追跡 記者のノートから「袴田事件」再審開始決定を出した元裁判長が語る「再審」
1966年に静岡県で一家4人が殺害される事件が起きました。
犯人として逮捕・起訴されたのはプロボクサーだった袴田巌さん(87)。
死刑が確定しましたが、その後も一貫して無実を訴え、40年以上にわたって「再審」=裁判のやり直しを求め続けています。
きょう(13日)東京高等裁判所は袴田さんの再審を認める決定をしました。
「袴田事件」と呼ばれるこの事件では、9年前にも再審を認め死刑囚を初めて拘置所から釈放するという前例のない決定が出されていました。
異例の判断の裏に何があったのか、当時の裁判長が取材に応じました。
※3月16日更新
拘置所
・法務省が管理する施設で、主に刑事裁判が終了していない被告人や死刑囚が収容されている。
・全国に8カ所、拘置支所は97カ所ある(令和3年4月現在)。
・接見禁止措置がついていなければ、原則、誰でも面会は可能。面会に応じるかどうかは被告人が判断する。
弁護士以外の面会は、1日1回15分程度の制限がある。
・国内最大の拘置所は、東京・葛飾区にある「東京拘置所」。
「東拘(とうこう)」や所在地をとって「小菅(こすげ)」などとも呼ばれる。
・「東拘」の建物の前には、収容されている人への差し入れの品を扱う「差し入れ店」や関係者や報道機関が愛する昔ながらの喫茶店がある。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
袴田事件とは
1966年6月、いまの静岡市清水区でみそ製造会社の専務の家が全焼。
焼け跡から一家4人の遺体が見つかり、この会社の従業員で元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。
袴田さんは当初、無実を訴えましたが、逮捕から19日後の取り調べで自白。しかし、裁判では再び無罪を主張しました。
事件発生から1年余り後、すでに裁判も始まっていた時期に、みそ製造会社にあったタンクから血の付いたシャツなど「5点の衣類」が見つかります。
犯人のものなのか、それとも“ねつ造”されたものなのか、現在に至るまで争われ続けている証拠です。
1968年、1審の静岡地裁は、45通の調書のうち44通は自白を捜査官に強要された疑いがあるとして証拠として認めませんでしたが、この「5点の衣類」が有罪の証拠だと認定し、袴田さんに死刑判決を言い渡しました。
2審の東京高裁と最高裁でも無罪の主張は退けられ、1980年に死刑が確定しました。
再審求め翻弄された40年
死刑が確定したよくとしの1981年、袴田さんの意を受けた弁護団は再審=裁判のやり直しを裁判所に求めますが、2008年、最高裁で再審を認めない判断が確定しました。申し立てから実に27年がたっていました。
2回目の再審の申し立ては異例の展開をたどります。
2014年、静岡地裁は再審開始を命じるとともに、袴田さんの死刑の執行を停止する決定を出します。
「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と当時の捜査を厳しく批判し、拘置所にいた袴田さんの釈放までも認める前例のない判断でした。
しかし、検察が不服として即時抗告。東京高裁は地裁と逆の判断をして再審を認めず、最高裁は「審理が尽くされていない」として再び高裁で審理するよう命じました。最高裁では5人の裁判官の意見が3対2で分かれ、2人は「再審を認めるべきだ」と述べていました。
拘置所
・法務省が管理する施設で、主に刑事裁判が終了していない被告人や死刑囚が収容されている。
・全国に8カ所、拘置支所は97カ所ある(令和3年4月現在)。
・接見禁止措置がついていなければ、原則、誰でも面会は可能。面会に応じるかどうかは被告人が判断する。
弁護士以外の面会は、1日1回15分程度の制限がある。
・国内最大の拘置所は、東京・葛飾区にある「東京拘置所」。
「東拘(とうこう)」や所在地をとって「小菅(こすげ)」などとも呼ばれる。
・「東拘」の建物の前には、収容されている人への差し入れの品を扱う「差し入れ店」や関係者や報道機関が愛する昔ながらの喫茶店がある。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
“僕は犯人ではありません”
袴田巌さんはいま、浜松市で暮らしています。
釈放されてからは、外を自由に歩きたかった日々を取り戻すかのように散歩が日課となり、毎日数時間、歩き続けていました。
一方で、死刑への恐怖から自分の世界に閉じこもるようになり、今も意思の疎通が難しい状態が続いています。
そんな袴田さんを事件発生から半世紀以上にわたって支え続けてきたのが、姉のひで子さん(90)です。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
