証言 当事者たちの声8年8か月と25日生きた勇斗へ~八街児童5人死傷事故

2022年3月16日司法 裁判 社会 事故

勇斗くんがずっと欲しいとねだっていた青い自転車。

母親は9歳の誕生日にプレゼントしました。
でも勇斗くんが乗ることはありません。
8年8か月と25日しか生きられなかったからです。

母親は静まりかえった法廷で語りました。
勇斗に会いたい。
会いたくて、会いたくて、会いたくてたまらない。

※2022年3月25日更新

2021年6月、千葉県八街市で飲酒運転のトラックに小学生5人がはねられ、2人が死亡、3人が大けがを負った。焼酎220mlを飲んでトラックを運転した被告に対し、千葉地方裁判所は懲役14年の判決を言い渡した(求刑は法定刑の上限15年)。裁判を詳報する。

平凡でもいいからずっと一緒にいたかった

母親はパーティションの中から意見を述べた

小学3年生の勇斗(ゆうと)くんは死亡、1年生の弟は大けがをした。両親のもとにはボロボロになったランドセルが戻ってきた。

(母親)
あの日から家族の人生はむちゃくちゃになりました。

いつものように送り出して帰ってくるのを待っていましたが、あの日は違いました。
現場では弟が畑の向こうで砂まみれになり、痛い痛いと泣いていました。
勇斗はトラックの下敷きになっていました。

事故のあと警察官に「お母さんは会わないほうがいい」と言われ、夫だけが会いに行きました。

私が勇斗に会えたのは、納棺師がきれいにしてくれたあとでした。
頭に包帯を巻かれて、いつも気にしていた髪の毛も前髪が少ししか見えないようになっていて、無理矢理つむらせたような目や口をしていました。

友だちと遊ぶのが大好きで、今回事故に遭った子たちとはいつも遊んでいました。
外で走り回り、筋トレが好きな活発な子でした。
お兄ちゃんらしくもなってきていました。
格闘技が好きで弟が小学生になってから2人で空手を習おうとしていて、私も道着が似合うだろうと思っていました。

でも勇斗は8年8か月25日であなたに命を奪われました。
弟は脳挫傷やくも膜下出血を負い、けがは表面的には回復しましたが、今も事故にあった事実を理解していないようです。
葬儀のあとも「いつ勇斗は帰ってくるの」「いつゲームを一緒にできるの」と言っていました。

勇斗の姉は1人では寝られなくなりました。外にも出られなくなりました。
友だちの家に自転車で遊びに行っていましたが、現場を通ることになるので行けなくなりました。
勇斗とはケンカもしていましたが、一緒にお風呂に入っていろんな話をしていました。
今も「勇斗はこのお菓子が好きだった」「このキャラクターが好きだった」と言っています。

夫の職業はトラックの運転手で、10年以上誇りを持って働いています。
ピカピカになったトラックの写真を子どもたちに見せることもありました。
あの日から夫はトラックが運転できなくなりました。
勇斗に申し訳なく思ってしまうようで、好きだった仕事を休職しています。

私はうつ病になり通院しています。今も車を運転できません。
半年たった今も事実を受け入れられていないです。

勇斗に会いたいです。
会いたくて、会いたくて、会いたくて、たまりません。
大事な息子を守れなかった。
生きているのがつらいです。

勇斗の成長を見届けたかったです。
これからの中学校や高校、成人式、結婚生活などずっと見届けたかったです。
何より、もっとずっと一緒にいたかったです。
おいしいものを食べたりご飯を作ってあげたり、平凡でいいからずっと5人家族で生活したかったです。

記者の取材ノート

勇斗はこの裁判中、9歳の誕生日を迎えました。
約束していた自転車を誕生日の当日に買って、仏壇のそばに置いています。
一目ぼれしてずっと欲しいと言っていたものです。
でも乗ることはできません。
誕生日に主役の勇斗がいなくてつらく悲しかったです。
それを一生味わうしかありません。

あなたには想像できますか。
ある日突然、子どもを失った親の気持ちを。
7、8年生きただけで命を奪われてしまった子どもの気持ちを。
あなたが起こした事故で人生をむちゃくちゃにされた5人に心から謝罪してください。

高次脳機能障害が残った娘 被告について「許してあげて」

法廷では他の被害者の親も思いを語りました。

一時重体となった小学3年生の女子児童。
父親(48歳)は病院の集中治療室で包帯でぐるぐる巻きになった娘と対面した。

娘は家族に愛されてすくすくと育ち、将来は学校の先生になりたいと話していました。
ゴールデンウィークにはキャンプを庭でやって、テントの設営を手伝ってくれました。
父の日にはひまわりの花束と「パパ大好き」という手紙をくれ、思いやりのある子どもに育ってくれました。

