“冷戦はすでに始まっている” 米中パンデミック下の暗闘3

新型コロナウイルスの抑え込みに成功したと宣伝する中国。強制的な都市閉鎖や情報統制を実行する共産党一党支配のような強権国家が危機管理対応に優れているのだろうか。

アメリカは今、そうした見方が浸透することに強い危機感を抱いている。中国共産党の隠蔽こそがウイルスの感染拡大の主な要因と非難し、民主主義の優位性を強調している。

新型コロナウイルスをめぐる米中の争いは、民主国家と強権国家の闘いという様相を呈している。(ワシントン支局長 油井秀樹)

目次

    民主の精神を受け継ぐ者

    「ホワイトハウスの高官が、あす中国語でかつてない重要演説をする。中国の人たちへの直接のメッセージだ」

    そう書かれた1通のメールが5月3日、トランプ政権の元高官からワシントン駐在の各報道機関に届いた。重要演説をする高官は、安全保障問題担当のポッティンジャー大統領次席補佐官。

    90年代後半から欧米の通信社や大手新聞社の特派員として、北京に7年間駐在。取材中、中国の公安に拘束された経験もあるという。

    その後、「直接、国際情勢に関わりたい」として、2005年に海兵隊に入隊し、情報将校としてイラクやアフガニスタンにも従軍した異色の経歴の持ち主だ。

    そのポッティンジャー氏は今月4日、インターネット上で、流ちょうな中国語で中国の国民に向けて語り出した。

    テーマは演説の日にあわせた中国の「五・四運動」だ。「五・四運動」は1919年5月4日、日本などの列強に抗議する北京の学生らを中心とした大規模な民衆運動で、当時、中国全土に拡大した。

    ポッティンジャー氏は「五・四運動」の精神を「民主」だと指摘したうえで、その精神を今の中国で受け継ぐ人物として挙げたのが、武漢で新型コロナウイルスの感染拡大にいち早く警鐘を鳴らした李文亮医師だった。

    “答え”を待っている

    李文亮医師

    李医師はSNS上でウイルスの深刻な実態を明らかにしたが、警察から「デマを流した」として処分を受け、その後、自身も感染して命を落とした。

    ポッティンジャー氏は強大な権力にひるまず市民の側に立って告発した勇気を持つ李医師こそ、「五・四運動」の精神の体現者だと称賛。李医師が死ぬ間際に病床で次のように語ったと紹介した。

    「李医師はこう語ったのだ。『私は健全な社会というのは複数の意見があるべきだと思う。公権力の過度な干渉には賛成できない』と」

    さらに中国には同様の勇気を持つ人たちが他にもいると強調した。

    (左から)許教授、任氏、トフティ氏

    習近平政権に批判的な清華大学の許章潤教授や、大手不動産企業の元トップの任志強氏。国家分裂罪に問われ、現在、服役中のウイグル族の研究者、イリハム・トフティ氏。

    ポッティンジャー氏は共産党一党支配に抗議の声をあげた人たちの名前を次々に挙げた。民主化を求める人々を鼓舞する強烈なメッセージを送ったのだ。

    ポッティンジャー次席補佐官 「五・四運動による民主化の望みは、次の世紀も果たされないのか? 民主化の主張はいつまで『非愛国』や『親米』と言われ続けるのか? 世界は中国の人たちが答えを出すのを待っている」

    政権の攻撃犬

    この異例の演説と共に最近、際立っているのがポンペイオ国務長官の中国非難だ。
    もともと保守強硬派として知られていたが、新型コロナウイルスの感染拡大以降、激しさを増し、今や“政権のアタックドッグ(攻撃犬)”とも呼ばれている。

    ポンペイオ長官は4月だけで90回以上、国内外のメディアのインタビューを積極的に受け、中国共産党の批判を繰り返してきた。毎回、「中国共産党」ということばを連呼し、感染拡大の原因は共産党の強権体制にあると指摘。そして民主主義のほうが優れていると強調している。

