10年半ぶり3回目の南北首脳会談が4月27日に行われました。会場は、韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線にあるパンムンジョム(板門店)。会談に臨んだ韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長は「パンムンジョム宣言」と名付けた共同宣言に署名。北朝鮮の核問題について「南北は完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」としました。また、朝鮮戦争の終戦を宣言して平和協定を結ぶため、南北とアメリカの3者、または中国も加えた4者による協議を積極的に推進することで合意しました。

会談について、アメリカのトランプ大統領。ツイッターに「ミサイル発射や核実験の激しい1年のあと、南北の間で歴史的な会談が行われている。よいことが起きている」と投稿。一方で、今後の行方を見極める考えも示しました。

目次

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共同宣言「パンムンジョム宣言」のポイント

・完全な非核化を南北の共同目標とし、積極的に努力をする

・南北は休戦65年のことし、終戦を宣言して休戦協定を平和協定に転換するために、南北とアメリカの3者、または、南北と米中の4者会談の開催を積極的に推進する

・来月(5月)1日から軍事境界線一帯で宣伝放送とビラの散布をはじめとするすべての敵対行為を中止して、その手段を撤廃し、今後、非武装地帯を実質的な平和地帯とする

・朝鮮半島西側の黄海に「平和水域」を設けて、偶発的な軍事衝突を防ぐ

・北朝鮮南西部のケソン(開城)に南北双方の当局者が常駐する共同連絡事務所を設置する

・朝鮮戦争などで南北に離ればなれになった離散家族の再会に向けて赤十字の会談を行う

・ムン・ジェイン(文在寅)大統領がことし秋にピョンヤンを訪問する

「パンムンジョム宣言」 全文日本語訳

朝鮮半島の平和と繁栄、統一のためのパンムンジョム宣言

大韓民国のムン・ジェイン大統領と朝鮮民主主義人民共和国のキム・ジョンウン国務委員長は、平和と繁栄、統一を願うすべての同胞のいちずな願いを込めて、朝鮮半島で歴史的な転換が起きている意味深い時期である2018年4月27日に、パンムンジョムの「平和の家」で、南北首脳会談を行った。

両首脳は、朝鮮半島にもはや戦争はなく、新たな平和の時代が開かれたことを8000万のわが同胞と全世界に厳粛に宣言した。

両首脳は、冷戦の産物である長年の分断と対決を一日も早く終息させ、民族的和解と平和繁栄の新しい時代を果敢につくり出し、南北関係をより積極的に改善し発展させなければならないという確固たる意志を込めて、歴史の地、パンムンジョムで次のように宣言した。


1.南と北は、南北関係の全面的で画期的な改善と発展を成し遂げ、途絶えた民族の血脈をつないで共同繁栄と自主統一の未来を早めていく。

南北関係を改善して発展させることは、すべての同胞のいちずな望みであり、これ以上先送りできない時代の切迫した要求だ。

(1)南と北は、わが民族の運命はわれわれがみずから決定するという民族自主の原則を確認し、すでに採択された南北宣言とすべての合意などを徹底的に履行し、関係改善と発展の転換的局面を切り開いていくことにした。

(2)南と北は、高官級会談をはじめとする各分野の対話と協議を早い時期に開催して、首脳会談で合意された問題に取り組むための積極的な対策を立てていくことにした。

(3)南と北は、当局間協議を緊密にし、民間交流と協力を円満にすることを保障するため、双方の当局者が常駐する南北共同連絡事務所をケソン(開城)地域に設置することにした。

(4)南と北は、民族的和解と団結の雰囲気を高めていくために、各界各層の多面的な協力と交流往来と接触を活性化することにした。

対内的には、6・15(2000年6月15日の南北共同宣言)をはじめ、南と北にとって同じように意義がある日を契機に、当局と国会、政党、地方自治体、民間団体など各界各層が参加する民族共同行事を積極推進して和解と協力の雰囲気を高め、対外的には、2018年アジア競技大会をはじめ国際大会に共同で出場して、民族の知恵と才能、団結した姿を全世界に誇示することにした。

(5)南と北は、民族分断で発生した人道的問題を至急解決するために努力し、南北赤十字会談を開催して離散家族・親戚の再会を含む諸問題を協議し、解決していくことにした。

