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雇い止めになる外国人労働者 問われる共生社会2020年5月13日 名古屋局・植村優香ディレクター 吉岡拓馬記者

新型コロナウイルスの影響で職を失い、生活に苦しむ外国人が増えています。

“日本一の産業県”ともいわれる、愛知県では、人手不足を補うために日系ブラジル人をはじめ多くの外国人材を受け入れてきましたが、いま、こうした人たちが次々に雇い止めにあっています。

ある日系ブラジル人一家に密着

木下ルイスさん:
「こんなに弱いお父さんとお母さんは見たことがないので、悲しいです」

4月中旬、愛知県豊橋市に暮らす木下ルイスさん(19)は、日本語で私たちの取材に応えてくれました。

ルイスさんは、父ジュニオールさんと母タイスさんとの3人暮らし。
ジュニオールさんは、祖父が奈良県からブラジルに移り住んだ日系3世です。
7年前、一家3人で来日。
派遣社員として大手住宅メーカーの工場で働いてきましたが、契約はことし3月末の期限で打ち切られました。
ジュニオールさんは、雇い止めは突然、言い渡されたといいます。

木下ジュニオールさん:
「会社のために一生懸命働いてきました。休まなかったし、トラブルも起こさなかった。私のほかにもブラジル人やフィリピン人など38人がクビにされました。すごく落ち込みました」

ほどなくしてタイスさんも、自動車部品工場で働いてきた派遣契約を、4月半ばで打ち切られることになりました。
夫婦あわせて約40万円あった収入はゼロに。
住んでいるアパートは、派遣会社が用意した寮のため5月中に退去しなくてはなりません。

ジュニオールさんは、すぐに次の仕事を探そうとしましたが仕事はみつかりません。
業種や勤務場所を選ばず、電話をかけた派遣会社は70社にのぼります。
島根県の会社にも問い合わせましたが、やはり仕事はありませんでした。

木下ジュニオールさん:
「問題を解決できない無力さを抱える中で、いろいろな支払いが迫ってくるので、大きな不安を感じています。食事など、最低限必要なものにすら回すお金がなくなるのではと心配です」

ジュニオールさんは不安を募らせていました。

ルイスさんは、中学・高校を日本で過ごし、将来は日本国籍を取得したいと考えています。
ここまで気落ちする両親は見たことがないと、いまの思いを打ち明けてくれました。

木下ルイスさん:
「日本の学校に通って、日本の文化や習慣が自分の中に入り込んでいます。日本が自分の国だとしか思えません。自分ができあがった国から離れたくありません」

リーマンショックよりもひどい

木下さんたち一家のように苦境に陥る日系ブラジル人が、いま相次いでいます。
全国の市町村の中で、静岡県浜松市に次いで2番目に多くのブラジル人が暮らす豊橋市は、国際交流協会に委託して外国人の相談窓口を設けています。

NHKに開示された相談記録では、新型コロナウイルスに関する相談や問い合わせが、ことし3月の68件から4月には193件と3倍近くに増えていました。

中でも、「新型コロナウイルスの関連で仕事をなくした」という趣旨の相談は、3月はほとんどなかったのに、4月には61件と急増していました。

4月の相談では「光熱費も払えない」「母子家庭で仕事がない」「不安になり、精神的につらい」など、追い詰められる状況を伺わせる内容が目立ちます。
相談は5月に入っても、増え続けているということです。

日系人の間では、2008年のリーマンショックの後にも失業が相次ぎました。
当時は、政府が母国への渡航費用の一部を負担する支援事業を行い、全国で2万1000人あまり、愛知県からは全国最多の5800人あまりがブラジルやペルーなどに帰国しました。
しかし、いまは多くの国際線が運航を休止しているほか、ブラジルでは新型コロナウイルスの死者が2万人を超え、日本より深刻な状況が続いています。
帰国もままならないのです。

みずからも日系ブラジル人で、20年以上相談にあたってきた、豊橋市国際交流協会の鈴木ギダ相談員は、リーマンショックの後よりもひどい状況だと話します。

鈴木ギダさん:
「多くの人たちが食べるものもないほど困っています。真っ暗なトンネルの中で出口がみえない状態です。物資の面だけでなく、精神的なサポートも必要になってくると思います」

