郵便投票が急増、現地の悲鳴

アメリカ大統領選挙は、9月から一部の州で郵便投票が始まった。
新型コロナウイルスの感染拡大で、郵便投票の利用はこれまでより大幅に増える見通しだという。

だが、現地で聞こえてくるのは、郵便投票をめぐる強い懸念の声だ。

目次

    前回の16倍増!

    全米に先駆けて郵便投票が始まったのが、南部ノースカロライナ州だ。投票用紙を有権者に送付する作業が9月4日から開始された。
    有権者は投票用紙に記載されている候補者を選んで印をつけ、送り返せば投票だ。

    投票用紙を手に笑顔を見せるアレクシス・ヘトリックさん

    幼稚園の先生のアレクシス・ヘトリックさんは、新型コロナウイルスの感染が続く中、投票所の「3密」を避けるため、初めて郵便投票を申請したという。

    「投票所には通常長い列ができる。郵便投票であれば時間も節約でき、便利です」と話す。

    ノースカロライナ州では10月27日まで郵便投票の申し込みが可能だが、9月15日現在で申請した人は83万人を超え、前回4年前の同じ時期に比べて16倍に増えている。現地の選挙管理委員会は、急きょ、人手を増やして対応を進めている。
    選挙管理委員会は、最終的に、有権者の40%が郵便投票を利用する可能性があるとしている。担当者は次のように懸念を示す。

    「最大の課題は、かつてない大量の郵便投票が送り返されたときに、投票用紙1枚1枚に、本人や証人の署名が行われているかどうか、有効票かどうか確認する作業だ。結構大変だ」

    ”パーフェクトストーム”がやってくる

    さらに強い危機感を表明しているのが、郵便投票用紙の集配を担う郵政公社の組合員たちだ。
    組合の事務所を訪れると、何枚もの写真を見せてくれた。

    郵便局の集配施設で導入されてきた、封書やはがきを仕分ける機械だ。
    最新の機械はカメラが装備され、封筒やはがきの表面にある切手や宛先を画像で確認するほか、コンピューターがデータベースの住所と照合し、自動的に高速で仕分けるという。

    組合の幹部カルロス・キャンベル氏は、ハードディスクが取り除かれた機械の写真を示しながら、衝撃的なことばを口にした。

    キャンベル氏 「何の問題もない、すばらしい機械です。にもかかわらず、この夏、本部の指示で、全米各地にある仕分け機械の削減が命じられたのです。私たちの地区も2台の機械のうち1台を廃棄しました」

    郵政公社は慢性的な赤字が続き、経営の改革が求められている。その背景には、郵便をめぐる近年の環境の変化がある。封書やはがきの量が減少傾向にある一方、ネット通販の普及で小包の量が増えているのだ。
    そこで、新たな環境に適合した経費削減策として、封書やはがきを仕分ける機械が廃棄させられたという。だが、その結果、遅配が相次ぐなどサービスの低下が生じていると指摘する。

    カルロス・キャンベル氏

    キャンベル氏は「大統領選挙を前に機械を廃棄したのは間違っている」と憤る。
    彼によれば、大統領選挙の投票日の11月3日は、感謝祭やクリスマスなどの休暇シーズンを控えて郵便物が増える時期と重なる。彼は複数の災難が重なって最悪の事態となる状況になぞらえて「パーフェクトストームだ」と呼び、「投票日は大混乱になるのは間違いない」と明言する。

    期日内に郵便投票が到着せず、大量の票が無効になる。
    そんな悪夢のようなシナリオが、現実味を帯び始めていると警告している。

    投票妨害が目的?

    機械の廃棄は本当に経費削減策なのか。
    組合や野党・民主党は、郵政公社の経営陣に疑いの目を向けている。

    郵政公社 ディジョイ総裁

    批判の対象は、6月に郵政公社のトップになったディジョイ総裁だ。
    トランプ大統領に近く、共和党の大口献金者でもある。

    トランプ大統領は郵便投票の拡大に反対してきた。
    投票権の無い人が1票を投じたり、不正を招くおそれがあったりするからだと主張している。

    これに対して、民主党は郵便投票を推進する立場だ。
    一般的に投票率が低いとされるマイノリティーや若者などは民主党支持が多く、郵便投票で投票率が上がれば民主党に有利になるという見方もある。
    このため、ディジョイ総裁がトランプ大統領の意向を忖度(そんたく)して”投票妨害”を行っているのではないかと疑われている。

    だが、ディジョイ総裁はこの疑惑を否定。
    一方で「廃棄した機械を元に戻すことはない」と明言している。

    二重投票への懸念

    さらに、混乱を深めているのが郵便投票をめぐるトランプ大統領の発言だ。
    トランプ大統領は、郵便投票に不信感をあらわにしてきたが、9月には次のような発言を行った。

    「郵便投票した人は、投票所にも行くべきだ。きちんと集計されていればもう一度投票はできない。集計されていなければ、投票すればいい」

    まるで二重投票を促すかのような発言として反発が広がった。

    ノースカロライナ州の選挙管理委員会は声明を発表。「投票を2回行うのは違法行為だ」と警告した。
    さらに郵便投票を行う有権者が投票日に投票所を訪れれば、現場が混乱するとして、訪れないよう異例のお願いを行っている。

    だが、トランプ大統領は、その後も郵便投票を行う有権者に投票所を訪れるよう呼びかけるツイートをしている。

    ツイッター社はこのツイートに「選挙に関する社内のルール違反」として警告メッセージを表示しているが、大統領の呼びかけに応じて実際に二重投票を試みる人が出るのではないかという懸念も出ている。

    そして、その懸念が強まったのが、大統領の発言後、ジョージア州が行った記者会見で明るみになった出来事だった。

    6月に実施された予備選挙で、郵便投票を行ったおよそ1000人が投票所を訪れて二重投票を行っていたというのだ。

    会見した州務長官は語気を強めた。
    「ジョージア州で二重投票は重罪だ。必ず検挙する」

    郵便投票への不信感が増幅?

    早くも波乱含みの郵便投票。ノースカロライナ州の有権者たちはどう思っているのか?
    最大都市シャーロットで、街頭の市民12人に郵便投票を利用するかどうか聞いてみた。

    「バイデン氏支持だが、郵便投票は信じていない。だから投票所で投票する」
    「おそらく投票所で投票する。私の1票がちゃんと集計されてほしいから」
    「郵便投票だと選挙管理委員会に届いているか不安」

    驚くことに、誰一人として郵便投票を利用すると答えた人はいなかった。むしろ、自分の貴重な1票が集計されるかどうか、不安を吐露する人が多かった。
    郵便投票の申請者は増えているので、単なる偶然とは思うが、大統領の発言もあって有権者の間に郵便投票に対する信頼が、揺らぎ始めているのかもしれないと感じた。

    そして、それは、冒頭に紹介した郵便投票を申請したヘトリックさんの話からもうかがえる。
    彼女は投票用紙に記入した後、郵送はせず、自分で選挙管理委員会に持って行くことを検討しているという。投票用紙を受け取るのに2週間かかったことから、すでに遅配が起きているのではないかと懸念しているのだ。

    投票の信頼性は、民主主義の根幹に関わる。
    アメリカで郵便投票が定着するのかどうか、今回の選挙はその試金石となりそうだ。

    ワシントン支局長

    油井 秀樹

    1994年に入局。2003年のイラク戦争では、アメリカ陸軍に従軍し現地から戦況を伝えた。
    ワシントン支局、中国総局、イスラマバード支局などを経て、2016年から再びワシントン支局で勤務。
    2018年6月から支局長に。