さしあたって、来る8・15(8月15日)を契機に、離散家族・親戚の再会を進めることにした。

(6)南と北は、民族経済の均衡的発展と共同繁栄を実現するために、10・4宣言(2007年10月4日の南北共同宣言)で合意された事業を積極推進していき、1次的にトンヘ(東海)線およびキョンウィ(京義)線鉄道と道路を連結し、現代化して活用するための実践的対策を取っていくことにした。


2.南と北は、朝鮮半島で先鋭化した軍事的緊張状態を緩和して、戦争の危険を実質的に解消するため、共同で努力していく。

(1)南と北は、地上と海上、空中をはじめとするすべての空間で、軍事的緊張と衝突の根源となる相手に対する一切の敵対行為を全面中止することにした。

さしあたって、5月1日から軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布を含むすべての敵対行為を中止して、その手段を撤廃し、今後、非武装地帯を実質的な平和地帯とすることにした。

(2)南と北は、黄海の北方限界線一帯を平和水域にして、偶発的な軍事的衝突を防止し、安全な漁労活動を保障するための実際的な対策を打ち立てていくことにした。

(3)南と北は、相互協力と交流、往来と接触が活性化することによるさまざまな軍事的保障対策を取ることにした。

南と北は、双方の間で提起される軍事的な問題を遅滞なく協議解決するために、国防相会談をはじめとする軍事当局者会談を頻繁に開催し、5月中にまず、将官級軍事会談を開くことにした。


3.南と北は、朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極協力していく。

朝鮮半島で非正常な現在の停戦状態を終息させ、確固たる平和体制を樹立するのは、これ以上先送りできない歴史的課題だ。

(1)南と北は、いかなる形態の武力も互いに使用しないという不可侵合意を再確認して、厳格に遵守していくことにした。

(2)南と北は、軍事的緊張が解消されて互いの軍事的信頼が実質的に構築されることによって段階的に軍縮を実現していくことにした。

(3)南と北は、休戦協定締結65年になることし、終戦を宣言して停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制構築のために、南・北・米の3か国、または南・北・米・中の4か国の協議開催を積極推進することになった。

(4)南と北は、完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。

南と北は、北側が取っている主導的な措置は、朝鮮半島の非核化のために非常に大きな意義があり、重大な措置だという認識をともにし、今後それぞれが、みずからの責任と役割を果たすことにした。

南と北は、朝鮮半島の非核化のための国際社会の支持と協力のために積極努力することにした。

両首脳は、定期的な会談と直通電話を通じて、民族の重大事を随時、真剣に議論し、信頼を強固にして、南北関係の持続的な発展と朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けたよい流れをさらに拡大していくために、一緒に努力することにした。

さしあたってムン・ジェイン大統領は、ことし秋にピョンヤンを訪問することにした。

2018年4月27日
パンムンジョム

大韓民国大統領ムン・ジェイン 朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長キム・ジョンウン

ドキュメント

キム委員長 パンムンジョムに到着し韓国側に

北朝鮮 キム委員長は午前9時半前、北朝鮮側の施設「板門閣」から姿を現す。

北朝鮮の最高指導者として初めて軍事境界線を越え韓国側に。

キム委員長「お目にかかれてうれしいです。はやる気持ちを抑えられませんでした。こうして歴史的な場所でお目にかかることができ、また、ムン大統領に軍事境界線までお迎えに来ていただき、本当に感動しています」

ムン大統領「ここまで来られたのは非常に勇気ある決断です。歴史的な瞬間になりました」

ムン大統領も北朝鮮側に足を踏み入れる一幕も。

ムン大統領「私はいつ、境界線を越えることができるでのしょうか」

キム委員長「では、いま越えてみますか」

「新たな歴史はいまから」キム委員長

キム委員長 会談会場の「平和の家」に入り、芳名録に記帳。

「新たな歴史はいまから、平和の時代、歴史の出発点にて」と記す。

10年半ぶりの南北首脳会談

会談冒頭

キム委員長「軍事境界線を越えてここに来るまで11年。どうしてこんなに時間がかかったのか」「歴史的な場に期待が集まっており、南北関係の新しい歴史が始まる。過去のように振り出しに戻ることがないようにしよう。随時会って、未来志向で手を携えていきたい」

ムン大統領「全世界の注目がパンムンジョムに集まっている。キム委員長が史上初めて軍事境界線を越えた瞬間、パンムンジョムは分断の象徴ではなく、平和の象徴になった」「こんにちの状況をつくり出したキム委員長の英断に感謝する。対話を通じて合意を成し遂げ、平和を望む世界のすべての人たちに大きな贈り物ができればと思う」

