大嘗祭の歴史

大嘗宮(昭和3(1928)年)

「大嘗祭」は毎年11月に行われる「新嘗祭」を即位後初めて大規模に行うものです。

古くは「新嘗祭」と「大嘗祭」の区別は無かったとされていますが、7世紀後半の天武天皇の時に初めて2つが区別されたということです。

その後は、歴代の天皇が即位後に「大嘗祭」を行うことが皇室の伝統になりました。

平安時代には宮中の儀式書の「貞観儀式(じょうがんぎしき)」などで「大嘗祭」の次第が明文化されました。

長い歴史の中では「大嘗祭」が行われなかった時期もあります。

室町時代の後期以降、相次ぐ戦乱によって資金の調達が困難になるなどして200年以上にわたり伝統が途絶えたこともありました。

しかし、江戸時代の半ば、朝廷の強い意向を幕府が認める形で再び行われるようになりました。

明治時代には皇室のあり方や儀式などについて定めた旧皇室典範などが制定され「大嘗祭」は「即位礼」と並ぶ重要な儀式として位置づけられます。

そして、戦後になると新憲法が施行され、皇室制度が現在のものに改められました。

前回の大嘗宮の儀 皇居・東御苑 平成2(1990)年11月

前回、平成2年の「大嘗祭」は新憲法で定められた政教分離の原則を踏まえて皇室行事として行われ、この考え方は今回の「大嘗祭」でも踏襲されています。

「大嘗祭」の主な次第は平安時代の頃から基本的に変わっておらず、今回の儀式も長い伝統を踏まえた形で行われます。

前回を踏襲しつつ経費抑制など見直しも

天皇陛下の即位に伴う今回の「大嘗祭」は前回、平成2年の儀式のあり方を踏襲し、古くからの伝統を尊重しながらも社会情勢の変化などを踏まえて一部で経費の抑制などの見直しが行われました。

まず中心的な儀式の「大嘗宮の儀」の招待者は前回は1000人近くにのぼりましたが、実際に参列した人数や儀式の様子がうかがえるような座席の配置などを踏まえて、700人近くにまで減らされることになりました。

前回の大嘗宮の儀 皇居・東御苑 平成2(1990)年

「大嘗宮」の規模についても見直され、一部の建物の規模や敷地の面積が縮小されたほか、儀式のあり方に影響が出ない範囲で建築の工法や資材が変更されました。

このうち、皇族方が入られる建物や一般の参列者が入る建物はいずれも皇族の数や招待者数の減少に伴って規模が縮小されました。

主要な建物の「悠紀殿」と「主基殿」の屋根は前回の儀式まではかやぶきでしたが、資材の調達が難しいことなどから板ぶきに変更され、経費の抑制につながりました

大嘗宮 悠紀殿(右奥)皇居・東御苑 令和元(2019)年11月

この変更についてはことし8月、かやぶきの文化の伝承などを求めている一部の国会議員がかやぶきにするよう政府に要望するなど異論も出されました。

「大嘗宮」は儀式のあと解体されることになっていて、前回は古来の例にのっとり、大半の資材が廃棄されたり焼却されたりしましたが、今回はできるだけ再利用する方向で検討が進められています。

大嘗宮 皇居・東御苑 令和元(2019)年11月

このほか、天皇陛下が参列者を招いて催される饗宴「大饗の儀」は招待者数の減少に伴い前回の3回から2回に減らされ、天皇皇后両陛下の負担も考慮して16日と18日に間隔を空けて行われることになりました。

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