日麻生大臣は「政府のスタンスとも違う。担当大臣としては正式な報告書として受け取らない」と打ち消しにかかりました。しかし、今度はこうした麻生大臣の対応が再び波紋を広げています。

渦中の金融庁職員は・・・

報告書に対する批判と、その報告を所管する大臣が受け取りを拒んだ今回の騒動。渦中の金融庁の官僚は何を思うのか。ある40代の男性職員が心のうちを明かしてくれました。

「あの報告書は面白みを持たせようとせず、データやファクトを淡々と書けばよかった。『赤字』というみんなが飛びつきそうだけど不正確な言い方をしたのがもったいなかった。わかりやすさを優先して『65歳の夫と60歳の妻というリタイア直後の一番元気な時の消費が、90代になってもずっと続く(から2000万円が必要)』という試算をしたのも不正確だったのでしょう」

彼が最初に口にしたのは反省の弁でした。そして、こう続けました。

「仮に審議会の有識者が、現役世代に強い危機意識を持たせるべきだと主張したのだとしても、事務局が『そうは言ってもですね』と説得するぐらい抑制的でなくてはならなかったと思います。ひと言で言って、金融庁の官僚は霞が関有数の『世間知らず』と言われてもしかたがありません。だから、国民が千差万別の暮らしをしていることは頭で分かっていても、骨身にはしみていない。金融庁は東京にしかオフィスがない。相手にする民間人も、銀行、証券、保険のトップエリート。しかも彼らを上から指導する立場です。ほかの省庁だと地方機関に転勤したり、職務内容によって農家や中小零細企業、貧困世帯などとも関わったりして、さまざまな人生の姿を目の当たりにすることでしょう。そういった経験が私たちには乏しくて、国民一人ひとりの生活水準に対する想像力に欠けているのかも知れない」

同情できない?他省庁からは冷めた声も

では、ほかの省庁の官僚はどう受け取ったのでしょうか?

内閣官房の40代の官僚は、冷めた見方をしていました。

「金融庁は、よりによって選挙・増税前のこのタイミングで投資の必要性をアピールしたいがためにこんな報告書を出すのはいかにもセンスがない。20年前の財金分離(旧大蔵省から金融行政を独立させたこと)の弊害なのかなあ。金融庁が財務省と一体の組織だったら、本省の大臣官房が止めていたでしょうね」

一方、野党やマスコミに対しても、思うところはあるようです。

「野党やマスコミもわけも分からず切り取って炎上させているだけ。『年金は100年安心』というのは、支給額を調整しながら年金制度は持続するという意味であって、年金さえあれば何も困らないなんて言ったことはないでしょ?誰でも老後は貯金や退職金を取り崩しながら生活しているんだから、使っている金のほうが年金よりも多いのは当たり前。全ての関係者に『なんだかなぁ』という感想しか出てきません」

ほかの省庁の官僚たちにも聞いてみました。

金融庁にあまり同情はできないと言う意見や大臣が受け取りを拒否したことに対する疑問など、さまざまです。

「大臣が報告書を受け取らないというのは、聞いたことも想定したこともないけれども、最終意思決定者には拒否する権利もあるっていうことなんでしょうね。この案件があろうがなかろうが、誤解を招く表現が無いかチェックするのはやらなきゃならないこと。私の職場でも『対外的に文書を出す時には気をつけようね』という話は出ました」(経済産業省 30代男性)

「政治家は選挙で勝ち残らないと職業を失うのだから、世論を意識してちゃぶ台をひっくり返されるリスクは常に認識しておかなきゃいけない。ただ不思議なのは、報告書について金融庁は事前に大臣には説明していなかったのか。うちなら、公表前に概要はレクチャーするけど・・・」(農林水産省 30代男性)

「与党は火消しにやっきで、金融庁けしからんという態度をとっているわけですが、担当大臣が審議会報告を正式な報告書としては受け取らないというのは聞いたことがない」(厚生労働省 30代男性)

民主主義が危なくなる?

中には、強い危機感を口にする官僚もいました。

「政治家がはしごを外すなんて、民主主義が成り立ちませんよ。野党が表現の問題を捉えて批判をするのはしかたがない。でも総理や大臣まで一緒になって官僚を叩くのはどうなんでしょうか。政治的に見捨てたということ。それって、もうまっとうな議論が出来なくなったということですよ。行政機関がデータを分析したり意見集約したりする中で、『不都合な真実』を言わなきゃいけないことは当然にある。金融庁だって自助も促さないといけないと、議論を積み重ねて報告書を出したわけでしょう?それを行政のトップでもある大臣が受け入れないなんて言ったら組織が成り立たず、官僚もやる気を失います。もう安易なポピュリズム(大衆迎合主義)に流れるしかなくなる」

彼の主張は、国家公務員のあり方にまで及びます。

「憲法15条が公務員を『全体の奉仕者』と規定するのは、政治家にとって耳が痛いことでも国民のために必要なら言わなくてはならないということでしょう。そのために身分保障もされている」「官僚の専門性とは、情報収集とデータ分析によって判断材料を示すことです。最後に決めるのは政治家だけど、客観的な情報をもとに判断してもらわないといけない。それが許されないとなると忖度しかなくなってしまいます。もちろん我々は政治家の力を借りないと何も出来ないし、承認されやすいように表現をまろやかにするような配慮はしなきゃいけない。けれどバッドニュースは伏せて、きれいごとしか政治の判断材料にしないとなると、いずれ負の遺産が爆発してしまうでしょう」

官僚たちのこの問題に対する見方はさまざまでした。取材する私たちにとっても、今回の問題は官僚の役割と何か、政治との関係性はどうあるべきかなど、霞ケ関のあり方を考える上で避けては通れないと思いました。みなさんはどう考えますか。ぜひご意見や感想などをこちらまでお寄せ下さい。

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