キム委員長(夜の晩さん会でムン大統領の希望に応じ、ピョンヤンの名店の北朝鮮式の冷麺が提供されることに触れ)「大統領には、遠くから運んできた冷麺をおいしく食べてほしい。率直な対話を行いたい」

キム委員長ソウルの大統領府を訪れることに意欲

ムン大統領 北朝鮮北部のペクトゥ(白頭)山を訪れることに意欲

南北間の交流を促進すべきだという考えで一致

「平和と繁栄」象徴する松を植樹

両首脳 パンムンジョムの軍事境界線の近くで、「平和と繁栄」を象徴する松を記念に植樹

松の横に「平和と繁栄を植える」というメッセージと両首脳の署名が刻まれた記念碑設置

2人だけで散策

軍事境界線の近くで、2人だけで散策。話し込む。

共同発表 ムン大統領

“完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島の実現が目標”

“偶発的な衝突を阻止する措置をとる”

“キム委員長英断に敬意”

“われわれは決して後ろには戻らない”

“離散家族が再開できるようにする”

“お互いの連絡事務所を置くことも”

共同発表 キム委員長

“歴史的な使命感を持ち初めての会談をもった”

“長い間この出会いを待っていた”

“新たな時代を切りひらかなくてはいけない”

“緊密に交流し 結果が出るように努力”

“歴史は人々の努力の結果”

“未来に向けて一歩一歩前進していこう”

軍事境界線とは? 会談場所のパンムンジョムとは?

韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線。1953年に締結された朝鮮戦争の休戦協定に基づいて北緯38度線付近に定められました。

軍事境界線を中心とした南北に幅4キロの区域は非武装地帯とされ、鉄条網や高圧線で囲われているほか、地雷が埋められていて自由に行き来することはできません。

この軍事境界線上にあるパンムンジョム(板門店)は、休戦協定が結ばれた場所で、韓国の首都ソウルから北西に50キロ余り、北朝鮮の首都ピョンヤンから南東におよそ150キロ離れています。

パンムンジョムの韓国側で警備をする兵士

軍事境界線をまたぐ形で、双方の軍の高官からなる「軍事停戦委員会」や中立国のスウェーデンなどでつくる「中立国監視委員会」の会議室として使われる建物が並んでいます。

また、軍事境界線を挟んで、北朝鮮側に「板門閣」という施設が、韓国側に「自由の家」という施設が、向かい合うように立っています。

今回、南北首脳会談が行われる「平和の家」は、「自由の家」の南側に位置しています。一帯は、JSAと呼ばれる共同警備区域とされ、韓国軍とアメリカ軍からなる国連軍と北朝鮮軍が厳重に警備をしています。

南北の接点の場であるパンムンジョムでは、今月(4月)半ばまでに南北当局間の協議が360回以上開かれたほか、南北双方の施設を結ぶ直通電話も設置されています。

パンムンジョムは、南北双方から観光でも訪れることができますが、去年11月には北朝鮮の兵士1人が銃撃を受けながら韓国側に亡命し、その様子を捉えた映像が公開され、大きな衝撃を与えました。

会場となる「平和の家」とは?

会談が行われる「平和の家」は、パンムンジョム(板門店)にある韓国側の施設の1つです。軍事境界線から南に数百メートルほどのところに位置しています。

完成したのは1989年。地上3階、地下1階の建物で、会談用の部屋や控え室、大小の会議室、それに報道関係者のための部屋があります。

これまでに南北の当局間による協議が90回以上開かれ、ことし1月の閣僚級会談では、北朝鮮がピョンチャンオリンピックに選手団や応援団を派遣することで合意したほか、今回の南北首脳会談に向けても、進行や警護などに関する実務協議が行われました。

「平和の家」では、会談の1週間前となる今月20日まで北朝鮮の最高指導者として初めて韓国側を訪れるキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長を迎えるため、内装工事が急ピッチで行われていました。

工事のあと会場の内部が公開され、会場中心部に設置された円形のテーブルは、会談が行われる2018年にちなんで、中央の幅が2018ミリ、2メートル余りとなっているということです。

両首脳が座るイスには朝鮮半島の地図が描かれていて、この地図には島根県の竹島が含まれています。また、会場の壁には、北朝鮮の景勝地で2008年まで韓国人の観光客が訪れていたクムガン山の絵画が飾られています。