    「記者を国外に追放する。告発した医者を黙らせる。それが中国共産党の強権国家のやり方だ。事実を隠蔽し、偽情報を宣伝する。中国国内でも数千人の人が命を落としているのに、強権国家は国民を人として扱っていない」(5月6日)

    「中国共産党は強権国家がすることを行い、それが大勢の死者を招き、アメリカ国民の脅威になっている」(5月6日)

    「強権国家は新型コロナウイルスのような危機にうまく対処できない。民主主義であれば科学者もジャーナリストも自由に議論や活動ができる。そういう社会のほうが、適切な治療やワクチンをもたらし、経済を再開し、正しい解決策を導くことができるのだ」(4月29日)

    ポンペイオ国務長官は中国国内の民主化や人権問題への関心が低いとも言われるトランプ大統領に代わって、あえて“悪い警官役”を引き受けているとも指摘される。だが、アメリカの外交の責任者である国務長官が、メンツの国とも言われる中国をここまでこき下ろすのは過去に例がない。

    これに対し、中国の国営メディアはポンペイオ国務長官をののしる個人攻撃に出ている。

    「ポンペイオ長官は人類共通の敵」(中国中央テレビ4月27日)

    「ポンペイオ長官はうそを拡散している。疑いもなく堕落した政治家だ」(環球時報5月5日)

    環球時報の英語版のHPより

    ポンペイオ長官が見据えるのは、収束後の国際社会の勢力図だ。中国政府はウイルス感染を機に各国に大量の医療物資を送る「マスク外交」を展開し、影響力の拡大を図っている。

    その中国の勢力拡張を食い止めるには、強権国家への批判と民主主義の重要性を前面に押し出して同じ価値観を共有する国々を結束させる必要があるとポンペイオ長官は考えている。

    そこに民主国家と強権国家の闘いの構図が浮かび上がる。

    選挙で過熱する中国批判

    アメリカ国内では、11月の大統領選挙に向けて、トランプ陣営と与党・共和党が中国批判を加速させている。トランプ陣営は新型コロナウイルスの感染拡大とアメリカの景気の悪化の責任を「中国にある」と主張。

    さらに対立候補の野党・民主党のバイデン前副大統領を「中国寄りで弱腰」と批判する「北京バイデン」という選挙活動を展開し、テレビ広告も盛んに流している。

    大統領選挙と同時に実施される連邦議会選挙でも共和党の候補者たちが中国カードを積極的に活用している。

    去年7月まで東京のアメリカ大使館で駐日大使を務め、その後、地元の南部テネシー州から上院議員を目指して立候補するウィリアム・ハガティ氏もその1人だ。

    テレビ広告では「中国がウイルスの感染拡大を隠蔽し、アメリカが被害を受けている。中国に責任を取らせる」と訴えている。

    “タフ・オン・チャイナ=中国に厳しい態度で臨む”をキャッチフレーズにトランプ大統領とともに中国共産党と闘う姿勢を宣伝しているのだ。

    元高官たちの運動

    トランプ政権の元高官たちも、中国共産党の責任を追及する運動に乗り出している。

    最も精力的なのが、かつてトランプ政権の「陰の大統領」とも言われたスティーブン・バノン元首席戦略官だ。ホワイトハウスを去った後、バノン氏はニューヨークに逃亡中の中国人実業家の郭文貴氏(中国共産党の汚職を告発し、中国政府から手配中)とタッグを組んで中国共産党の批判を続けている。

    新型コロナウイルスの発生後は、その活動をさらに活発化させ、「ウォールーム・パンデミック」という名のトーク番組をネット上に立ち上げて、連日、動画を配信し、共産党を罵倒している。

    バノン元首席戦略官 「中国共産党はウイルスの感染拡大の責任を取って損害を賠償すべきだ。少なくとも数兆ドルを賠償金として支払うべきだ」

    過激な発言にも聞こえるが、実はアメリカ国内には同調する人が少なくない。中国政府を相手取って賠償金を求める市民や企業の集団訴訟が各地で起きていて、連邦議会でも賠償請求を支援する法案が提出されている。

