証言 当事者たちの声息子が遺した1冊 ~軽井沢スキーバス事故裁判へ 父親の思い~

2021年10月21日事故

突然のバス事故で亡くなった息子が、死の直前まで読んでいた1冊の本があります。
ガラスの破片が刺さった本の一節には、こう書かれていました。

社会を変えるには、あなたが変わること。
あなたが変わるには、あなたが動くこと。

息子からのメッセージだと背中を押された父親は、5年間走り続けてきました。
みずから社会を変えるために。

(10月21日更新)
長野県軽井沢町のスキーバス転落事故で、業務上過失致死傷の罪に問われているバス運行会社の社長らの初公判が10月21日に開かれました。

裁判に参加した父親が思いを語りました。

大学生など15人死亡 26人重軽傷

2016年1月15日午前2時前。
乗客およそ40人を乗せたスキーバスが長野県軽井沢町の国道を走っていました。

同じ大学に通う友人どうしなど10代や20代の若者が多く乗っていました。
向かっていたのは長野県内のスキー場です。

バスは下り坂を蛇行して左側のガードレールに衝突。
対向車線にはみ出して右側のガードレールを突き破り、道路脇に転落しました。

事故の直前、時速およそ96キロのスピードが出ていたとされています。

バスはめちゃめちゃに壊れ、屋根はくの字にひしゃげました。

13人の大学生が突然命を奪われ、26人が重軽傷を負ったこの事故。
就職を間近に控えていた若者もいました。

バスの運転手2人も死亡し、このうち65歳の運転手がハンドル操作などを誤ったとみられる-
警察は捜査でそう結論づけました。

駆け出しの記者が遺族の担当に

私は記者2年目で長野県警を担当していて、発生当初は捜査関係者の取材に明け暮れました。

「事故直前にバスに異変はなかったのか」
「バス会社の関係者は警察の調べにどのようなことを話しているのか」

バス会社が国が定めた基準を大幅に下回る運賃で仕事を請け負うなど、安全を軽視した姿勢が相次いで明るみに出ました。
    
半年後。
遺族取材を担当することになり、遺族会の代表に会うため長野から大阪に向かいました。

次男を亡くした遺族会の代表

遺族会「1.15サクラソウの会」の代表を務めるのは、大学生だった次男の寛(かん)さんを亡くした田原義則さんです。

田原寛さん

月に一度東京で開かれている遺族会の会合で名刺を交換したことはありましたが、改めて直接話を伺いたいと思ったからです。

当日、田原さんは仕事で出張に出ていて会うことはできませんでした。
ただ玄関先で対応した妻の由起子さんは「必ず連絡をするように夫に伝えます」と言ってくれました。

その日の夜すぐに田原さん本人から連絡があり、時間を設けてもらうことになりました。

記者の取材メモ

翌月の遺族会の日。
田原さんとは事実上初対面なので、改めて当日の話や寛さんのエピソードを伺いました。

「まさか寛がそのバスに乗っているとは思わなくて、LINEを送ったんですが返信がありませんでした。早く着いて寝ているのかなと思っていました」

「遺体安置所では妻が『起きて!起きて!』と叫んでいたのが目に焼き付いています」

「寛はサッカー少年で、よくガンバ大阪の試合を一緒に見に行ってましたね。キーパーでレギュラーだったんですが高校最後の試合では0対9でぼろ負けでした」

寛さんが社会福祉士を目指していたこと。
その資格を取るために当時の首都大学東京に進学したこと。
成人式で昔の友だちに会うのを楽しみにしていたこと。

田原さんは表情をほとんど変えずに淡々と話してくれました。
時折ことばを慎重に選びながら、寛さんについて静かに語る様子が印象に残りました。

先頭に立って 国も対策に動き出す

田原さんは事故から1か月後に、ほかの遺族に呼びかけて再発防止を訴える遺族会を立ち上げました。

活動を支援する弁護士も「こんなに動きが早い遺族を知らない」と驚くほどでした。

大阪で仕事をしながら都内と往復を続け、バス事業者を管轄する国土交通省などと意見交換を重ねたといいます。

国土交通省はその後、遺族会の要望を含めた85項目にわたる再発防止策を取りまとめます。
国の監査体制が強化され、貸し切りバス会社の安全対策が不十分な場合は事業許可が取り消されることになりました。

