
イギリスの君主で、9月8日に96歳で亡くなった、エリザベス女王。
そもそも、エリザベス女王はどんな人で、国民にとってどんな存在だったのか?
わかりやすく解説します。
エリザベス女王とは?
女王エリザベス2世は、1926年、後にジョージ6世となるアルバート王子の長女として生まれます。

父親と祖父のジョージ5世の寵愛を受けて育ったプリンセスですが、13歳のとき第二次世界大戦が始まり、10代を戦時下で過ごします。
王室のメンバーとして国民との団結を示すため、陸軍の女性部隊に入り、自動車整備などの後方任務に就いたこともあるということです。

それとほぼ同じ時期の18歳のころにはギリシャの王族だったフィリップ王子と恋に落ち、彼の写真を部屋に飾り文通をしていたと、イギリスの公共放送BBCは伝えています。
1947年、様々な障害を乗り越えて21歳のときに結婚。1948年には、長男チャールズが生まれます。

そして1952年、25歳のとき夫とともにケニアを訪れていたエリザベス王女は、父のジョージ6世の突然の訃報に接します。急いでロンドンに戻り王位を引き継ぎ、エリザベス女王となります。

そして、2015年9月9日、在位の期間が63年7か月あまりとなって、1901年まで在位したビクトリア女王を抜いてイギリスの君主として在位最長を更新しました。
どんな存在だったの?
エリザベス女王は、イギリスの統合を象徴する存在として敬愛されてきました。
1947年、21歳の誕生日には、次のように述べて、国民に尽くすことを宣言。
「私の人生が長くても短くても、生涯、公務に我が身をささげることを皆さんの前で誓います」

その後、王位を引き継いだエリザベス女王ですが、当時のイギリスは、植民地が次々と独立を果たしていく、大きな変動期にありました。イギリス王室には国王の名の下に行われた植民地帝国主義の歴史とどう向き合うかという難しい課題が突きつけられていました。
エリザベス女王は、戴冠式の後まもなく太平洋の国々やニュージーランドなどを訪問。その後も旧植民地諸国などを頻繁に訪ね、新しいイギリス連邦を形づくる重要な役割を果たしてきました。
南アフリカの人種隔離政策=アパルトヘイトの問題には特に大きな関心を示し、南アフリカへの経済制裁に反対する当時のサッチャー首相と対立したという逸話は、ドラマにも描かれ話題となりました。

しかし、女王への批判が高まった時期もあります。特に1997年、国民的に人気のあったダイアナ元皇太子妃が、交通事故で亡くなった際は、女王がテレビで声明を発表するまで5日かかるなど、対応が冷淡だとして、王室への支持が急落しました。
その後、国民の信頼を取り戻そうと、エリザベス女王が実践してきたのが「開かれた王室」です。例えば、イギリス王室のSNSアカウントを活用して、国民とのコミュニケーションを積極的にはかる姿勢を打ち出しました。
また、新型コロナウイルスの感染が拡大し、社会に不安が広がった際には、テレビ演説で連帯を呼びかけるなど、国民に寄り添ってきました。
国民に慕われていたの?
「イギリスの母」のような存在だと言われてきました。

2022年6月に行われた、在位70年を記念する祝賀行事「プラチナ・ジュビリー」。祝賀パレードなどが行われ、その際には大勢の人たちが集まりました。
中には数日前から周辺でキャンプをしている人や、カナダやアメリカなど海外から訪れた観光客もいて、女王の人気を物語っていました。
「プラチナ・ジュビリー」の際に取材した、エリザベス女王にも4回面会し、沿道で直接花束を渡したこともあるというマーガレット・タイラーさんは、その存在について次のように話していました。

「女王はいつも私たちのことを気にかけてくれます。96歳になっても私たちのために働き続ける女王がいてくれることはとても幸運なことです」
また、今回の訃報を受けて、ロンドンのバッキンガム宮殿の前には、雨が降りしきる中にも関わらず、途切れることなく、多くの人が訪れていました。
日本との関係は?
日本の皇室との関係も深く、1971年には昭和天皇がイギリスを訪問し、1975年には、エリザベス女王が日本を公式に訪問しています。

その際の映像を見ると、オープンカーのパレードに、大勢の人たちが熱狂している様子がうかがえます。
また、天皇陛下も3回にわたってイギリスを公式訪問するなど、交流を深められてきました。
2011年の東日本大震災の際には、エリザベス女王は次のようなメッセージを日本に向けて送っていました。
「地震によって痛ましいほどの命が失われたと聞き、悲しんでいます。すべての方にお見舞いを申し上げます」
最近の様子は?

エリザベス女王は2021年4月、長年連れ添った夫のフィリップ殿下を亡くしました。
その後、公務に復帰しましたが、「プラチナ・ジュビリー」では体調を考慮して、礼拝を欠席するなど限られた機会しか姿を見せず、イギリス国内では健康を気遣う声が上がっていました。
9月6日には、与党・保守党の新しい党首に就任したトラス氏をバルモラル城に迎え、首相に任命。

ただ、BBCによると、ロンドンのバッキンガム宮殿以外で首相を任命するのは70年の在位期間中初めてだということで、女王の健康状態に配慮したものとみられていました。
イギリス王室によると、女王は9月8日朝の診察のあと、健康が懸念される状態だとして、医師団の監督のもとに置かれていましたが、現地時間の8日午後、安らかに息を引き取ったと言うことです。
専門家は、どう評価するのか?
イギリスの政治外交史が専門で、イギリス王室に詳しい関東学院大学の君塚直隆教授はエリザベス女王の存在について、次のように話しました。

「戦後の70年間をすべて自身で体現していました。イギリスの顔であり、世界で最もよく知られた女性でした。女王の死は、大きな喪失感をもたらしていると思います」
また、日本との関係にとっても、女王は重要な役割を果たしていたと、君塚教授は指摘しました。
「皇室とイギリス王室の関係は深かったのですが、第二次世界大戦で敵対国となり、断絶していました。しかし、女王から日本に手を差し伸べ、当時の昭和天皇がそれに応えたことから関係が復活しました。昭和50年には、エリザベス女王がイギリスの君主として初めて日本を訪れました。女王は、日本とイギリスの戦後の和解についても心を砕いていたのです」