追跡 記者のノートから霧は晴れず~千代田区長退任 マンション問題の行方は

2021年3月31日事件

皇居、国会議事堂、霞が関の官公庁、そして丸の内のオフィス街。その人物は、日本の「中枢」が集まる自治体のトップを20年にわたり務めてきました。

「既得権の壁を破って常に物事を変えていく」(2017年1月)
かつて報道陣の取材にそう答え、“トップダウンの行政“を推し進めてきたその人物。

しかし、20年という歳月は長すぎたのでしょうか。
「公正性の観点から逸脱」(行政学の専門家)するかのような問題が、NHKの取材で明らかになったのです。

(社会部 藤本智充 豊田将志)

「中枢の地」のトップ

千代田区役所でのセレモニー(2月5日)

その人物は、東京・千代田区の前区長、石川雅己氏(80)。東京都の港湾局長や福祉局長などを歴任した後、首都高速道路公団の理事を経て、2001年の区長選挙で初当選。
4年前の選挙では小池知事の全面的な支援を受け、ほかの候補に大差をつけて圧勝しました。

そして、5期目の任期満了を迎えた今年1月に退任を表明。緊急事態宣言中の先月(2月)5日には区役所で退任セレモニーが開かれ、大勢の職員や支持者に見送られながら、長年過ごした庁舎を後にしました。

セレモニーで区民に対する感謝の言葉を述べた石川氏。しかし、区議会で厳しく追及された“あの問題”について触れることはありませんでした。

見解をあらためて問うため、終了後に記者が自宅前で声をかけると、石川氏は振り向くことなく、そのまま玄関へ消えていきました。

20年にわたり区政のかじ取りを担ってきた石川氏に“あの問題”が発覚したのは、去年3月。およそ1年前のことです。

皇居近くの一等地で

「政治家、財界人、そして文豪たち 江戸の昔から人々を惹きつけてきた『番町』に全92邸のレジデンスがまもなく誕生」

こんなキャッチコピーで売り出された、千代田区三番町にあるマンション。閑静な住宅街にそびえ立つ地上18階建てで、その落ち着いた色合いが高級感を漂わせています。徒歩圏内に4つの駅がある上、皇居にもほど近く、立地は抜群です。

問題は、この高級マンションの売買をめぐる経緯にありました。
NHKの取材と、後に石川氏を追及することになる千代田区議会の百条委員会の調査で、次のような事実関係が明らかになりました。

モデルルームにて

販売会社の三井不動産レジデンシャルが百条委員会に提出した資料などによると、建設が始まる前の2015年8月、ある人物の名前でマンションの資料請求がありました。その名は「石川雅己」。妻と次男がモデルルームを訪れるのは、その3か月後のことです。

応対したのは営業所長。妻と次男はモデルルームを見学した後、特定のタイプの部屋を気に入り、そのことを所長に伝えたといいます。

さらに後日、妻が再び所長に電話。この時の様子について、三井不動産レジデンシャルは「会話の内容から、当該マンションについて強い購入意向を感じた」(百条委員会への提出資料より)と振り返っています。

マンションは当時、専門誌が都内の「注目物件」として取り上げていて、販売前の人気ランキングは5位。92部屋に対して、資料請求の数は3000件近くに上ったといいます。

このため、翌年(2016年)の2月にかけて、2回にわたって購入希望者による抽選が行われました。しかし、その会場に「強い購入意向」を示していたはずの妻や次男の姿はなかったのです。

「特別枠」めぐる三者協議

石川氏の家族がモデルルームを訪れてからおよそ10日後の2015年11月。

三井不動産レジデンシャルの営業所長、営業室長、そして担当部門トップの都市開発一部長が集まり、ある協議を行っていました。議題はマンションの「特別枠」について。

百条委員会への提出資料によると、このマンションには、もともと上層階に「事業協力者住戸」と呼ばれる部屋が5つ用意されていました。通常は土地の所有者や得意客に優先的に提供される部屋で、一般には販売されません。