さらに、韓国の伝統的な家屋をイメージした内装となっていて、これには信頼関係が伝統家屋のように長く続いてほしいという願いが込められているということで、10年半ぶり3回目となる南北首脳会談の会場には、融和をアピールする工夫が随所に施されています。

1953年にはパンムンジョムで「休戦協定」

1950年6月に勃発した朝鮮戦争をめぐる休戦協定は、最終的かつ平和的な解決が達成されるまでの措置として、1953年7月、南北の軍事境界線にあるパンムンジョム(板門店)で、休戦に反対した韓国軍を除き、アメリカ軍を中心とする国連軍と、北朝鮮の朝鮮人民軍、それに中国の人民義勇軍との間で結ばれました。

休戦協定では、軍事境界線をはさんで南北に2キロずつ、合わせて4キロを非武装地帯とすることが定められました。また、非武装地帯でのいかなる敵対行為も禁止され、相手側の司令官の許可なしに軍事境界線を越えることは認められないとしたほか、「軍事休戦委員会」や「中立国監視委員会」が設置されました。

一方、北朝鮮は2013年3月、アメリカ軍と韓国軍による定例の合同軍事演習に反発して、休戦協定の白紙化を一方的に宣言しています。

いまだ“終結”していない朝鮮戦争とは

朝鮮半島では、太平洋戦争の終結に伴って日本の植民地支配が終わりましたが、東西冷戦を背景に北緯38度線を境に分断され、1948年に、南側では韓国が、北側では北朝鮮が政府を樹立しました。

1950年6月25日、北朝鮮が武力による統一を目指して韓国に攻め込み、始まったのが朝鮮戦争です。

北朝鮮は短期間のうちにソウルを制圧して南下を続け、2か月ほどで韓国軍は南部のプサン(釜山)まで追いつめられました。

しかし、アメリカ軍を中心とする国連軍が、韓国西部のインチョン(仁川)に上陸して、北朝鮮軍の補給路を断ったことで、戦況が一変します。国連軍はピョンヤンを陥落させたあとも、北上を続け、北朝鮮と中国の国境近くまで攻め入りました。

これを受けて、中国は、北朝鮮への援軍として134万人もの大規模な部隊を「義勇軍」として投入して国連軍を押し返し、再びソウルを制圧します。

その後は、北緯38度線付近で一進一退の攻防を繰り広げ、戦争が始まってから3年後の1953年7月27日にパンムンジョム(板門店)で休戦協定が結ばれました。韓国は休戦を拒んだため協定に署名せず、アメリカを中心とする国連軍、北朝鮮、中国が署名しました。

休戦協定により、朝鮮半島は、北緯38度線をもとに設定された軍事境界線で、南北の分断が現在まで続いていて、国際法上は、戦争は終結していません。朝鮮戦争の犠牲者は、韓国政府の調査で民間人を含めて300万人以上とされ、戦争の混乱などで南北に離ればなれになった離散家族は1000万人近くにのぼるとみられています。

両首脳のファーストレディー どんな経歴の人?

韓国のムン・ジェイン大統領の妻、キム・ジョンスク(金正淑)夫人は、1954年にソウルで生まれました。ムン大統領が通っていた大学に2年後輩として入学し、ムン大統領とともに学生運動のデモ活動にも参加していました。また大学では声楽を専攻していて、卒業後はソウル市の合唱団で活動しました。

そして1981年にムン大統領と結婚し、一男一女をもうけました。ことし2月には、ムン大統領やキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の妹キム・ヨジョン(金与正)氏とともに、ピョンチャン(平昌)オリンピックにあわせて韓国を訪れた北朝鮮の芸術団の公演を鑑賞しました。

またアメリカのトランプ大統領の長女イバンカ氏とオリンピックの競技を観戦するなど、ファーストレディーとしての役割を果たしてきました。

一方、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の妻、リ・ソルジュ(李雪主)夫人は、2012年7月にキム委員長とともにピョンヤン市内の遊園地の完成を祝う式典に出席したと国営メディアで報じられ、初めてその存在が明らかになりました。リ夫人の詳しい経歴は明らかにされていませんが、20代後半とみられています。

韓国の情報機関、国家情報院は、リ夫人が北朝鮮の楽団の歌手だったと分析していて、北朝鮮の国営テレビでもリ夫人とみられる女性が歌を歌っている姿が確認されています。

また、2005年にソウル近郊のインチョン(仁川)で開かれた陸上のアジア選手権に派遣された応援団に、キム委員長と結婚する前のリ夫人とみられる女性が含まれていたことが分かっています。