始まった支援

具体的な支援も始まっています。
去年6月時点で、4800人あまりのブラジル人が暮らす名古屋市で「九番団地」と呼ばれる港区の集合住宅は、住民の約3割が外国人。
そのうち6割はブラジル人です。

ここで長く住民の支援にあたってきたNPO「まなびや@KYUBAN」は、4月はじめから月に1度ほどのペースで、住民に食料を配る活動を始めました。
代表の川口祐有子さんは、10万円の給付金などの支援制度の情報が外国人には十分に行き届いていないとして、行政や医療の情報などを団地の掲示板に多言語で張り出しています。
いつでも相談を受け付けられるポストも設置しました。

愛知県では、5月14日に国の緊急事態宣言が解除され、私たちがその4日後に行われた支援活動の現場を訪れると、4月下旬とほぼ同数の人々が集まっていました。
川口さんは、職を失った外国人が日常を取り戻すには、より多くの時間がかかるとみています。

川口祐有子さん:
「居酒屋やレストランなどは仕事が戻るのが早いかもしれませんが、自動車産業など部品が入ってこないと通常通りの仕事ができないようなところで働いてきた人たちは、すぐには元通りの仕事量には戻らないでしょう」

いまこそ手を差し伸べるとき

製造業が集積し”日本一の産業県”とも呼ばれる愛知県では、感染が広がる前まで、企業は深刻な人手不足に悩まされ、日系人や技能実習生、アルバイトで働く留学生などは外国人材として重宝されてきました。

その外国人たちが真っ先に影響を受けている現状について、日本国際交流センターの毛受敏浩執行理事は、これまで抱えていた問題が顕在化したと指摘します。

毛受敏浩 執行理事:
「外国の人たちを、言葉は悪いが“景気の調整弁”として使ってきたのが実態だ。非正規労働の割合が高く、リーマンショックの時から状況はあまり改善されてこなかったことが今回明らかになった。しかし、2020年代はさらに人口激減の時代に入る。有能な人たちが日本で定着し、活躍してもらう新しい段階に入らざるを得ない」

そして、新型コロナウイルスが収束した後も見据えて、いま手をさしのべることが大切だと話します。

毛受敏浩 執行理事:
「危機のときに日本がどういう対応をしたのかというのは、日本にいる外国人だけでなく、母国にいる人たちや母国の政府もきちっとみている。しっかり対応すると日本は信頼の置ける国だとなるが、ぞんざいな扱いをされれば信用できない国だとなる。コロナ危機でしっかりした対応を示すことが、将来、良い人材が日本を目指して入ってくるという大きな機会にもなっていく」

問われる”共生社会”

5月に入り、私たちは再び木下さん一家を訪ねました。

ジュニオールさんもタイスさんも、まだ仕事がみつかっていませんでした。
失業保険を申請し、寮を出るための引っ越しの費用を工面しながら、状況が改善するのを待つ考えです。

木下ジュニオールさん:
「状況が落ち着くのを待った方がいいかもしれない。今は耐えるときです。日本のことが好きなので、家族3人でがんばりたい」

と、ジュニオールさんは静かな面持ちで話していました。

ルイスさんは、高校を卒業後、声優を目指して名古屋市でレッスンを受けていましたが、いったん中断し、ジュニオールさんとともに派遣の仕事を探しています。

木下ルイスさん:
「両親は、私をひとりにしないためにも日本に残りたいと言ってくれています。ずっと自分を助けてくれた両親を、今度は僕が助ける番だと思っています」

深刻な人手不足を解消するために、法律を改正し、外国人材の受け入れを拡大する制度が始まったのが去年4月です。同時に、国を挙げて外国人と”共生”する社会の実現が方針に掲げられました。
それから1年あまり。
日系ブラジル人の人たちは日本の社会に溶け込んで生活してきましたが、突如、新型コロナウイルスによって仕事を失い、将来への希望も見えなくなっています。その深刻な影響は、家族にも及び、将来の日本社会を支えてくれるはずの若者たちも厳しい立場に追い込まれています。
こういうときだからこそ、わたしたちは、外国の人たちにもっと思いを寄せて、“共生社会”へと踏み出す覚悟があることを示す必要があると感じました。

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