追跡 記者のノートから2児の母親が追い詰められた “もう少し頑張ろうね”

2022年5月24日司法 裁判 事件 社会

雪が降っていた12月の夜。

パトロール中の警察官は雪だまりにはまっていた軽自動車を見つけた。

シートは後ろに倒され、母親と幼い2人の子どもが川の字で横たわっている。

近くに置かれているのは、火のついた練炭だ。子どもたちの意識はある。

「自殺しようとしたのか?」

警察官が尋ねると、27歳の母親は無言でうなずいた。

なぜ母親は9歳の長男と5歳の長女を連れて“死”を選ぼうとしたのか。
周囲からの「もう少し頑張ろうね」という言葉を母親はどう受け止めたのか。
裁判を通して見えてきたのは、コロナ禍で多くの問題に直面し、孤立した家族の姿だった。

(前橋放送局記者 兼清光太郎)

“甘えたり相談したりする経験できず”

2020年12月、群馬県内の駐車場に止めた車の中で、心中する目的で2人の子どもを殺害しようとしたとして殺人未遂の罪に問われた母親に対し、前橋地方裁判所は執行猶予の付いた有罪判決を言い渡した。

裁判では事件に大きな影響を与えたとして、被告人質問などで彼女(=被告)の生い立ちが語られた。

小学生になる前に両親は離婚。

そのどちらにも引き取られず、彼女は祖父母のもとで育った。

祖母は優しかったが、祖父は厳しい人だった。

祖母に暴力を振るうこともあり、自身も正座させられて怒られたという。

祖父母に育ててもらったことをありがたいと思っていたが、親がいない状況をさみしいとも感じていた。

高校は2年生で中退。
進学したかったが金銭面で気を遣ってしまい、美容師になるという夢はかなわなかった。

裁判での被告

高校をやめたあとは地元にいるのが嫌で、千葉県に行った。

当時交際していた男性と結婚してまもなく長男が誕生。
このときは群馬県に住む母親のもとで里帰り出産をした。

しばらくして金銭問題などが原因で離婚すると、長男を連れて母親と暮らし始めた。

しかし気が合わないと感じて家を出て、別の男性と交際するも激しい暴力を1年弱にわたって受け続けたという。

彼女は父親のもとに身を寄せることにしたが、もともと疎遠だった父との生活も長続きはしなかった。

20代前半のときに再婚して長女が生まれたが、金銭的に生活が厳しく仲が悪くなって再び離婚した。

一緒に暮らしては、その人のもとを離れる。

その繰り返しだった。

弁護士は生い立ちについて、パーソナリティー(人格)が形成される思春期までの間に、家族に甘えたり周囲に相談して支えられたりする経験ができなかったため、相談が苦手で周囲の人を信用しづらいという特性を有するようになったと主張した。

さらに追い打ちをかけたのがコロナ禍で孤立状態になるなど、多くのストレス要因だった。

コロナ禍 強まった“孤独”

2度の離婚を経た彼女は、シングルマザーとして幼い子ども2人を育てながら飲食店で働き、生計を立てるようになった。

事件の1年ほど前までは、週6日勤務ということも珍しくなかったという。

しかしその職場で今度は人間関係のトラブルに巻き込まれ、数少ない理解者だった同僚の退職を機に孤立を深めていく

新型コロナウイルスの影響で収入も減っていった。

介護の仕事をしている母親からは、コロナへの感染不安で「家に来ないでほしい」と言われ、頼ることはできなかった。

だんだん出勤回数は少なくなり、事件の2か月ほど前に退職。

周囲とのつながりはさらに希薄になった。

子育ての悩みもストレス要因に

子育ての悩みも大きなストレスになった。

小学生の長男は勉強に遅れがあり、問題行動を起こすこともあったという。

子どものことについて質問されると、彼女はことばを振り絞るように答えた。

弁護士

どんな問題行動を起こしていた?

家から急に飛び出してどこかに行ってしまったり、友だちの服に落書きをして学校から呼び出されたりしていました

被告
弁護士

家を飛び出す理由は尋ねましたか?

何度か聞いたんですが、「楽しいから出て行った」とか言っていました。大人からすると理解できない感じでした

被告
弁護士

長男についてどこかの機関に相談したことは?

保健センターには相談したんですが、あまりいい答えが得られませんでした

被告

“親切”から“監視されている”に

一方で裁判では、行政が家庭の状況を把握して対応に乗り出していたことが明らかになった。

児童相談所の職員が「近くまで来たので」と突然、自宅を訪れることもあったという。

弁護士

児童相談所から頻繁に連絡が来ることをどう感じていた?

