「満員電車で体を触られ、恐怖で動けなくなりました。
『なぜその車両に乗ったのか』いまでも自分を責めてしまうんです。
『そんな必要はない』とこれまで被害者に言い続けてきたはずなのに・・・」
痴漢の被害にあった女性は、性犯罪の被害者支援に取り組む弁護士でした。
「自分自身が被害者になって気づいたことがたくさんある」
女性が伝えたかった思いとは。
2022年9月1日裁判 社会 事件
「満員電車で体を触られ、恐怖で動けなくなりました。
『なぜその車両に乗ったのか』いまでも自分を責めてしまうんです。
『そんな必要はない』とこれまで被害者に言い続けてきたはずなのに・・・」
痴漢の被害にあった女性は、性犯罪の被害者支援に取り組む弁護士でした。
「自分自身が被害者になって気づいたことがたくさんある」
女性が伝えたかった思いとは。
※この記事では性暴力被害の実態を広く伝えるため、被害の詳細について触れています。フラッシュバックなど症状のある方はご留意ください。
通勤や通学の利用客で混雑するJR埼京線。
おととし10月6日の午後7時ごろ、弁護士の青木千恵子さんは仕事のため渋谷駅から電車に乗りました。
帰宅時間で車内は満員。身動きができないほどの状況でした。
そのとき、青木さんは誰かが身体を触ってくるのを感じたといいます。
痴漢ではないかと感じ、身体をよじったり、触ってくる手を払いのけたりすると、行為はいったん収まりました。
しかし、その後さらに別の誰かが身体を触ってきたのです。
手で払いのけるなどしても、行為は止むことは無く、次第にエスカレート。
ついにはスカートをまくりあげ、下着を下げて、直接身体に触ってきました。
青木さん
「恐怖で動けなくなりました。声を出して周囲の人に助けを求めようとしましたが、スカートをまくられた姿を周囲の人に見られてしまうかもしれないという恥ずかしさもあって声が出ませんでした」
周囲の乗客で異変に気づいた人もいるのではないかと感じましたが、「大丈夫ですか」と声をかけたり、行為を止めたりしてくれる人はいなかったといいます。
意を決し、体を触り続けている手をつかみました。
「痴漢したでしょう」
問いかけると相手は狼狽した様子でしたが、「ほかのやつもやっていたのになんで俺だけ捕まるんだ」というような声をあげたといいます。
立ち去ろうとする男のかばんをつかみ、一緒に赤羽駅に降りました。
そのとき突然、男が暴れ出しました。
かばんを振り回し、青木さんは引っ張られるように前のめりに転倒しました。
青木さん
「引きずられた状態で階段が目の前に迫ってきました。このまま階段から転げ落ちてしまうのではないかという『死の恐怖』を感じました」
転倒によって青木さんは足に全治3週間のけがを負いました。男は走り去りましたが、その後、警察官に取り押さえられたということです。
青木さんが弁護士になったのは3 年前。
犯罪被害者支援を専門の1つとして取り組んできました。
学生時代からボランティアとして犯罪被害者を支援する活動に参加。
直接、自分の力で被害にあった人を支えたいと弁護士を志しました。
なかでも性犯罪の被害者からの相談や支援に数多く対応してきたといいます。
しかし、これまで被害者たちにたくさんのアドバイスをしてきたはずなのに、実際自分が被害に遭うとどうすればいいのか何も頭に浮かばなくなってしまったといいます。
青木さん
「声を上げても誰も助けてくれないのではないかという気持ちになってしまいました。
でも次第に、『ここで犯人を捕まえなければ新たな被害者を生んでしまうかもしれない。やめさせるだけではなくきちんと刑事責任を負わせなければいけない』という強い気持ちが生まれ、決死の覚悟で犯人の手をつかんだんです」
そして、「今回、被害者になってみて気付いたことがたくさんある」
そう話してくれました。
青木さんがまず挙げたのが、警察署での出来事です。
事件当日、青木さんも警察署で事情を聴かれ、下着や着ていた服を脱いで証拠品として提出しなければいけませんでした。
青木さん
「いまこの場で下着を脱いで提出してと言われました。弁護士として、犯人が下着を触ったことの証拠品として提出する必要があることは認識しているし、これまで支援した被害者の方たちが同じようにされてきたこともわかっていました。
それでもほんの1時間ほど前に被害にあったばかりで心が乱れた状態の時に下着を脱いで人に渡すということがこんなにつらいのかと思ったんです。頭ではわかっていたつもりでも、当事者のダメージを本当に心から理解できていなかったかもしれないと思いました」
さらに、事件のあと自分を責め続けたことについてもこう振り返ります。
「『なぜ』という問いを被害者は常に受けるんです。警察からも検察からも、その前の準備で弁護士と話すときも。なぜその電車に乗ったのか、なぜその車両に乗ったのか。それは捜査や裁判で必要だから聞くわけで、私も被害者の方に向き合うときには『あなたを責めているわけではないからね』と前置きして話をしていました。
でも、本当にそのつらさを自分のものとして感じてはいなかったと気付きました。
私も、『あのときあの電車に乗らなければ』と自分を責めてしまう。責めるほうがおかしいとわかっていても責めてしまうんです。自分にそういう気持ちがあるからこそ、それを聞かれるのはつらい。自分が当事者になって初めてここまでつらいのだということを実感しました」
足のけがが回復してきても、精神面への影響は強く残ったという青木さん。
階段に強い恐怖を感じるようになりました。
職場のビルにある10段ほどの階段でも足がすくみ、歩道橋や駅の階段は恐怖を感じて使えないことがありました。
さらに、突然、事件当時の状況が頭に浮かぶようになり、PTSDと診断されました。