6人きょうだいの5番目と末っ子で年が近く、子どものころはよく2人で川遊びに出かけるなどいつも一緒にいたといいます。
若いころのひで子さん(左)と袴田さん(右)
ひで子さんは優しい弟が事件を起こすはずはないと信じ続けてきました。
家族のもとには、勾留中の袴田さんから毎日のように手紙が届きました。そこには、無実を訴える悲痛な声がつづられていました。
勾留
・警察署や拘置所などに容疑者や被告を拘束しておくことで、裁判所の許可がいる。
・犯罪を犯したと疑うのに十分な理由があり、逃走や証拠隠滅のおそれがある場合に認められる。
・逮捕 送検の後に、勾留の必要があれば原則10日間の勾留が認められる。
・必要があれば1回は勾留を延長できて、最長で合計20日間となる。
・勾留は刑罰ではない。
袴田巌さんの手紙
「僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ」
「事件には真実関係ありません。私は白です」
ひで子さんは仕事のかたわら、可能な限りの時間とお金を弟のために費やしました。面会も重ね、袴田さんを励まし続けましたが、裁判では死刑が言い渡されます。周囲からの冷ややかな目に心身は傷つき、一時はお酒を飲まないと寝つけない状態にもなったといいます。
ひで子さん
「まさか巌がね、そんなことするわけないと思っていた。夜ふっと目を開くと巌のことを考えて眠れなくなって、お酒飲んで寝る。顔の肌なんか、粗壁を触っているようだった。それでも朝には化粧をして、仕事に行かなきゃいかんから行っていた。全部敵に見えたもん。弁護士でさえ敵に見えた。支援者でさえ敵に見えた。誰もわかってくれないし」
死刑が確定したあと、袴田さんの心は少しずつむしばまれていきました。
ひで子さんとの面会も拒否するようになり、3年7か月ぶりに対面を果たしたときは、みずからを「袴田巌ではない。神になった」と語り、会話は通じませんでした。
その後も面会拒否の期間が長く続きましたが、ひで子さんは諦めず、浜松市から月に1度、東京の拘置所に通い続けました。
拘置所
・法務省が管理する施設で、主に刑事裁判が終了していない被告人や死刑囚が収容されている。
・全国に8カ所、拘置支所は97カ所ある(令和3年4月現在)。
・接見禁止措置がついていなければ、原則、誰でも面会は可能。面会に応じるかどうかは被告人が判断する。
弁護士以外の面会は、1日1回15分程度の制限がある。
・国内最大の拘置所は、東京・葛飾区にある「東京拘置所」。
「東拘(とうこう)」や所在地をとって「小菅(こすげ)」などとも呼ばれる。
・「東拘」の建物の前には、収容されている人への差し入れの品を扱う「差し入れ店」や関係者や報道機関が愛する昔ながらの喫茶店がある。
48年ぶりに家族のもとへ
ひで子さんの長年の活動が実を結び、袴田さんを支援する輪は徐々に拡大し、再審を求める運動も広がりました。
そして2014年3月、静岡地裁で再審開始が決定。
再審請求決定受け 喜ぶひで子さん袴田さんは釈放され、48年ぶりにひで子さんのもとに帰ってきました。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
釈放された袴田さんとともに 「再審開始・釈放」決定出した裁判長
袴田さんを釈放する決定を出した村山浩昭元裁判官(66)です。
当時、静岡地裁で裁判長として袴田事件の審理にあたりました。
1983年に裁判官になってから主に刑事裁判を担当し、おととし退官。いまは弁護士として裁判に携わっています。
死刑が求刑される事件を一度も担当したことがない裁判官も多い中、村山さんは秋葉原無差別殺傷事件など複数の死刑事件で裁判長を務め、「究極の刑」の判断に何度も向き合ってきました。
裁判官が判決や決定を出すために話し合う「評議」の内容は公にしてはならないと法律で定められています。
しかし、あの異例の決定がどのように生まれたのか知りたいと取材を申し込むと、「墓場まで持って行かなければならないこともある。その前提でいいなら」と話をしてくれました。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
「証拠開示」が導いた”ねつ造“の指摘
静岡地裁裁判長時代の村山さん村山さんが静岡地裁に赴任したのは2012年。
静岡地裁では市内で2000万円が奪われた強盗傷害事件やうなぎの産地偽装事件など数々の刑事裁判を担当し、判決を言い渡しました。
赴任した当時、袴田事件の審理は大詰めを迎えつつありました。前任者から引き継ぎ、裁判長として審理を担当することになった村山さんは「身の引き締まる思いだったし、何とか判断を出すまで頑張らなければならないと思った」と振り返ります。