当日、妻から娘が血だらけで意識がなく救急車で運ばれたと連絡がありました。
病院に向かう途中、児童2人が心肺停止というニュースが入ってきました。

病院ではようやく30分後に医師から話を聞くことができました。
最悪のことも考えました。
頭蓋骨骨折などで命の危険も十分にあることや嗅覚は100パーセントだめで、片目は見えなくなるだろうと言われました。
次の日、手術をする前には両目も失明するだろうと言われました。

その後、7月16日には一般病棟に移ることができましたが、今度はコロナで付き添いは母だけで面会はできませんでした。
しばらくすると少しずつ声を出すようになり、「痛い」とか言うようになりました。
ご飯が食べられなかったので、胃に点滴の管を刺すときには泣き叫んでいました。

娘は毎日、特別支援学校で学び、昨年末に半年ぶりに退院しました。
高次脳機能障害が残りましたが、いつも笑顔で頑張っています。
被告についても「許してあげて」と言っています。

でも大好きだった学校に戻るのは怖いと話しています。
これからも元の生活には戻れないでしょう。
被告のことはどうでもいいですが、娘には少しでも回復してほしいと思っています。
今までの日常を返してほしいです。

あの騒がしさが幸せだった

小学2年生の凱仁(かいと)くんを亡くした父親(37歳)。
去年の誕生日には凱仁くんが大きくなったら一緒にしたいことを手紙に記していた。

裁判で感じることは、被告人は自分のしたことの重大さを理解しておらず、全く反省していないということです。
自分のしたことで子どもたち一人ひとりにどんな傷を負わせたか本当にわかっていますか。

事件後やっと会えたのに、警察署の冷たい台の上で全身痛々しい傷だらけの体で横たわっている姿を、うつろな目をしてこちらを見ている顔を想像できますか。

家の中に入ったとき、とても静かです。
たまには静かにしてほしいと思っていましたが、あの騒がしさが幸せだったと思います。
妻は凱仁の写真を見て話しかけるときに泣いていることが多いです。

7年間過ごしていろんな表情の凱仁を知っているはずなのに、あの日の顔がよぎります。
笑顔がかわいい私たちがよく知っている幸せだったときの凱仁だけを覚えていたいし、思いっきり抱きしめたいです。
しかし、その願いがかなうことはありません。

被告のことは一生許すことはできません。
私から7歳の誕生日に贈った手紙には大きくなったら一緒にしたいことをたくさん書きましたが、全部なしになりました。

凱仁はルールをしっかり守って道路の右側を1列になって歩いていました。
悪いことは何もしていません。
酒を飲んで運転している時点で、殺意がないにしても人を殺すのと同じです。
身勝手な理由で簡単なルールも守らなかった被告の行動をしっかり考えていただき、厳正な判決を下してほしいです。

心の傷はどんどん大きく

大けがをした小学2年生の男子児童。
母親は心の傷を負った息子に寄り添い続けている。

息子は痛くてつらい手術をしてきました。
亡くなった友だちの分も一生懸命生きようとしているのか、弱音は吐きません。

被告を許せないと思いながら息子のそばに付き添っていましたが、友だちを亡くしたことのショックは大きく、心の傷はどんどん大きくなってしまいました。

息子は毎日おびえています。
ごはんもあまり食べず、1人ではお風呂もトイレも行けなくなりました。
夜は布団の中で「会いたいよ」「遊びたいよ」と泣いています。
家の中にいても救急車のサイレンやトラックの音を聞くと、ひどく怖がります。

走るのが大好きで1年から6年までリレーの選手になることが夢でした。
1年の時には選ばれましたが、1回きりでかなわぬ夢になってしまいました。
これから一緒に過ごすことになっただろう友だちももういません。
楽しみにしていた生活も一変しました。

被告には命を奪ったことや小さな体に傷を負わせたことを忘れることなく、罪を償い続けてほしいです。

検察 「鉄の塊を暴走させた最悪のケース」

梅澤被告

最後の審理が行われた3月2日。
論告で検察官は、梅澤洋被告(61)に対し、厳しいことばを重ねました。

検察官

被告は勤務先の会社までおよそ27キロの道のりを運転しなければならないことを自覚しながら、事前にコンビニで購入した220mlのカップ焼酎を高速道路のパーキングエリアで飲んだ。

大型トラックを運転しながら職務中に飲酒をして運転を続けたのは言語道断。焼酎1カップ全部飲みきるのは、被告が何ら抵抗感を持たずに積極的に飲酒運転を行っていたことをあらわしている。当日もこれまでの飲酒運転の一環で危険性を考えることを放棄し、職業運転手としての責任感のかけらもない。

アルコールの影響による居眠りで、判断能力も運転操作能力も完全に放棄した状態で6トンの鉄の塊を暴走させた。飲酒運転の中でも最悪のケースだ。飲酒運転は多発しており、司法として社会に警鐘を鳴らすためにも、今回のように悪質な事案に対しては厳重な処罰が必要だ。

そして適用された条文では最も重い、懲役15年を求刑しました。

弁護士 「事実を認め、深く反省」

一方、弁護士は最終弁論で情状酌量を求めました。

被告(左)と弁護士(右)

