証言 当事者たちの声あさま山荘事件50年 ~事件は今に何を伝えるのか~

2022年3月7日社会 事件

連合赤軍による「あさま山荘事件」から、ことしで半世紀になる。

革命を目指した若者たちが引き起こした凄惨な事件。

50年の経過を経て、当事者たちが事件に対する思いや、当時を振り返って感じることを語り始めた。

昭和に起きた事件は、いまの時代に何を伝えているのだろうか。

あさま山荘事件

1972年(昭和47)、過激派の連合赤軍メンバー5人がライフル銃などで武装し、長野県軽井沢町の山荘に人質をとって立てこもった。

10日間に渡る銃撃戦の末、全員逮捕されたが、警察官2人と民間人1人が死亡し、27人が負傷した。
5人のうちの1人は、その後マレーシアで起きた大使館占拠事件で超法規的措置によって釈放されて出国し、現在も国際手配されている。

連合赤軍 元メンバーの1人は今

愛知県に住む加藤倫教さん(69)。

連合赤軍の一員として、ほかのメンバー4人とともに山荘にたてこもり、逮捕された。

懲役13年の実刑判決を受けて服役し、出所後は農業で生計を立てている。

加藤倫教さん

当時の現場の写真には、警察官に連行される加藤さんの姿が写っている。

高校を卒業して間もないころで、年齢は19歳だった。
その時の心情を、次のように振り返っている。

加藤さん
「あさま山荘の中で逮捕されて上の道路にあがったところですね。この前に報道陣がいて。心の中では、逮捕されてこれから始まる取り調べのことなんかを考えていましたね」

「この時、自分の髪型が気に入らなくてね。いろいろ潜伏していた関係でずっと伸ばしっぱなしにしていたんですけど、だらしなくて自分ではあんまり好きじゃなかったんですね。

逮捕されて道路を歩いていた時は、終わったなということと、もう覚悟を決めないと、という気持ちでいましたね」

過激派の活動に参加

加藤さんが、過激派に加わるようになったきっかけは、高校2年生の時だった。たまたま街角で見たデモに、心を動かされるものがあったという。

加藤さん
「名古屋でちょうど沖縄返還を求める集会とデモがあって、そこで行進していく人たちが私たちの横を通っていくのを見たことが、最初のきっかけですね。

当時、沖縄もまだ日本に返還されていませんで、返還を求める運動が盛んでした。
そのほかにも、いわゆる四大公害裁判も深刻でしたし、在日外国人に対する監視や規制を強めるような出入国管理法の改正もありました」

左:四日市公害訴訟 原告側勝訴(1972年)
右:成田空港 強制代執行で対立する機動隊と学生ら(1972年)

「また、成田空港の建設で地元の住民と政府が対立して、そういったことについて毎日のようにニュースをやっていたんですね。

ある程度は知識を持っていましたが、自分もそういう問題に対してどういう態度をとるのか、1人の国民として意見を持つ、表明するということはある意味で社会的責務だろうと思うようになりました」

当時は、いわゆる「安保闘争」から多くの若者が反戦を掲げ、学生運動が激しさを増していた頃だった。加藤さんも、徐々に活動にのめり込んでいったという。

加藤さん
「世界的にベトナム戦争への反対運動は非常に盛んになっていましたから、そうした中で、日本でもベトナム戦争をやめろという国民の声がもっと大きくなるように。

そのために、私たちが先頭になって戦おうと思いましたね」

そして事件は起きた

その連合赤軍が引き起こしたのが、「あさま山荘事件」だった。

当時、過激派の連合赤軍は、群馬県の榛名山や妙義山などの「ベース」と呼ばれる山岳アジトにこもりながら「軍事訓練」と称した活動を続けていた。

捜査が進みメンバーが次々と逮捕される中、警察の追跡を逃れる途中、当時16歳から25歳のメンバー5人は、ライフル銃などを手に山荘に押し入った。

そして、管理人の妻を人質にとって立てこもったのだ。

警察と犯人との10日間にわたる激しい銃撃戦の末、加藤さんを含むメンバー5人は全員逮捕された。一方、警察官2人と民間人1人の、合わせて3人が犠牲になった。

加藤さんは、事件について振り返り、声を絞り出すように謝罪した。

加藤さん
「私たちの本来の志していることと、目指していることと違う結果になったわけです。犠牲者の方、人質にされてしまった人に対しては本当に申し訳ないと思っています」