当時、青木さんは司法試験の予備校で講師をしていましたが、授業中も唐突に事件の記憶がよみがえり、講義を中断することがしばしばあったといいます。
青木さん
「フラッシュバックで言葉が出なくなってしまうのです。人生をかけて司法試験に臨む受験生に対して申し訳ないと感じていたところ、学校側からも指摘され、講師の仕事は辞めざるを得ませんでした」
弁護士としての仕事にも支障が出たといいます。
依頼者と話していてもフラッシュバックの症状が出ることがあるというのです。
「弁護士なのに法廷で症状が出たらどうしよう・・・」そう思うと、裁判所に行くことにも不安を感じるようになりました。
痴漢の被害にあったとき、ここまで自分の生活やキャリアが変わるとは想像もしなかったという青木さん。
弁護士を続けるのは難しいかもしれない。
悩んでいたときに支えてくれたのは、同じ事務所で働く弁護士たちでした。
恐怖で階段や電車が使えず通勤に困っていたとき、仲間が車での送り迎えを申し出てくれました。
また、仕事もすべて共同で受けてくれて、依頼者の前で症状が出てしまったときには、さりげなく席を外せるよう工夫してくれたということです。
山本弁護士
「当時の青木さんは、急に泣きだすなど明らかに普通では無い様子で、犯罪が被害者に及ぼす影響はこんなにも尾を引くものなのだと実感しました。このまま弁護士まで辞めることになれば、将来、彼女が助けるかもしれない犯罪被害者にとっても損失になると考え、サポートを申し出ました」
こうした周囲の支えによって、事件の傷は少しずつ癒やされていきました。
青木さん
「世の中には突然私を傷つける人がいるかもしれない、しかしこうやって私を支えて勇気づけてくれる人もいる。そういう社会に生きていると思えるようになって、漠然とした不安感がだんだんと消えていくのを感じました」
8月26日、東京地方裁判所で開かれた初公判。事件から2年近くがたっていました。
捜査の過程で青木さんは検察から「裁判は開かず、罰金の処分で終わらせようと思う」と言われたこともあるといいます。
しかし、「被害者が置かれた状況を加害者が理解し、罪と向き合わなければ、また同じような被害が繰り返されるのではないか」と考え、正式な裁判を目指して捜査に協力。裁判員裁判で審理されることになりました。
強制わいせつ傷害の罪に問われた43歳の会社員は、「間違いありません」と述べて起訴された内容を認めました。
被告人質問では、軽い気持ちから犯行に及んでいたことが語られました。
起訴
・検察官が裁判所に刑事裁判を開くよう訴えを起こすこと。どんな気持ちで犯行に及んだのか?
別の人が青木さんに痴漢しているのを見て、自分の欲望のままに触ってしまった。今振り返れば被害者の気持ちを考えずに触り続けた自分が情けない。
駅には『痴漢は犯罪です』というポスターが貼ってあるが?
事件の前はポスターを見てもそれほど気にしていなかった。今は痴漢には必ず被害者がいることを実感したので、辛い気持ちになる。
青木さんは被害者参加制度を使って証言台に立ち、思いを裁判員や裁判官に訴えました。
青木さんの意見陳述
「長時間にわたってわいせつ行為を受け、自分は『性の対象』であり、意志を持つ人間としては扱われていないと感じました。事件後はいつも精神が張り詰めていて、生活は一変しました。被告には事件が被害者に計り知れない影響を与えることを知ってもらい、自分の罪と向き合ってほしい」
懲役3年の求刑に対し、裁判員と裁判官の結論は懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決。
裁判長は「走行中の混雑した電車内という逃げ場のない状況で被害者の着衣の中に手を入れて身体をもむという卑劣な犯行だ。自らが逃走することしか考えず、勇気を出して捕まえようとした被害者に暴行を加えており、あまりに身勝手というしかない。被害者が受けた羞恥心、恐怖心、屈辱感は強く、精神的苦痛は大きい」と指摘しました。
判決のあと、青木さんは弁護士としてではなく、被害者として記者会見に臨みました。
性犯罪の被害者が顔や名前を明かして取材に応じるケースは限られています。
報道陣を前に青木さんは思いを語りました。
青木さん
「今回、名前を隠さずに裁判や会見に参加しようと思ったのは、生身の人間が傷ついたということを知ってもらいたかったからです。『Aさん』などという形で顔が見えないと、自分ごとだとなかなか思ってもらえないと考えました。
そして、『性犯罪に遭っても被害者が恥じる必要はない』と日頃から伝えている自分がそれを実践しようと思いました」
そして、周囲のサポートの重要性を訴えました。
「被害に遭うまでは、電車に乗って人生が変わるような事件に自分が巻き込まれるとは想像もしていませんでした。しかし、誰がいつ被害者になるかわからないのです。当事者になって何よりも強く感じたのは被害者をサポートしてくれる周囲の人々の重要性です。
『困っている人を助けたい』という優しい気持ちは誰もが持っていると思うので、その優しさを自分にとって無理のない形で行動に出して示してほしいです。それが被害に遭い、人を信じる気持ちを失いかけている被害者に社会で生きる勇気を与えてくれると思います」
「犯罪被害者の支援を専門にしている弁護士が性犯罪の被害者として記者会見する」
そう聞いた私は青木さんに会いに行きました。朗らかな笑顔で出迎えてくれた彼女が、事件から1年半もの間、精神的なダメージに悩まされ続けていたと聞いて驚きました。そして、同じ女性として痴漢の被害の深刻さを改めて感じました。
優しさの気持ちを行動に移してほしいという青木さんの願いは、誰しもが少し勇気を持てば実践できそうなことです。私自身も一歩踏み出せる人になりたいと、言葉を胸に刻みました。
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