リ夫人は、キム委員長の視察などにたびたび同行していて、先月、キム委員長が最高指導者として初めての外国訪問で中国を訪れた際には、習近平国家主席や習主席の彭麗媛夫人と記念撮影をしたり、談笑したりする様子が伝えられました。

さらに、今月には、北朝鮮の国営テレビが、リ夫人がピョンヤンで行われた中国の芸術団の公演を観覧したり、芸術団を率いる中国の高官と会談したりする映像を放送し、初めて単独の動静が報じられました。

リ夫人をめぐっては、国営メディアはこれまで「同志」という敬称を使ってきましたが、ことし2月からは「女史」に変更され、さらに初めて単独の動静を伝えた際には「尊敬するリ・ソルジュ女史が、党と政府の幹部らとともに中国のバレエ団の舞踊劇を観覧し、温かいあいさつを送った」として、「尊敬する」という表現が加えられています。

リ夫人は、キム・ヨジョン氏と並んで、キム委員長をそばで支えるファーストレディーとしての存在感を増しています。

北朝鮮が主張する「非核化」はアメリカの「核の傘下」排除

北朝鮮は、3代にわたる最高指導者のもとで「朝鮮半島の非核化」という言葉を繰り返し使いながら、核開発を進めてきました。

1991年、アメリカ軍が韓国に配備していた戦術核を撤去したのに続いて、韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核化共同宣言」に合意し、よくとし(1992年)、宣言が発効しました。

これを受けて、キム・イルソン(金日成)主席は「われわれには、核兵器をつくる意思も能力もない」と表明しましたが、実際には核開発が秘密裏に続けられていました。

北朝鮮にとっての「朝鮮半島の非核化」とは、韓国から戦術核を撤去させるなどしたうえで、韓国に対するアメリカの「核の傘」を排除することを目指すものだったのです。

2005年、キム・ジョンイル(金正日)総書記は、ピョンヤンを訪れた韓国政府の高官に対し、「朝鮮半島の非核化は、キム主席の遺訓だ」と述べました。

よくとし(2006年)、北朝鮮は初めての核実験に踏み切りますが、その後も、「遺訓」という言葉を使って非核化に向けた意思をたびたび強調しました。

北朝鮮の非核化を求める関係国は、北朝鮮側との協議に多くの時間を費やしましたが、その間も水面下で進られる核開発を止められませんでした。

キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長が最高指導者に就任すると、2013年、国防委員会が発表した「重大談話」で、「朝鮮半島の非核化」について「キム主席とキム総書記の遺訓だ」としたうえで、「北の核廃棄だけではなく、南を含む朝鮮半島全域の非核化であり、アメリカの核の威嚇を完全に終わらせる徹底した非核化だ」と主張しました。

さらにキム委員長はおととし(2016年)、36年ぶりに開かれた党大会で演説し、「強力な核抑止力によって、アメリカによる核戦争の危険を終わらせる。責任ある核保有国として、敵対勢力がわれわれの自主権を侵害しないかぎり、先に核兵器を使用せず、世界の非核化を実現するために努力する」と述べました。

これは、核保有によってまずアメリカの脅威を取り除いたうえで、将来的に「朝鮮半島の非核化」を実現するという考え方で、みずからの核開発を正当化するものでした。

キム委員長は先月(3月)、韓国政府の高官や中国の習近平国家主席と会談した際、「朝鮮半島の非核化」に改めて言及したと伝えられています。

このうち中朝首脳会談では、米韓両国に対して「段階的で歩調を合わせた措置を講じれば、朝鮮半島の非核化の問題は解決できるだろう」と述べたとされていて、専門家からは、これまでの主張と変わりはなく、北朝鮮の非核化の見通しは、依然として不透明だという見方が出ています。

北朝鮮の核・ミサイル問題 「合意」と「ほご」の繰り返し

北朝鮮の核・ミサイル問題をめぐっては、これまで核開発の凍結や非核化に向けた合意が結ばれては、ほごにされてきた経緯があります。

米朝枠組み合意

1993年、核開発を疑われていた北朝鮮は、NPT=核拡散防止条約からの脱退を表明しました。「第1次核危機」の始まりです。

よくとし(1994年)、アメリカのクリントン政権が、北朝鮮の核施設への空爆を検討するなど、緊張が高まりました。このときは、カーター元大統領が急きょ、北朝鮮を訪問。会談したキム・イルソン(金日成)主席は、アメリカ政府との高官協議の開催を条件に、核開発を凍結する方針を示しました。