JR福知山線の脱線事故や笹子トンネル事故などの遺族とも連絡を取りあい、大事故を起こした企業の責任を問う「組織罰」の創設を訴える活動も始めました。

私の目には田原さんの行動が周囲の意識、そして社会を変えているようにうつりました。
同時になぜという思いも湧き上がってきました。

「突然息子を亡くして話をするのもつらいはずなのに、どうしてこんなに気丈にがんばれるのだろう」

何がその背中を押しているのか聞いてみたいと思いました。

ガラスの破片が刺さった本

インタビュー取材をした大阪のホテルで、田原さんは1冊の本を見せてくれました。

タイトルは、「社会を変えるには」。
歴史社会学者の小熊英二さんの著作です。

戻ってきた遺品のかばんの中に入っていました。
寛さんがこの本を読んでいることは全く知らなかったそうです。

「最初は気づかなかったんですが、パラパラとめくっていたらこのページにガラスの破片が挟まっていたんです」

事故の衝撃を思い知らされましたが、それ以上に本の一節に目を奪われました。

-社会を変えるには、あなたが変わること。
あなたが変わるには、あなたが動くこと。-

死の直前まで読んでいたこの本の一節が寛さんから今の自分へのメッセージのように感じたといいます。

「いつも前向きだった寛は、私と妻に“悲しくても前を向いて”と言っているはず」

田原さんは通夜の前日にこれから自分に何が出来るのか考え、寛さんにある約束をしていたので、本を見て驚いたといいます。

(田原義則さん)
遺族みずからが世の中を変えることができたらいいなと棺の前で約束していたので、偶然かもしれませんが本を見つけたとき本当にびっくりしました。自分がやっていることは間違っていない、寛も背中を押してくれているんだと確信しました

私は初めて遺族会の代表としてではなく、父親としての声を聞いた気がしました。

そして「社会を変える」という寛さんとの約束のために取材を受け続けているのだと。

約束を果たしたい 4万7000人の署名

事故から5年が過ぎた2021年1月、遺族会の活動がまた1つ実を結びました。

バスを運行していた会社の社長と運行管理担当の元社員を、長野地方検察庁が業務上過失致死傷の罪で在宅起訴したのです。

これでバス会社側の管理責任が問えるかどうか公開の法廷で審理されることになります。

事故の責任の所在を明確にすべきだとして田原さんたち遺族はおよそ4万7000人分の署名を集めて長野地検に提出していました。

寛さんとの約束を果たしたいと求め続けてきたことでした。

その日の夜に開かれた会見で、田原さんはここがスタートだと強調しました。

(田原義則さん)
「事故現場で感じた悲しさ、悔しさは5年たっても全く変わることはありません。本日ようやく起訴されて、遺族会として求め続けてきた本当の原因究明に少し近づけたということを寛に報告しました」

遺族としては処罰を求めるものではありません。責任の所在の明確化と再発防止です。バス会社の関係者の方々には、あのとき会社で何が起きていたのか、なぜ安全安心な運行管理ができなかったのか。正直に法廷で説明をお願いしたいです」

始まった裁判 焦点は“事故は予見できたのか”

裁判に向かう田原さん(10月21日)

2021年10月21日に行われた初公判。
裁判の焦点は、会社の安全管理体制と社長らが“事故を予見できたのか”です。

バス会社の社長と運行管理を担当していた元社員は、死亡した65歳の運転手が「大型バスの運転は不安だ」と採用面接で話すなど、死傷事故を起こす可能性があると予見できたのに必要な訓練をしなかったなどとして、業務上過失致死傷の罪に問われている。

【罪状認否】
裁判長が2人の被告に起訴された内容について問いました。

<社長の認否>
社長は冒頭、事故について謝罪しました。

「尊い命を落とされた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。また遺族の方々には心よりおわび申し上げます。被害者の方々、ご家族、関係者の皆様へ心よりおわび申し上げます」

