Loading

“日本に戻らなければよかった”2019年4月19日 ネットワーク報道部・木下隆児記者

「天然パーマ」「毛が濃いんだよ」。彼女の容姿に対して毎日言われたことば。 黒板に書かれた彼女の似顔絵に投げつけられたスリッパ。
その少女は、過去に体験した記憶から逃れることができず、心の傷は癒えることはありませんでした。
「いつまでたっても、普通の女の子には戻れない」。そう訴えたひとりの女の子の記録です。

カナダに残っていれば

彼女はどこにでもいるような女の子で、あえて少し違うところがあるとすれば、それは彼女のルーツでした。


高橋美桜子さん。カナダ人の父親と日本人の母親の間に1989年、カナダで生まれました。


その後、両親は離婚。美桜子さんは4歳半から、母親の典子さんとともに日本で暮らしました。


しかし典子さんは、日本に帰国したことを今も悔やんでいます。

「カナダでは一人ひとりに自分の考えがあるということを幼い時から教えていました。自分の考えがあるということは、相手にも違う考えがある。 みんな違って当たり前ということが自然と身についたんだと思います。だから、カナダに残っていれば…。今でもそう思っています」

「ハーフ」だから

日本への帰国を決めた時、典子さんは、ある不安を感じました。娘は「ハーフ」だから、いじめられるかもしれない。だから美桜子さんには伝えておきました。


「みおちゃんは日本で『ハーフ』と呼ばれる。でも、みおちゃんはみおちゃんらしく胸を張っていこうね」


確かに日本の小学校で、美桜子さんは同級生から「ガイジン」「カナダに帰れ」という心ないことばを投げかけられました。 それでも美桜子さんは、小学校の時に書いた作文で、こうしたことばに対し「何にも悪い事してないのにと悲しくなるし、同じ人間なのに、なぜ差別するの」とつづり、むしろ彼女にとってそのルーツは誇るべきものでした。


美桜子さんは、泣いている友だちがいれば、隣で優しく元気づけてあげる正義感の強い、自分の意見をしっかりと言える子どもに成長しました。

始まったいじめ

しかし美桜子さんは、愛知県の私立中学校に進学するといじめを受けるようになりました。


はっきりした理由はわかりません。同級生がいじめられているのを見て「やめなよ」と言って止めたこと。担任が男女差別的な発言をしたことに対して「そういうことを言うのは間違ってる」と意見したこと。 「ハーフ」だから見た目が目立つこと。


そういうことが積み重なって、美桜子さんへのいじめは突然始まりました。

                    

似顔絵に投げつけられたスリッパ

いじめは所属していたバトン部で夏ごろから始まり、部活を辞めるほかありませんでした。


2学期に入ると教室でもいじめが行われるようになりました。


仲間はずれにシカト。「天然パーマ」「毛が濃いんだよ」。


執ように吐き捨てられる容姿に関することば。


教科書やノートには殴り書きされた「ウザい」「キモイ」「死ね」といった文字。自分のいすに座って下を見ると机の下にゴミが集められ、教室に戻ると美桜子さんの机が教室の外に出されていました。

同級生は、黒板に美桜子さんの似顔絵を描いて、スリッパを投げつけていることもありました。


美桜子さんは、体調不良を訴え学校に行くのを嫌がり、下校のたびに泣いて帰ってくるようになりました。

靴の中の画びょう

中学1年の3月。げた箱に行くと、美桜子さんの目に飛び込んできたのは、自分の靴の中にびっしり貼り付けられた画びょう。 美桜子さんは、画びょうが入ったままの靴を持って担任にいじめを訴えました。担任は画びょうを受け取っただけで、こう言ったといいます。


「俺のクラスにいじめなんかするやつはおらん。お前の思い過ごしだ」


それから10日ほどあとの終了式の日。登校すると、同級生の1人が「汗が臭いから空気の入れ換えをしよ」と言うなり、教室の窓を開けました。


「もう無理。この中学校だけは絶対に嫌だ」


帰宅途中の美桜子さんは、典子さんに電話で伝えました。


限界でした。

いじめから逃げても

中学2年、美桜子さんはいじめから逃れるため、別の中学に転校。その学校でいじめはありませんでした。


しかし、美桜子さんに異変が起きました。

「またいじめにあうかもしれないと思うと、怖くて教室にいられない」


受診していた医師の診断は、いじめられたことによるPTSD。いじめの体験、記憶。美桜子さんは、これらから逃れることができなかったのです。

普通の女の子に戻れない

中学2年の2月深夜。美桜子さんは突然起きだし、典子さんに言いました。


「私は美桜子じゃありません。私は美桜子さんに、美桜子さんのことを教える人です」美桜子さんの中の「誰か」が話し続けました。


美桜子さんがいくつかの人格にわかれていること、美桜子さんが自分自身のことを嫌いになったこと。


その後も、「ランちゃん」「あやちゃん」と名乗る別の人格が表れては典子さんに美桜子さんの心の内を明かしていきました。


そして、中学1年の時にいじめられた話になると、決まってしゃくり上げるように泣いてしまうのでした。どうしても逃れられない、いじめの記憶。「普通の女の子」に戻りたい。そんな当たり前のことすらかなわない現実がありました。