最大の争点は、有罪判決の決め手となった証拠「5点の衣類」が本当に袴田さんのものなのかどうか。判決では袴田さんが犯行時に着ていたものと認定されましたが、現場近くのみそタンクの中から衣類が見つかったのは袴田さんが逮捕されてから1年以上もあとだったため、弁護団は「逮捕されたあとに別の誰かが入れたものだ」として、ねつ造された証拠だと主張していました。
争点となっている5点の衣類静岡地裁の審理では衣類についた血痕のDNA鑑定が行われ「袴田さんのDNAとは一致しない」とする鑑定結果が出ていました。
さらに村山さんは検察にこれまで出していない証拠がないか、あれば開示するよう積極的に働きかけました。その結果、「5点の衣類」はねつ造の可能性があると判断し、再審開始と釈放を認める決定を出したのです。
決定では「捜査機関によってねつ造された疑いのある証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた」と指摘しました。
再審に関する法律には検察がどこまで証拠を開示すべきかなどの定めはありません。
裁判長の裁量に委ねられる中、なぜ積極的な対応を取ったのか尋ねると「規程がないからこそ自分たちでやらなければ」という思いだったと明かしました。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
村山元裁判長
「証拠の開示がいかに重要かというのは過去の例からも知っていたので当然だと思いました。前任の裁判長の功績である程度開示が進んでいたこともあって違和感なく検察にも強く言うことができました。『5点の衣類』についても『写真だけでなくネガも出してほしい』と散々言って検察官は『あれば出します』と言っていたんですが、結局『ない』と。その後の高裁の審理で『警察署にありました』と出してきましたけどね。
正直言ってたくさん証拠開示されても心証に響くものはそんなに多くはありません。ただ丹念に見ていくとこんなものがあったのかということもあるんです。有罪となった裁判の段階で出されていたら結論が変わっていたかもしれないという証拠が1個でも2個でも出てきたら、そのこと自体が重大な問題ですよね」
異例の執行停止
村山さんは袴田さんが求めていた再審開始を認める決定を出し、同時に「拘置の停止」、つまり拘置所からの釈放も命じました。
再審開始を認めた場合の条文には「刑の執行を停止することができる」という記載はありますが、死刑囚を釈放できるかどうかまでは書かれておらず、解釈も分かれていました。
前例がない判断に不安や恐怖はなかったのかと尋ねると「それはありました」という村山さん。それでも決断したのは2つの確信があったからだといいます。
拘置所
・法務省が管理する施設で、主に刑事裁判が終了していない被告人や死刑囚が収容されている。
・全国に8カ所、拘置支所は97カ所ある(令和3年4月現在)。
・接見禁止措置がついていなければ、原則、誰でも面会は可能。面会に応じるかどうかは被告人が判断する。
弁護士以外の面会は、1日1回15分程度の制限がある。
・国内最大の拘置所は、東京・葛飾区にある「東京拘置所」。
「東拘(とうこう)」や所在地をとって「小菅(こすげ)」などとも呼ばれる。
・「東拘」の建物の前には、収容されている人への差し入れの品を扱う「差し入れ店」や関係者や報道機関が愛する昔ながらの喫茶店がある。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
村山元裁判長
「決定に書かれているように、最大にして唯一の証拠と言ってもいい『5点の衣類』は捜査機関によるねつ造の疑いがあるとされていたのが1つ。
もう1つは、袴田さんは一体何年拘束されているのか、このまま拘置が続いたらどうなるのかとの思いです。実は私たち裁判官3人は東京拘置所まで袴田さんに会いに行っています。刑事訴訟規則で再審請求について決定を出す場合は本人に意見を聞く必要があるとされているので、直接意見を聴き、心身の状態がどうなっているのか確かめたかったのですが、袴田さんは会ってくれませんでした。精神的な問題からだと思いますが、面会を拒否されました。私が調べた限りでは裁判所が拘置の停止を命じた例はなく、解釈上も死刑の執行は止められても、拘置は止められないと理解するのが普通だったんですけど、果たしてそれでいいのかなと。裁判官は判例などを重く見るので、確立したやり方については自信を持ってやりますけど、新しいやり方は一種の冒険です。そういう意味ではある程度確信がないとできないです」
拘置所
・法務省が管理する施設で、主に刑事裁判が終了していない被告人や死刑囚が収容されている。
・全国に8カ所、拘置支所は97カ所ある(令和3年4月現在)。
・接見禁止措置がついていなければ、原則、誰でも面会は可能。面会に応じるかどうかは被告人が判断する。
弁護士以外の面会は、1日1回15分程度の制限がある。