これが同じ年(1994年)の「米朝枠組み合意」につながり、合意では、北朝鮮が核兵器の材料となるプルトニウムを抽出できる黒鉛減速型の実験炉などを凍結する見返りに、アメリカが軽水炉型の原子力発電所を提供することになり、完成までの間の重油の提供や、IAEA=国際原子力機関の査察の受け入れなどが盛り込まれました。

米朝枠組み合意が破たん

しかし、北朝鮮は、核開発を秘密裏に進めていました。2002年、当時のケリー国務次官補が訪朝した際、北朝鮮が核兵器の材料となる高濃縮ウランの製造施設を建設している疑惑が明らかになります。「第2次核危機」です。

北朝鮮はこの年、IAEAの査察官を国外に追放し、よくとし(2003年)には、再びNPTからの脱退を一方的に宣言して、凍結されていた核施設を再稼働させたことで、「米朝枠組み合意」は破たんしました。

6か国協議の共同声明

同じ年(2003年)、北朝鮮に核開発計画を放棄させるため、米朝両国に加え、日本や韓国、それに中国やロシアが参加して6か国協議が始まります。

協議では2005年、北朝鮮がすべての核兵器と既存の核計画の放棄を約束するとともに、アメリカが朝鮮半島で核兵器を持たず、北朝鮮を攻撃しないことなどを盛り込んだ共同声明が採択されました。

初の核実験後 米が対話姿勢に

ところが、共同声明が採択されたのと同じ月に、アメリカ政府が、北朝鮮と取り引きのあるマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」に金融制裁を科したのに対し、北朝鮮は核問題の協議に応じられないと強く反発。2006年に初めての核実験に踏み切りました。

すると、アメリカのブッシュ政権は北朝鮮との対話姿勢に転じ、2007年の6か国協議では、核施設の無能力化などを条件に、各国がエネルギー支援を行うことで合意しました。さらに2008年には、ブッシュ政権が北朝鮮のテロ支援国家の指定を解除することを決めました。

6か国協議をボイコット

しかし、オバマ政権発足後の2009年、北朝鮮は「人工衛星の打ち上げ」と称して事実上の長距離弾道ミサイルの発射を強行します。

これに国連安全保障理事会が議長声明を採択して非難すると、北朝鮮は6か国協議をボイコットする考えを表明するとともに、再びIAEAの査察官を国外に退去させ、2回目の核実験を強行しました。

よくとし(2010年)には、ウランの濃縮を行っているとする大規模な施設をアメリカの専門家に公開し、高濃縮ウランの生産も進めていることを明らかにしました。

再び米朝合意するもほごに

その後、米朝両国は、ニューヨークやスイスのジュネーブなどで直接協議を重ね、2012年、北朝鮮がウラン濃縮活動や核実験を一時凍結し、IAEAの監視を受け入れる一方、アメリカが食糧支援を行うことで合意しました。

ところが、それから1か月余りで、北朝鮮は「人工衛星の打ち上げ」と称して事実上の長距離弾道ミサイルの発射に再び踏み切ったことで米朝合意はほごにされ、それ以来、核・ミサイル開発をめぐる米朝の直接対話は途絶えました。

国家核武力の完成を主張

北朝鮮はその後、核・ミサイル開発に拍車をかけ、去年9月、「ICBM=大陸間弾道ミサイルに搭載するための水爆実験」と称して6回目の核実験を強行しました。

そして去年11月には、「アメリカ本土全域を攻撃できる」とする、新型のICBM級の「火星15型」を初めて発射して「国家核武力の完成」を宣言していました。

  • 1993年

    北朝鮮、NPT脱退表明

  • 1994年

    米国、北朝鮮の核施設空爆を検討
    カーター元大統領が訪朝
    米朝枠組み合意

  • 2002年

    北朝鮮、高濃縮ウラン製造施設の建設疑惑が発覚

  • 2003年

    北朝鮮再びNPT脱退宣言
    6か国協議開始

  • 2005年

    6か国協議で共同声明採択
    米国が北朝鮮と取り引きのマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」に金融制裁