その後、事件は思いもよらぬ展開を見せることになる。元々29人のメンバーが軍隊のような序列を作って活動していた連合赤軍。

事件後の捜査で、絶対的な上下関係の中、活動方針をめぐってリンチがエスカレートし、1か月半ほどの間に12人が殺害されていたことが発覚したのだ。

「革命を成し遂げるためには、強い心を持たねばならない」

幹部たちは「総括」という言葉で自分の弱さを自己批判するよう、メンバーに迫っていた。
次第に暴力も当たり前となった中で、組織の末端にいた加藤さんが指示されたのは、行動を共にしていた実の兄に、リンチを加えることだった。その後、兄は死亡。

当時、19歳の加藤少年は、偏った思想を持つ集団の中で、いわば流されるように一連の事件を起こしてしまったのだろうか。

後悔、反省、そして今

加藤さんは、逮捕後に当事件についての思いを書き記した冊子をいまも大切に保管している。

そこには、みずからの行いを悔い、反省する言葉がいくつも並べられている。

逮捕後に書いた文書
詭弁に満ちた『革命論』に惑わされ、尊い人命の損傷に疑問や不安を抱きながらも加担してしまった。とりかえしのつかない罪の大きさにおののかざるをえません。

とりわけ兄の無残な死に方を思うとき、みずからの非力さに無念と怒りの気持ちを抑えようがありません。

いま、加藤さんは農業のかたわら、絶滅危惧種の野鳥を保護する活動に携わっている。

社会のために何をすべきか。あさま山荘での後悔を背負いながら過ごしてきた50年だったという。

加藤さん
「あさま山荘での事件は、左翼全体の運動が退潮に向かうきっかけ、あるいは象徴だったと思う。自分たちは取り残された飛沫のような存在だったのではないでしょうか。

国民が幸せになる社会を作ることが、革命ですからね。

いま振り返ると、革命しようという人間が 国民を人質にするというようなことはあってはならないと思いますね。

そのこと自体が、あさま山荘事件の本質を表していると思っています。

今は、資本主義とか社会主義とかでなく環境問題など誰もが望む問題の解決のために一生懸命動き、そのことで少しでも事件の償いをしていきたいと考えております」

突入した警察官「もったいなかったし残念だ」

一方、当時現場で事件の対応にあたった警察官は、連合赤軍の若者たちについてどう感じていたのだろうか。

長野県警の機動隊員として、銃弾が飛び交う中で山荘の2階に突入した箱山好猷さん(86)。
同じ警察官が亡くなったことを現場で知った際、「大変なことが起きた」と感じたことを今も強烈に覚えている。