児童相談所は虐待やネグレクトを扱うという印象が強かったので、その先入観から…(泣き出す)…私は疑われているんじゃないかとプレッシャーを感じました。ネットで子どもを勝手に連れて行かれたといった情報を見てしまい、不安が募りました

被告
取材ノート
弁護士

学校はどうでしたか?

はじめはすごく親切だなと思っていたんですけど、だんだん、やりすぎかなと

被告
弁護士

やりすぎとは?

家庭の事情に踏み込みすぎだなと

被告
弁護士

学校からどういう連絡が来たんですか?

休んだ時はプリントを家まで届けてくれました

被告
弁護士

それは親切なのでは?

当時は監視されているように感じて、家が落ち着く場所ではなくなってしまいました

被告

行政は彼女に手を差し伸べようとしていた。

でも孤立状態にあった彼女は素直に受け取ることができなかった。

虐待を疑われているのではないか、自分に至らない点があるのではないかと感じてしまっていたのだ。

ふと目にした“大雪”のニュース

-2020年12月17日-
彼女が「死」を選択したその日。

眠ることができず食欲もなく、5日ほど入浴もしていなかった。

長男は学校に行ったが、長女を幼稚園に連れて行けずに2人で過ごしていた。

ふとテレビを見ると、ニュースで「大雪が降る」と伝えていた。

-午後-
小学校から帰ってきた長男がこう訴えた。

「学校の先生から『きのうずる休みしただろう』と言われた」

なぜ先生は自分に言わないのか。

「信頼されていない」と強いストレスを感じた。

彼女はキッチンに2通の遺書を置き、以前から準備していた練炭と毛布を車に積んで、子どもたちと出発した。

ただそのときは「もしかしたら」というくらいで、強く自殺しようとは思っていなかったという。

立ち寄った店

「夕食を食べに行くよ」

向かったのは長男のお気に入りだったハンバーガーチェーンの店舗。

天気予報どおり雪も降っていて子どもたちは喜んでいたが、彼女は一口食べるのがやっとだった。

“最後の夕食”を済ませると車をあてもなく北へ走らせた。

-午後5時15分ごろ-

このとき彼女は知人に1通のメッセージを送った。

「もう頑張れないし、子どもたちもこんな状況じゃ生きていてもかわいそう。私が悪い。連れて行くことにしました。身の回りのことがどんどんプレッシャーになって、焦りもすごすぎて1人で何もできない。コロナもあるし、生きていく気にならない。携帯は電源切ります。先に逝かせてね」

-午後6時37分-

メッセージを受け取った相手は、共通の友人の女性に連絡。

この女性が彼女の自宅を訪ねて遺書を発見し、警察に通報した。

たどりついた故郷

彼女がたどりついたのは、生まれ育った故郷だった。

かつて住んでいた自宅に向かったが、想像以上の積雪に怖くなり途中で引き返した。

長男が「トイレに行きたい」と言い出したので、通りかかった土産物店に車を止めることにした。

駐車場に入ったときだった。

出入り口でタイヤが雪にはまってしまい、動けなくなった。

車外に出て後ろから押しても、アクセルを全開にしても出られない。

このときの心情について、彼女は次のように語った。

「車の中では長男と学校のことや学校の先生の話をしましたが、学校に行きたくないという話を聞いていると気分が下がっていきました。車が動かなくなると、今までのつらい気持ちが一気に頭に浮かんできたんです」

車を止めた駐車場

-午後8時半ごろ-

運転席と助手席を後ろに倒すと、長男は運転席側、長女は助手席側に横になった。

彼女は2人に毛布をかけたあと、七輪とバーベキューコンロに入った練炭に火をつけ、子どもたちの間に自身の体を横たえた。

10分ほどたった時だった。

運転席のドアが開いた。

警察官
「(本名)さんか?」
被告
「はい」
警察官
「自殺しようとしたのか」。
被告
(1回うなずく)。

友人からの通報を受けて、警察が出身地など関係先をパトロールしていたところ発見したという。

子どもたちは意識がはっきりしていて元気だったものの、彼女は顔面そう白で身動きができず、過呼吸の状態だった。

たしかに死を選ぼうとした。
それでも自身がSOSを発したことで結果的にすぐに発見され、一命を取り留めたのだ。

「もう少し頑張ろうね」がプレッシャーに

殺人未遂の疑いで逮捕、その後起訴された被告の裁判で、私(記者)が印象に残った場面があった。

事件から2か月ほど前の心情について尋ねられた場面だ。

「いろんな悩みからどうにかしなきゃという気持ちがあった。その状況で担任の先生や教頭からの『もう少し頑張ろうね』ということばが…やっぱり若い母親だから悪く思われているようでプレッシャーでした」