本人は事実を認めて深く反省している。当初は黒い物体を避けて事故を起こしたと供述していたが、それは罪を免れようと虚偽を述べたのではなく、記憶によって正確に述べた。捜査の結果、居眠りの中で作られた記憶だと間違えていたことに気付いた。その後、居眠りについては素直に認めた。

弁護士

再犯の可能性は低く、将来的に運転免許を取得しようとも思っていない。飲酒そのものをやめることを決意していて、今後飲酒運転をすることはない。情状が認められるので公平な判決を求める。

被告 「子どもたちに申し訳ない」

最後に行われた被告の陳述。

裁判長
「最後に何か言いたいことはありますか」

被告
「子どもたちには申し訳ないことをした。ごめんなさい、すみません、申し訳ありません。これしかないです」

懲役14年の判決「運転に臨む態度は最悪」

3月25日の判決。
被告は黒のスーツ姿で法廷に入り、証言台の前に座りました。

検察の求刑は法定刑の上限の15年です。

裁判長

主文、被告人を懲役14年に処す。

裁判長

被害者のうち2人は命を奪われ、3人は重傷を負った。1人は頭部に極めて重篤な傷害を負わされて先の見えない治療を続けており、結果は非常に重大だ。被害者や家族の生活は一変し、悲しみや苦しみはこれからも癒えることはない。厳しい処罰感情は当然である。

裁判長

職業運転手として安全運転を心がけるべき立場にありながら、これまでに複数の交通違反歴があり、事故も起こしていた。それにもかかわらずストレスから勤務中に飲酒運転をし、酒臭さを指摘されたこともあったのに「自分は事故を起こさないから大丈夫」などと安易に考え、飲酒運転を続けていた。被告人の運転に臨む態度は最悪で、強い非難に値する

裁判長

一方でくむべき事情について検討すると、裁判で罪を認めて被害者や家族に対し謝罪の言葉を述べ、反省文を作成している。犯行により生じた事態を被告人なりに受け止めており、反省しようとする態度はうかがえる。勤務先の保険による損害賠償が見込まれるという事情もある。しかし犯行の悪質さの程度に照らせば、くみ取れる事情の程度は小さいと言わざるをえない。

被告は終始うつむいて、裁判長の言葉をじっと聞いていました。

被害者家族「判決受け入れることはできない」

判決について、被害者家族一同のコメントです。

「本日、被告に懲役14年の判決が下されました。私たちは、法律上の上限の懲役15年の判決を求めましたが、それでも被告が犯した行為や結果に対して十分な刑ではないと思っていました。

この裁判に参加し、被告の言い分を聞いても、被告の刑を軽くするまでの理由など私たちには何も見当たりませんでした。なぜ15年を下回る判決になってしまったのか理解できませんし、受け入れることはできません。今はただ残念という思いしかありません」

  • 千葉放送局 福田和郎 2006年入局。
    これまでに大阪、警視庁などで殺人事件や事故などを10年取材。現在は千葉県警担当。
    趣味は猫。

  • 千葉放送局 坂本譲 2020年入局。警察・司法を経て現在、千葉県政を担当。
    事故発生当時から警察の捜査や当事者について取材。

  • 千葉放送局 渡辺佑捺 2021年入局。警察・司法担当。
    主に事件や事故を取材。通学路の問題を継続的に取材。

  • 証言 当事者たちの声

    なぜ、娘が犠牲に “危険なバス停”をなくしてほしい事故

    3年前、横浜市で10歳の女の子が自宅近くのバス停で事故に遭い亡くなりました。横断歩道の上にバスが停車し、道路を渡る女の子の姿を隠してしまったのです。“危険なバス停”を取材しました。

    2021年12月9日

  • 証言 当事者たちの声

    【詳細】池袋暴走死亡事故 遺族・松永拓也さん会見「2人が愛してくれた私らしく…」事故

    東京・池袋で車を暴走させ、母親と3歳の子どもを死亡させたなどとして90歳の被告が過失運転致死傷の罪に問われた裁判で、禁錮5年の実刑判決が確定したことを受けて遺族が会見を開きました。その詳細です。

    2021年9月17日

  • 証言 当事者たちの声

    妻が死んだのは“単なる事故”じゃない事故

    孫に囲まれて幸せそうな笑顔を浮かべる妻の写真です。小学校で同級生だった私たちは、中学生のときに交際を始め、50年一緒に人生を歩んできました。ところが去年12月、突然の事故。「妻が死んだのは単なる事故じゃない」。原因の究明が妻のためにできることだと思っています。

    2021年3月23日

  • 証言 当事者たちの声

    “手をあげて 渡っていた” はずなのに 事故

    「遠回りになったとしても、絶対に横断歩道を使おうね」。 母親は、亡くなった息子にそう教えてきたそうです。 息子も、いつも手をあげて横断歩道を渡っていました。 『安全』だと教えていた横断歩道で奪われた、大切な命。 母親には、どうしても伝えたいことがあります。

    2021年4月6日