その上で次のように述べました。

「運転手が前の職場で大型バスに乗っていなかったという話は聞いていませんでした。フットブレーキをなぜ踏まなかったのか疑問に思っています。フットブレーキを使用せずに走行するような人物だとは聞いていませんでしたし、予想もしていませんでした」

<社長の弁護士の意見>
「運転手は大型バスの運転を禁じるほど技術的に未熟ではなく、被告はそのように認識もしていませんでした。フットブレーキを使っていれば防げた事故で、そうした操作を運転手が行わないことを事前に予期するのは不可能でした。若い命を奪った悲惨な事故を起こした道義的責任はあるにしても予見可能性は認められず、無罪といわざるを得ません」

<元社員の認否>
「運転手がフットブレーキをかけずに事故を起こすとは思ってもみませんでした。また、仲間からは運転は大丈夫だという話も聞いていました」

<元社員の弁護士の意見>
「今回の事故は運転手が適切なギア操作ができなかったのが原因ですが、それを予見するのは不可能でした。道義的責任はありますが、刑事責任はなく無罪です」

社長と元社員、いずれも無罪を主張しました。

検察「ギアチェンジ何度も失敗」

【検察の冒頭陳述

一方検察官は、事故までのいきさつについて次のように主張しました。

▽死亡した運転手は以前勤務していたバス会社の社長に「大型車両は運転したくない」という旨を申し出て、主に小型バスの運転をしていた。

▽運行管理を担当していた元社員は運転手に大型バスの運転経験がない旨を聞いていた。

▽元社員は運転手の採用面接の際に、大型バスの運転経験が少ないということを聞いていた。

▽元社員は旅客業務を通して大型バスの運転に慣れさせようと、採用の翌日から計3回にわたりベテランの運転手とのスキーツアーの運転業務に従事させた。

▽3回目に同乗したベテランの運転手は、死亡した運転手がギアチェンジを何度も失敗することなどから技能は不十分と判断していた。

▽元社員は上記の事実があるにもかかわらず、同乗したベテラン運転手から技量についての報告を求めず、運行管理者として点呼や具体的指示を行わなかった。

▽社長は元社員が運転手を採用し、ベテラン運転手とペアで運転に従事しているという報告を受けたにも関わらず適切な指揮監督を行わなかった。

▽社長は運転手の技量の把握を行わず、元社員に対しても適切な指導をしなかった

初公判を終えて会見「受け入れがたい」

寛さんの形見のネクタイをつけて裁判に参加した田原さん。

初公判のあと開いた会見で次のように話しました。

「被告側から事故の予見可能性などについて発言がありましたが、とても憤りを感じたし、受け入れがたい。なぜ安全な運行管理ができなかったのか、組織として防ぐことができなかったのか、納得できる説明をしてほしい」

「裁判の中で明らかになる事実をもとに再発防止策の足りないところがないか、そういう議論につなげることが必要だと思います」

事故を忘れないでほしい

裁判が始まる前、田原さんは5年間の活動を次のように振り返っていました。

「これまでの5年間の活動は間違いではなかったと思っています。私は口うるさく言うことが遺族の役割だと思います。裁判で原因が少しでも明らかになればそれをまた再発防止につなげないといけないので終わりではないです。まだ先で想像もできませんが裁判が終わっても一区切りになるという考えはないですね」

新型コロナの影響で苦境に立たされたバス業界ですが、どんな状況であってもコスト削減のために安全が犠牲になるようなことがあってはならない。

そして何より息子たちが犠牲になった軽井沢のバス事故を忘れないでほしい。

田原さんは体力と気持ちが続く限り、そう声を上げ続けるつもりです。
社会を変えるために…

  • 長野放送局 斉藤光峻 2017年入局
    警察・司法を担当し、現在の担当はバス業界を含む交通分野と経済など。
    バス事故の取材を一貫して続けている。

  • ⾸都圏局 ⽣⽥隆之介 2014年入局 
    初任地の長野放送局で
    軽井沢のスキーバス事故や
    御嶽山の噴火災害などを取材。
    札幌局を経てR2年(2020年)から首都圏局。

  • 長野放送局 篠田祐樹 2020年入局
    警察・司法を担当。
    交通事故のほか、特殊詐欺被害防止の取材を続けている。

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