    「共産主義の中国をとめろ」という運動を発足させたのは、ニッキー・ヘイリー前国連大使だ。

    ヘイリー氏は連邦議会での中国関連の法案成立を目指して、ネット上で署名活動に乗り出した。この法案ではウイルスをめぐる中国共産党の隠蔽の疑いに対する調査、医薬品や医療機器の生産拠点の中国からアメリカへの移転、台湾のWHO=世界保健機関への参加などを求めている。

    さらにヘイリー氏は、国連大使の経験から中国がWHOだけでなく、他の国際機関にも影響力を拡大していると警鐘を鳴らしている。

    ヘイリー前国連大使 「私が国連にいた時、中国の勢いを常に感じていた。ICAO=国際民間航空機関やFAO=国連食糧農業機関など多くの国際機関で中国支配が進んでいる」

    アジア系アメリカ人たちの不安

    過熱する共和党陣営の中国たたき。

    対する民主党のバイデン陣営は「感染拡大の原因は当初、楽観論を繰り返してきたトランプ大統領の初動の対応の遅れにある」と非難している。

    だが、中国に弱腰といった姿は見せられないのか、自分こそ中国にもの申す指導者だというテレビ広告を制作。今やどちらが中国に強硬か有権者へのアピール合戦になりかねない状況だ。

    こうした状況に不安を強めているのがアジア系、特に中国系アメリカ人だ。中国系アメリカ人の中には、中国政府や共産主義を嫌い、自由を求めて中国から移住してきた人が少なくない。

    にもかかわらず中国政府と同一に見なされ、差別を受けるケースが相次いでいるという。

    APIA Vote チェン事務局長

    自身も中国系で、アジア系アメリカ人の団体「APIA Vote」のクリスティーン・チェン事務局長は語る。

    チェン事務局長 「中国政府と、われわれ市民は当然、異なる。しかし残念なことに政府と市民を区別して考えられない人が少なくない。新型コロナウイルスで、すでにアジア系アメリカ人に対する差別や偏見が多く報告されている。このような最悪の時期に、大統領選挙に向けて共和党も民主党も中国たたきをすれば、中国政府に対する敵意が中国系の市民にも向けられ、差別がひどくなるのではないかと懸念している」

    加速する暗闘

    トランプ政権は5月、「中国に対する戦略的アプローチ」と題した報告書を公表した。

    歴代政権による中国との協調を重視した関与政策の大半を「失敗」と位置づけ、トランプ政権は競争する戦略に転じたと明記し、外交・経済・軍事のあらゆる面で中国と争う姿勢を明確にした。

    政権内ではポンペイオ国務長官、ポッティンジャー大統領次席補佐官、それにナバロ大統領補佐官といった対中強硬派と、中国との経済関係を重視するムニューシン財務長官やクドロー国家経済会議委員長などの穏健派が対中政策の主導権を巡って綱引きをしてきた。

    トランプ大統領自身はこれまで貿易交渉を重視し、後者に軸足を置く姿勢がかいま見られていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、より強硬路線にかじを切ったように見える。

    歴代政権の元閣僚や政府高官の間からは、中国との協力が欠かせないという声も根強いが、大統領選挙と新型コロナウイルスで、そうした声はかき消されつつある。ポッティンジャー氏の演説の知らせをわれわれにメールで送ってきたトランプ政権の元高官は語った。

    「米中の新冷戦は、すでに始まっている。新型コロナウイルスで加速しているのだ。中国が態度を変えないかぎり新冷戦は続く。だが熱い戦いよりはずっといい」

    民主国家の結束を目指すアメリカに対し、中国はロシアやイランなど強権的な国家との関係強化を進めるとともに、民主国家の分断を図るかのようにマスク外交で途上国やヨーロッパに浸透しようとしている。ウイルスの混乱の収束後、世界の勢力図がどう塗り変わるのか、アメリカと中国の暗闘が続いている。

    油井 秀樹

    ワシントン支局長

    油井 秀樹

    1994年に入局。2003年のイラク戦争では、アメリカ陸軍に従軍し現地から戦況を伝えた。
    ワシントン支局、中国総局、イスラマバード支局などを経て、2016年から再びワシントン支局で勤務。
    2018年6月から支局長に。