石川氏は土地の所有者ではありませんでしたが、集まった3人の幹部は家族の対応について協議。特定のタイプの部屋に強い購入意欲を示しているとして、「特別枠」に入れることを決定します。そして5つの部屋のうち、一部を対象から外し、代わりに家族が希望する部屋を新たに「事業協力者住戸」に指定しました。

マンションの「予定価格表」(関係者より入手)

NHKは、このマンションの「予定価格表」と呼ばれる資料を関係者から入手。購入希望者がどの部屋に申し込むかを決める際の参考にするもので、それぞれの部屋の価格や間取り、面積が一覧で表示されています。

石川氏の家族が希望した部屋を見ると、そこには「事業協力者住戸」の文字がありました。価格などの記載はなく、一般の販売とは区別されていたことが分かります。

担当部門のトップが関わったこの決定について、三井不動産レジデンシャルは「購入に強い意欲を感じたことに加え、区長(当時)が過去に別の物件を購入しており、資金面でも問題がないと考えた。販売戦略上の判断だった」(百条委員会の証人尋問より)と主張しています。

この協議の後、営業所長が家族に電話で「希望する部屋を抽選なしで購入できる」と説明(百条委員会への提出資料より)。その結果、抽選の会場に出向く必要はなくなったのです。

販売会社への「便宜」の見返り?

優先的に部屋を購入する権利を得た、石川氏とその家族。翌2016年2月、石川氏が妻に手続きを委ねる委任状を作成し、売買契約が正式に結ばれました。価格はおよそ1億円。登記簿によると、現在も石川氏と妻、次男が共同で所有しています。

ここまでの経緯、一般の人なら問題はありません。民間の商取引で、得意客や経済力があるいわゆる「VIP」が優遇されるケースはよくあることです。しかし、石川氏は一般の人とはまったく異なる、特別な立場にありました。

高さ制限緩和の許可通知書

家族がモデルルームを訪れる7か月前。

千代田区の許可でこのマンションの高さ制限が緩和され、地区の上限を10メートル上回る、60メートルの建築が可能になりました。販売会社にとってはその分、部屋の数を増やせるため、大きなメリットがあります。

そして、法律上の許可権者は当時の石川区長本人。

NHKが入手した、高さ制限緩和の許可を販売会社に通知する文書には「千代田区長 石川雅己」と明記されています。

つまり、許可を出したいわば「当事者」が、利害関係がある業者から部屋を優先的に購入した形になっていたのです。

千代田区議会の百条委員会

「開発上の便宜を図ることで、優先的に部屋の提供を受けていたのではないか」

去年3月にNHKの報道でこの問題が明らかになると、千代田区議会は詳しい経緯を解明する必要があるとして、強い調査権を持つ「百条委員会」を設置。去年11月までのおよそ8か月間にわたって調査が行われました。

手続きの詳細明らかにせず

百条委員会に証人として出席した石川氏は、抽選に参加しなかったことは認めた上で「この件が報道されたあと、知人を通じて販売会社に確認したが、当時は事業協力者住戸というはっきりした説明はなかった」
「(販売会社から)優遇を受けたということはない」などと主張しました。

これに対し、三井不動産レジデンシャルは「区長(当時)やその関係者から問い合わせを受けた事実はない」とする文書を提出。

区議会は、石川氏が「知人を通じて確認した」といううその証言をした上、その知人が誰かについて証言を拒んだとして、偽証などの疑いで東京地方検察庁に刑事告発し、告発は受理されました。

(5月31日追記)
※東京地方検察庁は捜査の結果、5月31日、偽証の疑いについては「うそをついたという事実は認められない」として嫌疑なしで、証言を拒んだ疑いについては嫌疑不十分でいずれも不起訴にしました。

百条委員会 石川氏に対する2回目の証人尋問(去年11月13日)