・国内最大の拘置所は、東京・葛飾区にある「東京拘置所」。
「東拘(とうこう)」や所在地をとって「小菅(こすげ)」などとも呼ばれる。
・「東拘」の建物の前には、収容されている人への差し入れの品を扱う「差し入れ店」や関係者や報道機関が愛する昔ながらの喫茶店がある。
手探りの再審制度
一方、再審開始について「勇気を出して覚悟を持ってやらないといけないということではなく、やり方のスタンダードの規程があった方が、当然スムーズに行くと思う」と話します。
再審の手続きは刑事訴訟法で定められていますが、条文は19しかなく、しかも大正時代から一度も改正されていません。審理の進め方などの詳細について定めはなく、裁判官の裁量に任されているのが現状です。
村山元裁判長
「今の再審制度のままでは、どの立場に立っても手探りです。検察官から『私は何をしたらいいですか?』と聞かれたこともありますし、再審に関わったことがない弁護士が請求をしようとしたら大変な状況です。再審事件の審理が無理なく進められるよう制度を整えることは、えん罪被害者の救済だけでなく、裁判官や弁護士、検察官など審理に関わるすべての人のためになると思います。だからこそ袴田事件の審理を経験した元裁判官として、法改正の必要性を訴えています」
“もっと早く正されないといけなかった”
私たちは最後に、「長年の裁判官人生の中で袴田事件はどんな存在か」と尋ねました。
すると村山元裁判長は、ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぎながらこう答えました。
村山元裁判長
「大変な事件でしたが考えれば考えるほど『こういうことはあってはならない』『もっと早く正されなければいけなかった』と思いました。
一緒に審理した裁判官2人とは『とにかく一生懸命やろう』としょっちゅう話していましたし、決定も熱い議論をした結果です。
元裁判官としては、再審によって自分のやった裁判がひっくり返されたら大変辛いわけですが、それでもやはり救済されるべきものは救済されないとおかしいと思います。私にとっては、再審法の改正という今後の人生の課題まで与えてくれた事件でもありますし、ひで子さんに会えたことは一生の喜びです」
東京高裁の判断は
そしてきょう(13日)、東京高等裁判所は決定で弁護側がこれまでに示した実験結果などについて「無罪を言い渡すべき明らかな証拠にあたる」と認め、村山さんたちの9年前の判断に誤りはないとして再審開始を認めました。
決定は争点となっていた5点の衣類について「事件から相当期間経過したあとに第三者がタンクに隠した可能性が否定できない。事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」と“ねつ造”の可能性を指摘しました。
釈放についても「袴田さんが無罪になる可能性、再審開始決定に至る経緯、袴田さんの年齢や心身の状況に照らして相当だ」として地裁の決定を維持しました。
決定を受けて弁護団はこれ以上審理を長引かせるべきではないとして、検察に対し最高裁に特別抗告しないよう強く求めています。
東京高等検察庁次席検事は「主張が認められなかったことは遺憾だ。決定の内容を精査し、適切に対処したい」とコメントしています。
釈放
・勾留されている被告の身柄の拘束を解くこと。
・逮捕・送検後に捜査機関が勾留を求めなければ釈放される。
・裁判所が勾留を認めない場合や、勾留期限に起訴されない場合も釈放される。
・保釈とは違って条件は設けられない。
・“無罪放免”の場合もあれば、在宅での捜査が続く場合もある。
失われた日々
袴田さん87歳の誕生日東京高裁の決定が出る3日前の3月10日、袴田さんは87歳の誕生日を迎えました。去年の夏ごろから長く歩くことが難しくなり、支援者の車で出かけることを望むようになりました。さらに糖尿病を患い、日常生活では介助が必要な場面も出ています。
袴田さんを支え続け、ともに暮らすひで子さんも2月で90歳になり、去年から毎月、医師の往診を受けるようになりました。
人生の大半を再審に費やしてきた2人。
司法の判断に翻弄され続け、袴田さんは今も“死刑囚”のままです。
ひで子さんは「真の自由を与えてほしい」と強く願い続けています。
ひで子さん
「いつ死んでも良い人間だもの、年で言えばね。あたしもそうだけど、巌もそう。いつ何があっても覚悟しているけど、再審開始を見届けにゃ、死ぬにも死ねんよ。
今はなんも言わんけど、巌の48年はすさまじいもんだと思う。死刑囚でなくなったよって伝えてやりたい。それだけです」
袴田さんもひで子さんも高齢になる中、「無罪かどうか」ではなく「裁判をやり直すかどうか」を判断するのに40年もかかっているという事実、そして村山元裁判長が感じた法制度の不備は、えん罪の救済はどうあるべきか、重い課題をつきつけています。