事件が起きた時は36歳で、連合赤軍のメンバーより一回りほど年齢が上だったこともあってか、当時の学生運動などについて、冷静に見ていたという。

元長野県警 箱山好猷さん

箱山さん
「若いと1つのことを信じてそれにのめり込んでしまう傾向がありますから。若い人は純粋で、疑問を抱かずに受け止めてしまう。

当時、才能があった人たちがみんなそういう方向を向いてしまって、あさま山荘事件の5人もそれで人生を棒に振ってしまったと思う。

あれがなければ、しっかりと勉学を進めて社会の中で生きていただろうし、相当な力を発揮できたのではないかと考えると、もったいなかったし残念だ」

「組織のなかにいると分からなくなる」

この事件について、50年たったいま改めてどう捉えればよいのだろうか。

作家で映画監督の森達也さん(65)に、あさま山荘事件を含む連合赤軍が起こした一連の事件について聞いた。

森さんは、これまで複数の連合赤軍メンバーを取材した経験があるが、地下鉄サリン事件などの凶悪事件を起こしたオウム真理教と重なる部分があると指摘する。

森達也さん

森さん
「集団になると、人は考え方が浅くなって非論理的になってしまう。あさま山荘事件を含む連合赤軍によるリンチ殺人から始まる一連の事件は、その典型だと思うね。

とにかく閉鎖された集団の中で、非常に強い権力性を帯びたリーダーがいて、過度のストレスを全員が持っている。こういう状況で人は判断できなくなる。あとから『なんであんなことをやってしまったのか』と後悔する。

こういうことはたくさんある。日本史にも世界史にもね。そうしたことを端的に示す事件だったと思う」

「大きな組織の過ちは共通していて、理念は高尚だ。オウム真理教は、なぜあんな殺人事件をしたのか。根幹は世界を救済したい、守りたい、そう思っていた。

赤軍派も、世界同時革命を起こす、貧しい人や虐げられた人々を救う、ブルジョアからプロレタリアートを守ると。
でも、やっていることはあまりにもちぐはぐだと誰もが思う。組織の中にいると分からなくなってしまう。

あさま山荘立てこもりを含む一連の事件で、1人1人が何を思っていたのか。メンバーの中には、『どうなの?』と思った人もいただろう。

でも言葉にできない。言葉にすれば次は自分が粛正される可能性もあった。そのときに胸を張って、幹部に対し、『待て、おかしいだろ』と言えば変わっていたかもしれない。

誰も言えなかった。勇気がないのではなく、『正しいだろう』と自分の疑問を打ち消して、どんどん機械的になって12人の仲間を粛正し、あさま山荘事件に至ったのだろう」

森さんは、社会という集団の中で流されず、自分自身を持ち続けることが重要だと強調した。

森さん
「主語を1人称単数にすることだ。『われわれ』や『わが社』『わが国』ではなく、主語は小さく、それがまず1つ。

批判性を常に持つこと。言い換えればリテラシー。いろんな物事に対して、自分にはこう見えるが、周りにはどう見えるのか。周りはこう言うが、自分には違うように見えるぞと。埋没しない。主語を1人称で持てば埋没しないはず。

今の僕たちの日常に置き換えれば、情報を鵜呑みにしない。違う角度から見たらどう見えるのかを意識しながら情報に接することが重要。

ネット時代で確度の低い情報に翻弄されてしまうわけで、その危険性は非常に高まっている。その意識をみんなが持てば回避できると思う。いまは、そのターニングポイントの時代だと思う」

事件から半世紀。「あさま山荘事件」をめぐっては、歴史の評価は固まっておらず、さまざまな見方がある。

ただ、いまSNSの普及などもあってさまざまな情報があふれている中、自分をどう保つかは、より難しくなっているのではないだろうか。

大きな集団の中で、個人個人がしっかり考えを持ち、それを表明できるのか。まさに、今の時代にも通じる問題を突きつけている事件だと感じた。

連合赤軍
日米安保条約の延長をめぐって反対運動が勢いを増していた1971年(昭和46)に結成。「革命は銃口から生まれる」を合言葉に群馬県の山の中のアジトにこもり、銃を使って軍事訓練と称した活動を続けていた。幹部は、意に添わないメンバーに対して「生まれ変わるための総括が必要だ」などと自己批判を強要し、集団で暴行。1か月あまりの間にメンバー12人の命が奪われた。

映画監督 森達也さんのお話はこちらでも詳しく

  • 報道局社会部 永田恒 2012年入局
    奈良局・仙台局を経て社会部へ。
    皇室取材を2年間担当したあと、2021年から警視庁を担当。
    趣味はランニングと秘湯巡り。

  • 長野放送局 斉藤光峻 2017年入局
    現在、警察・司法担当のキャップ。
    軽井沢町で起きたスキーツアーバス事故の取材を一貫して続けている。
    趣味はスキーとワイン。