  • 2006年

    北朝鮮、初めての核実験

  • 2007年

    6か国協議で北朝鮮核施設の無能力化など合意

  • 2008年

    米国、北朝鮮のテロ支援国家の指定解除

  • 2009年

    北朝鮮、2回目の核実験

  • 2012年

    米朝、北朝鮮の核実験凍結と米国による食糧支援など合意
    北朝鮮、事実上の長距離弾道ミサイル再び発射

  • 2013年

    北朝鮮、3回目の核実験

  • 2016年

    北朝鮮、4回目、5回目の核実験

  • 2017年

    北朝鮮、6回目の核実験
    北朝鮮、ICBM級「火星15型」初めて発射し「国家核武力の完成」宣言

南北首脳会談 過去2回開催 韓国の革新政権下で

南北首脳会談は、これまで2000年と2007年に北朝鮮に融和的な革新政権のもと、いずれも韓国の大統領が北朝鮮の首都ピョンヤンを訪問する形で2回行われました。

1998年に誕生した韓国のキム・デジュン(金大中)政権は、経済支援をテコに北朝鮮との関係改善を図る「太陽政策」を打ち出し北朝鮮に対話を呼びかけ、2000年6月に初めての首脳会談が実現しました。

キム・デジュン大統領は閣僚や経済界の代表など130人とともに特別機でピョンヤンを訪れ、空港では北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の出迎えを受け、2人が両手で握手を交わす様子は大きく伝えられました。

3日間の滞在中、2日間にわたって市内の迎賓館で首脳会談が開かれ、南北が統一問題を民族どうしで自主的に解決していくことや朝鮮戦争などで南北に離れ離れになった離散家族の相互訪問を行うことなどで合意しました。

初の南北首脳会談の実現に貢献したなどとして、キム・デジュン大統領はこの年、ノーベル平和賞を受賞しました。

続いて、2003年に発足したノ・ムヒョン(盧武鉉)政権も融和的な政策を引き継ぎ、2007年10月に2回目の南北首脳会談が行われました。

このとき、ノ・ムヒョン大統領は関係閣僚や経済、文化の分野の代表などおよそ300人とともにソウルからピョンヤンまで陸路で向かい、南北を隔てる軍事境界線では、いったん車を降りて韓国の国家元首として初めて軍事境界線を歩いて越えました。

ノ大統領は3日間ピョンヤンに滞在し、2日目にはキム総書記と首脳会談を行い、両首脳は朝鮮戦争の正式な終結を宣言できるよう協力していくことなどで合意しました。

その後、韓国では保守政権が誕生して南北関係が悪化したため首脳会談は行われていませんでしたが、去年、再び、革新のムン・ジェイン(文在寅)政権が誕生し、今回、10年半ぶりに3回目の首脳会談が行われることになりました。

非核化 過去にはリビアや南アフリカなどで実現

世界では、核開発計画や保有する核兵器を放棄して非核化を実現した複数の国の例があります。

このうち北アフリカのリビアは、1980年代から当時のカダフィ政権のもとで核開発計画に着手し、2003年にはリビアへ向かっていた貨物船からウラン濃縮に使う遠心分離機が押収されました。

この年、アメリカが、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っている疑惑を理由にイラク戦争に踏み切ると、リビアのカダフィ政権は、アメリカやイギリスの説得に応じて核開発計画を断念すると表明しました。

これに伴ってリビアは、IAEA=国際原子力機関の査察を受け入れ、その後、経済制裁が解除されて、アメリカとの国交正常化も実現しました。

このように非核化を先行させ、その後に制裁の解除や国交の正常化を行う方式は「リビアモデル」と呼ばれています。

また、ウランの産出国である南アフリカは、核弾頭6発を保有していましたが、アパルトヘイト=人種隔離政策を撤廃して国際社会との協調を目指したことや、隣国のアンゴラに駐留していたキューバ軍が撤退したことで、安全保障上の脅威が低下したことなどから、1993年に核兵器の廃棄を宣言し、IAEAによる査察を通じて廃棄が確認されました。

このほか、旧ソビエトのウクライナやベラルーシ、カザフスタンの3か国には、旧ソビエト時代に配備された核兵器が残されていましたが、いずれもロシアに移送することで非核化を実現しました。

対話攻勢に転じた北朝鮮 活発化させる対外活動

核・ミサイル開発の進展ぶりを誇示してきた北朝鮮は、ことしに入って対話攻勢に転じました。

北朝鮮は、元日に発表したキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の「新年の辞」で、ピョンチャンオリンピックに初めて言及し、「代表団の派遣を含めて必要な措置をとる用意がある」と表明して、韓国との対話に乗り出しました。

ムン大統領(左) キム・ヨジョン氏(右)