また、百条委員会は、石川氏が「購入手続きは家族が行い、詳しい経緯は分からない」と主張したため、家族にも証言を求めました。

しかし、妻は証言を拒否したほか、次男は詳しい経緯について「覚えていない」などと回答。
結局、石川氏側から手続きの詳細が明らかにされることはありませんでした。

そして先月(2月)、石川氏は退任。当時、書面で出したコメントにはこう記されています。

「皆様へ

新型コロナ感染症拡大の影響を受けて、区民の皆様に直接お会いすることが事実上困難であるため、書面により区長退任の挨拶をさせていただきます。

改めまして区民の皆様には、この20年間の長きにわたり、多くのご支援とご協力をいただき、誰もが暮らしやすい千代田区づくりに携わることができました。このことは私の生涯にとって、この上ない幸せであり、感慨深い想いであります。

今、アフターコロナの時代に合わせた新しい暮らし方や働き方が求められています。その意味で、これからの区政の舵取りを次の世代に委ねていくことが正しい判断であると決断しました。

最後になりますが、千代田区と関わっていただいた全ての皆様に心から『ありがとう』と申し上げます。感謝、感謝・・・。

なお、昨年3月以来のマンション問題については、三井不動産レジデンシャルが『「事業協力者住戸」の扱いは販売戦略上のものであり、区長に一切の便宜を図ったものではない』と明言しており、退任との関係はございません。
                     
令和3年1月8日 千代田区長 石川雅己」

別の高級マンションで転売益7000万円

マンション問題と退任は関係がないことを強調した石川氏。しかし、疑問を感じる事実はほかにもありました。

「事業協力者住戸」の売買契約が結ばれた後、石川氏は当時所有していた別のマンションの部屋を売却しています。

千代田区富士見にある地上40階建てのタワーマンション。JR飯田橋駅前の再開発事業の一環として、2014年に建設されました。この物件も、販売したのは三井不動産レジデンシャルです。

登記簿や資産報告書などによると、石川氏は28階のおよそ1億円の部屋を妻や長男と共同で所有していました。これを2017年1月に売却し、およそ7000万円の転売益を得ているのです。

実は、このマンションも区が定めた計画によって通常よりも高い建築が可能となっていました。決定権者は、当時の石川区長本人です。

購入経緯に“不可解”な点も

この件は百条委員会でも問題視され、調査が行われました。

その結果、このマンションの場合、所有していたのは「事業協力者住戸」ではなく、ほかの人がいったん契約し、その後キャンセルした部屋だったことが分かりました。
ただ、購入の経緯は異なるものの、ここにも“不可解な“(百条委員会)点がありました。

調査によると、この物件について、石川氏や家族は事前に資料を請求したり、説明会に参加したりしていないほか、販売開始当初も申し込みを行っていません。

また、キャンセルが出たことについて、三井不動産レジデンシャルは当時、ホームページなどで告知した記録は残っていないとしています。

にもかかわらず、石川氏の家族はキャンセルが出た部屋を先着で申し込み、抽選なしで購入していたのです。事前に販売会社とコンタクトをとっていないのに、なぜキャンセルの情報をいち早く入手できたのでしょうか。

石川氏は「購入の申し込みをしたのは長男で、私自身は分からない」(百条委員会の証人尋問より)と述べるにとどまりました。

販売会社が百条委員会に提出した資料(関係者より入手)

また、三井不動産レジデンシャルも
「長男からキャンセルの有無を問い合わせる電話があり、電話に出た者がお知らせしたと思われる」とする一方で、
「電話に出た者が誰かは不明」「どのようにキャンセルになった事実を伝えたかを証明する記録は残っていない」(百条委員会への提出資料より)と回答。

これ以上、詳しい経緯は明らかにされませんでした。

大型再開発事業でも不透明な手続き

特定の販売会社の物件を売買していた、石川氏と家族。その手続きのさなかに、区内でもう1つ、気になる計画が進められていました。販売会社の親会社、三井不動産による大型の再開発プロジェクトです。

「東京ミッドタウン日比谷」。2018年、千代田区有楽町に開業した地上35階建て、高さ192メートルの超高層ビルです。

広場を含む敷地内にはもともと区道が通っていましたが、区が道路の一部を廃止。土地が一体化したことで、大規模な開発が可能となりました。

その結果、日比谷公園を眼下に望むオフィスフロアのほか、飲食店や映画館などがひしめく大規模複合施設が誕生し、今では年間2000万人余りが訪れる一大スポットとなっています。三井不動産によると、開業後1年間の売上高は、目標を大きく上回るという160億円超に達しました。