「何でこんなコトになっちゃったの?!!!いつになったら、治るの?!!!このまんまじゃいつまでたっても、ふつうの女の子には戻れないじゃない」(美桜子さんが書き残したメモ)


美桜子さんから、はつらつさが失われ、幼なじみもその変化に驚きました。容姿も含め自分に自信を持っていた彼女。 なのに、自分の顔を「かわいくない、ブスだよ」と言うようになり、自信を完全に失っていました。みずからのルーツは、もう彼女にとって誇りでもなんでもなくなっていました。

自分との戦い

過呼吸を起こしたり、カッターナイフを取り出してリストカットをしようとしたり。不安定な状態が続いたものの、 一時期フリースクールに通いながら治療を進めていた美桜子さんは、中学2年のとき、外国人と帰国子女の生徒が数多く通う中高一貫の私立の学校に転校。高校にも進学できました。


そうした中、美桜子さんは高校1年の1学期、スピーチコンテストのために、いじめの経験をテーマに作文を書いています。


「自分との戦い」とタイトルを付けられた原稿はこう始まります。


「今、私は自分自身と戦っています。その理由は今から三年前、中学一年生の時に受けた「いじめ」にあります」


そして、美桜子さんが前を向いて歩み出していると感じられることばもありました。


「今まで自分のいじめについて言葉に書き表したことはありません。でも、勇気を出して今、ここに書き表そうと思います」


美桜子さんはいじめの経験について、いじめた同級生のストレスの『ゴミ箱』にされたと表現し、何も考えられなくなり、心が麻痺し、自分の生きている意味を見失い、 他人からみればたとえ短い期間であったとしてもいじめを受けている本人にはすごく長く感じた1年間だったと振り返っています。


そのうえで、高校生活ではいじめの経験を理解してくれようとする大切な友だちも見つかり、そうした友だちと本気で笑い合える日が来ることを楽しみにできるようになったことを明かしています。その心境をこう表現しています。


「私の長い長いトンネルは小さい小さい光の出口が見つかったのかもしれません」

愛してるよ。でも、くるしいよ

しかし、高校2年の8月。母親が持病で検査入院をしていた日、一人きりになった美桜子さんは、知人にメールを送りました。


「みんなが死ねって言ってる。苦しいから薬を飲んだ」


異変を感じた知人は、すぐに美桜子さんの友人に彼女の自宅に急いで向かうよう連絡しました。友人たちは美桜子さんに電話をかけ、美桜子さんは電話に出ました。


しかし、すでに意識がもうろうとした様子で、途中から美桜子さんの声は途切れました。


8月18日未明。美桜子さんは16歳の短い人生をみずから閉じました。


自宅マンションの8階から身を投げて。


家のテーブルには赤いペンで書かれた遺書が残されていました。

「まま大好きだよ。みんな大好きだよ。愛してる。でもね、もうつかれたの。みおこの最後のわがままきいてね。こんなやつと友ダチでいてくれてありがとう。本当にみんな愛してるよ。でも、くるしいよ。」

いじめの原因は

美桜子さんの死後、典子さんは娘がなぜ死ななければならなかったのかを考えてきました。


その理由を知りたくて学校側を相手に裁判を起こしました。


1審では、いじめが自殺の原因だと認められました。


しかし、2審では高校での友人とのあつれきなどによるストレスが自殺の原因だとして、いじめとの関係は認められませんでした。

典子さんは「私の中では、美桜子のことはまだ終わってないんです」と話し、今でも美桜子さんの短い人生について考え続けています。


典子さんは、美桜子さんがいじめられた原因のひとつに、彼女のルーツが関係していたのではないかと考えています。


「美桜子はハーフで目立ち、はっきりものを言ううざいヤツ。だからいじめてもいいということになったと思っています。 日本は、波風を立てない、何かあっても何もなかったようにやり過ごす、異なる意見は和を乱すから悪。そういうものに美桜子は苦しめられ続けた」



私たちは、外国にルーツを持つ子どもたちをめぐる「いじめ」を継続的に取材をしています。実際の体験談やご意見を下部の「ご意見・ご質問を募集」ページよりお寄せください。