2月にはオリンピックの開幕に合わせて、キム委員長の妹のキム・ヨジョン(金与正)氏を含む高位級代表団が韓国に派遣され、会談したムン・ジェイン(文在寅)大統領に3回目となる南北首脳会談の開催を提案するなど、融和ムードを演出しました。

これを受けて、韓国政府がムン大統領の特使をピョンヤンに派遣すると、キム委員長がみずから手厚くもてなし、南北首脳会談を4月末に開くことで合意しました。

先月(3月)には、ムン大統領の特使を務めた韓国政府の高官がワシントンを訪れてトランプ大統領と会談し、アメリカとの首脳会談を早期に開催したいというキム委員長からの提案を伝えると、トランプ大統領は直ちに応じ、史上初の米朝首脳会談が開かれる見通しとなりました。

続いて、北朝鮮は先月、核・ミサイル開発をめぐって冷え込んでいた中国との関係改善に動きます。

キム委員長は最高指導者に就任して以降、初めての外国訪問として、中国・北京を電撃的に訪れ、習近平国家主席との首脳会談に臨みました。

中国側の発表によりますと、この中でキム委員長は「われわれは南北関係を、和解と協力の関係に転換させることを決心した。アメリカとも対話をして、首脳会談を行いたい」と述べ、米韓両国との首脳会談に意欲を示しました。

さらに北朝鮮は今月(4月)に入り、リ・ヨンホ外相をロシアに派遣してラブロフ外相との会談を行い、朝鮮半島情勢をめぐって意見を交わしました。

北朝鮮としては、アメリカとの首脳会談を控えて、体制の保証や軍事的脅威の解消などを求めるみずからの立場について、伝統的友好国である中ロ両国から支持を取りつけておく狙いがあったという受け止めが広がりました。

一方、アメリカのポンペイオCIA長官(当時)がピョンヤンを極秘に訪れてキム委員長と会談したことも明らかになり、南北首脳会談に続いてことし6月上旬までに開かれる見通しの、米朝首脳会談に向けた調整が進められているとみられています。

北朝鮮 体制保証のために核・ミサイル開発推進

北朝鮮は、核保有国のアメリカと「対等」に渡り合い、体制の保証を取り付けるためには、核兵器を保有しなければならないという考えのもと、過去11年間で6回にわたって核実験を繰り返し、核開発能力の向上を図ってきました。

北朝鮮は、旧ソビエトから核開発の技術を得て、1980年代までに実験用原子炉の使用済み核燃料を再処理して、核兵器の材料に利用できるプルトニウムを抽出し、核開発の動きを本格化させました。

その後、プルトニウムだけではなく、同じく兵器の材料になる高濃縮ウランを使った核開発にも乗り出し、「アメリカの核の脅威から国を守るための自衛的措置だ」として、みずからの核開発を正当化してきました。

北朝鮮が2006年10月に初めての核実験を強行した際、爆発の規模は、TNT火薬に換算して1キロトン以下と、広島に投下された原爆の15分の1以下にとどまりました。

しかし、2009年5月の2回目は数キロトン、2013年2月の3回目は推定で6キロトンから7キロトンと、実験を重ねるごとに規模が大きくなります。

その後、「初めての水爆実験」と主張した、おととし(2016年)1月の4回目は、6キロトン程度でしたが、「核弾頭の爆発実験」と称しておととし9月に行った5回目は、推定で10キロトンから12キロトンの規模でした。

そして、去年(2017年)9月に、北朝鮮が「ICBM=大陸間弾道ミサイルに搭載する水爆の実験に成功した」と発表した6回目の核実験では、爆発の規模が過去最大のおよそ160キロトンと、広島に投下された原爆の10倍以上に達したと推定されています。

一方、北朝鮮は、核弾頭の運搬手段である弾道ミサイルの開発も加速してきました。おととしは、「人工衛星の打ち上げ」と称して事実上の長距離弾道ミサイルを発射したほか、新型の中距離弾道ミサイルの「ムスダン」や、SLBM=潜水艦発射弾道ミサイルなど、合わせて20発を超える発射を強行しました。

ムスダン

さらに去年も、同様のペースで弾道ミサイルを次々と発射し、去年7月にICBM級の「火星14型」を2度にわたって発射したのに続いて、11月には、「アメリカ本土全域を攻撃できる」と主張する、新型のICBM級の「火星15型」を初めて発射し、「国家核武力の完成」を宣言するなど、核ミサイル開発の進展ぶりに自信を深めていました。

火星15型