区の土地・建物を無償で貸し付け

区有地の広場

このプロジェクトで百条委員会が問題視したのは、千代田区と、三井不動産が関係する法人との間で交わされた、ある取り決めです。

都心の超一等地にあるこの施設、およそ2000平方メートルの土地と建物の一部は区が所有しています。これを、三井不動産の役員が代表理事を務める一般社団法人「日比谷エリアマネジメント」に、20年にわたって無償で貸し付ける協定が結ばれていたのです。

百条委員会に提出された資料によると、土地・建物の現在の資産価値は合わせておよそ250億円。無償での貸し付けは、区にとって多額の賃料収入を失うことを意味します。

しかし、この方針はわずか数時間の会議で決まっていたことが百条委員会の調査などで分かりました。出席者は担当部署の幹部、副区長、そして当時の石川区長のみ。

本来、「財産の取得や処分、活用に関する重要な事項」は、部長級以上のすべての幹部が集まる首脳会議に諮る決まりになっています。しかし、この件は首脳会議だけでなく、区民の代表である区議会へも一切報告がなかったのです。

無償での貸し付けについて、区は取材に対し、維持管理を法人に委託する「対価」だと説明していますが、当時は有償についての検討はおろか、不動産の鑑定評価すら行われていなかったということです。

こうした経緯について、百条委員会は「あえて区長(当時)や執行部の一部だけで排他的に議論し決定する意図があったのではないかとの大きな疑念を持たざるを得ない」と指摘しています。

協定によって、20年にわたる賃料の支払いを免除された法人。区の土地・建物をテナントに「また貸し」することによる賃料収入などで、純利益は年間6000万円余りに上っています。

百条委員会の指摘に対し、石川氏は「区議会に報告をしなかったことは大変遺憾だ」とする一方、「どういう案件を報告するかは担当部署が判断することで、私自身が具体的に指示するものではない。議論がどのように進んだか、私は十分に分からない」と説明しています。

明らかになった問題 その真相は

NHKの取材や百条委員会の調査で次々に明らかになった、石川氏をめぐる問題。最後に、一連の経緯を時系列でまとめてみました。

こうして見ると、さまざまな出来事がこの10年の間にあったことが分かります。
しかし、これらの出来事が関係し合っているのか否か、その真相は明らかになっていません。
私たちは今月、石川氏にあらためて文書などで取材を申し込みましたが、これまでに回答はありませんでした。

一方、三井不動産は取材に対し、百条委員会の調査結果や一連の経緯について次のようにコメントしています。
「千代田区議会百条委員会において審議されて出された報告について、当社はコメントする立場にありません。
また、個別の取引については、顧客との契約関係、顧客の資産に係ることですので回答を差し控えさせていただきます。
当社は、法令に従い適切に事業を進め、また販売に当たっても法令に従い取引慣行にのっとって適正に行っております。
なお、日比谷エリアマネジメントは、地域一体となった街づくりを目的とした非営利の法人で、毎年の収益を積み立て区有施設・区道の管理、長期修繕に充てております。
千代田区に適宜ご報告、そして連携を図りながら、適正に運営されているものと認識しております」

百条委員会は、最終報告書で「調査を通じ、石川区長(当時)に対する疑惑は解消されるどころか一層深まる結果となった。このことは、区政への信頼を著しく損ねるものであり、今後の公平公正な区政運営にも支障をきたすものと思われる」と指摘しました。

高層マンションの建設や再開発事業は周囲の環境を大きく変え、時には負の側面も含め、住民にさまざまな影響をもたらします。だからこそ、その手続きには公正性や透明性が強く求められるのではないでしょうか。

※最新の取材状況を踏まえ記事を更新しています

  • 社会部・警視庁担当 藤本智充

  • 社会部・警視庁担当 豊田将志

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