何気ない、もしくは“良かれ”と思った「頑張ろう」ということばが逆に重荷になっていたのだ。

支援といっても一筋縄ではいかない、対応の難しさを改めて実感させられた。

被告人質問の最後に、裁判官が問いかけた。

裁判官

いま考えて、どう行動したら犯行に及ばなかったかもしれないと思いますか?

児童相談所や学校の先生にきちんと相談して、子どものことを他人の目線から聞けたらまた違った結果だったかもしれません

被告

<被告の陳述>
最終弁論のあと審理の最後に言いたいことを尋ねられたときには、反省のことばを口にした。

本来守らなければいけない子どもたちの命を危険な目にあわせてしまったことを申し訳なく思い、とても反省しています。これからは家族や周りの人たち、児童相談所、学校や病院の先生などと協力してしっかりとやっていきたい

被告

全員の願い「いろんな人に相談して頼って」

前橋地方裁判所が言い渡した判決は、懲役3年、執行猶予5年だった。

裁判長は、量刑の理由について次のように指摘した。

裁判長

被告人は、幼少期に両親が離婚して祖父母に育てられ、家族に甘えた体験が少ないという成育歴を持ち、相談が苦手で、人や社会を信用できないというパーソナリティー特性を持っていた。

裁判長

長男の問題行動、児童相談所や学校からの訪問や連絡、職場の人間関係などのストレス要因が重なったことに1人で対処できず、気分が落ち込み、体調にも悪影響が出て死にたいという気持ちが出現したうつ状態であり、適応障害と診断される状態だった。

裁判長

練炭などを車に積んで出かけたものの、車が雪で動かなくなった時に犯行を決意しており、計画性の高い事案ほどの悪質性はない。

そして裁判長は最後に廷内によく通る低い声で語りかけた。

「なるべくいろんな人に相談して、頼って解決していってほしいと思います。しっかりと立ち直ることは、裁判員と裁判官、全員の願いです」

ひとり親家庭どう支える

孤立状態にあった彼女のようなひとり親家庭をどう支えていけばいいのか。

取材を進めると、新たな仕組みでよりよい支援につなげようとする取り組みが行われている自治体があった。

群馬県南部にある玉村町。

これまで“縦割り”になりがちだった支援のあり方を見直し、家庭の情報を共有できる仕組みをつくった。

その中心にいるのが、町の職員で社会福祉士の阿部美那子さんだ。

子育てや教育、福祉、DV、健康…。

家庭内で起きるさまざまな問題を「まとめ役」の阿部さんに一元化。

役所の各部署で情報を共有して連携し、家族全体を支援するための適切な対応につなげる狙いだ。

阿部美那子さん

(社会福祉士 阿部美那子さん)
「各家庭の問題を直接話してもらって必要な部署にその相談をしたり、連携して問題を解決したりする作業を行っています。いろんな困りごとや悩みがそれぞれある中で、まずそれを教えてもらえることに感謝していますし、解決への一歩になればと思っています。“ひとりじゃないんだよ”という気持ちが伝わるような支援をしていきたいと考えています」

孤立したひとり親家庭に支援が届きにくい状況になっていた今回のケース。

死を選ぶという形でしかSOSを出せないほど追い詰められていたとも言えるのではないか。

こうした人たちの存在をどう認知し、寄り添っていくのか。引き続き取材していきたい。

心の悩みに関する相談窓口

厚生労働省が示している、心の悩みに関する相談窓口です。

<電話の相談窓口>

「日本いのちの電話」
▽ナビダイヤル 0570-783-556
午前10時~午後10時
▽フリーダイヤル 0120-783-556
午後4時~午後9時
※毎月10日は午前8時~翌日午前8時

「#いのちSOS」
▽フリーダイヤル 0120-061-338
午前8時~深夜0時
※月曜日と木曜日のみ24時間対応

「チャイルドライン」
▽フリーダイヤル 0120-99-7777
午後4時~午後9時

  • 前橋放送局記者 兼清光太郎 2015年入局
    札幌局、帯広局を経て現在は群馬県警担当。