ドラマ こもりびと 制作者談義

NHKスペシャル班の膨大な取材の蓄積を元にひきこもり当事者の声を描くドラマ「こもりびと」。 取材や演出にあたったディレクターと脚本家が取材、制作の経緯や作品に込めた思いを語り合いました。

脚本・羽原大介さん 演出・梶原登城ディレクター(ドラマ) 取材・森田智子ディレクター(福祉)

ドラマこもりびと11月22日(日)午後9:00~10:13 [総合テレビ]

10年以上に渡ってひきこもり生活を送る倉田雅夫(松山ケンイチ)。重いストレスを抱え働けなくなったことがきっかけだった。厳格な父・一夫(武田鉄矢)は元教師。地元でも尊敬を集める存在だが、雅夫の存在を世間から隠し、立ち直らせることも諦めていた。しかし、自らの余命宣告を機に、最後にもう一度息子と向き合うことに。一方の雅夫は、閉ざされた部屋の中で人知れず、ひきこもりから抜け出す道を必死で探っていたー。

今回のドラマを制作するきっかけは?

森田
個人のテーマとして中高年のひきこもりに関する取材を継続していまして、当事者や親、行政など様々な人の声を取材したり、全国調査などを通じて情報を蓄積してきました。そうした取材の中で、30年以上ひきこもり続ける子を持つ父親が、数十年にわたって書き残した日記を読ませて頂く機会を得たのですが、読み進めていくと、外からは見えない親子の葛藤ですとか、閉ざされた家族の中で、何が起きているのかなどの機微が詳細に書かれていたんです。私たちも、一人一人お話を聞いて、情報を集めていくのですが、家庭内の話は“恥”だと思っていたり、世間体を気にして、踏み込んだお話を伺うことは容易ではありません。それが、日記ですと内面の揺らぎまで書かれていました。
こうした取材を通じて集めた数々の事実を、なにか伝える方法はないかと考えていたんです。ドキュメンタリーですと、文字を撮影する接写ですとか、イメージ映像に情報を載せていくという手法もあるのですが、感情の機微など伝わりきらない部分もあるのではないかと思い、ドラマという方法はないのかなと。

梶原
はじめこの話を聞いたときに、正直、どうしようかなと思いました。ドキュメンタリーではなかなか映像化できない、カメラが入れない現場だったり事実だったりするんですが、それを再現するとなると、それはあくまでも再現にとどまってしまいます。NHKスペシャルは、ドキュメンタリーの枠というイメージもありますし、ドラマでどこまでできるかというのは悩みました。

羽原
はじめは、まずベースとなっている「8050問題」を勉強するところからのスタートでした。これが勉強していくと、目から鱗の事ばかりで、大変な事がいま社会で起きているんだなと、改めて思いました。しかもそれを、NHKスペシャルでやるというのは、実は序盤の頃は、大変なプレッシャーだったんです。森田ディレクターの取材情報もそうだし、日記もそうだし、関連の書籍なども読みながら、考えていくわけですが、こんな大変な社会問題を、果たして1回のドラマでどこまで伝えられるのか・・・。その辺りを非常に考えました。やっぱりドラマでやる以上、大変だということだけを、垂れ流すわけにいかないし、かといって予定調和の、お涙ちょうだいのような安易なこともできない。それは実態とは違うし、目指す趣旨とも異なるなあと。

梶原
難しいなと感じたのは、ドラマはある種の希望をもって終わりたいというところがあるんですが、この題材における希望ってなんだろうって考えたときに、そんな簡単な話じゃないなっていうことに突き当たりました。解決法もみえない。そもそもそんなものがあれば、問題は起きていないと思います。それを安易にドラマでやっちゃえない、という難しさを認識したんです。

森田
この辺りを、皆でかなり議論を重ね、ではどういうゴールがありえるのかを考えました。取材を通じて、何かの一歩を踏み出す人の話も聞いてきましたし、もちろんドラマの物語のゴールとして踏み出してもらいたいけど、なにをその象徴とするか。それが「社会に戻る」っていうことで、本当にいいのっていう気持ちもありました。例えば、「就労」をゴールにしてしまうと、社会で傷ついてひきこもり状態になっている人に対して「就労がゴールだ」というメッセージを伝えることになります。しかし、今、ひきこもり支援の現場や当事者の間では、就労をゴールとすること自体が社会の価値観の押しつけではないか、ということも議論されていますし、現実はそんなシンプルな話ではないんです。そこで、実際にあった事例などを改めて取材して、どんな一歩を踏み出す人がいるんだろうということを、見つめ直しました。そういう中で、周囲からすると小さなこともしれないけれど、家庭の中での一歩であったり、家族の一員として何かの役割を果たすことであったりと、いうことがあることを知って、そうした事を大事にしようと話し合いました。

これまで手がけてきたドラマと、どう違う?

梶原
テレビドラマの基本は会話劇だと思うんです。ところが、今回の題材は、会話が断絶した親子の物語。これは、ドラマとしてはものすごく難しいです。会話がないので変化がおきない。それをどうストーリーとして成立させていくのかすごく悩みました。その中の一つとして、取材の中で得たブルーハーツの曲を使わせて頂くことになったのですが、この歌詞が雅夫の内面を代弁してくれるんじゃないかという思いが芽生えて前に進めたところはありました。

羽原
やはり俳優さんの芝居がすごかった。最初に脚本を考えながら、これ主役いつしゃべるんだよ、大丈夫かな、と思っていたんですが・・・。

梶原
主役が第一声を発するのは始まってから15分後。これ、朝ドラだったら終わっちゃってますからね。

羽原
それなのに、もう松山ケンイチさんの存在感がすごい。初めて仕上がったドラマを見たときにびっくりした。しゃべってないって、全く思わないくらいの演技で。内面の声が伝わってくると言うか、すごい雄弁なんですよ、芝居が。

森田
松山さんの芝居は、本当にすごかったですね。実は、私も初めて松山さんと打ち合わせさせて頂いたときに、すでに、その打ち合わせから「モード」に入っていたというか・・・。すごくそう感じました。参考にと思って、ひきこもりに関する情報や当事者の思いが書かれた雑誌を、事前に数冊お渡ししていたんですが、打ち合わせのときに、「これ全部読みたいんです」とおっしゃってくださって。すごく、当事者の思いが詰まっているものなので、内容がとても濃厚なんですけど、それを全部読破したい、当事者の方にも会いたいっておっしゃってくれて。

ドラマを作るにあたって、ひきこもりの当事者の人たちとは?

羽原
会って話を聞かせて頂きました。最初にお話を聞いた方々は、都内のレストランだったんですけれど、私の隣に座った人が、「私、奥の席だと困りますので」と。「飲み食いするのも人前で、
できませんので、出口に一番近い、いつでも立ち去れるポジションにしています」というのを聞いて、
これから、一体どんな話が始まるんだろうと思って・・・。でも、お話を聞いていくと、ものすごく勉強されていて、ものすごくいろんなことを考えてらっしゃる人たちなんだということを感じ始めまして。
日々、自分のこともそうだし、親のこともそうだし、社会のこともそうだし。そして、かなり客観的に物事を見れているというか。

梶原
僕の第一印象は、ものすごく繊細というか、感度が高い人たちなんだなということでした。いろんなことを感じ過ぎちゃって、いろんなことが気になっている。すごく感度が高いからきつくなることもあるのかなと。そこで、感度を下げないときついですよね、というお話もしたんです。

森田
感度を下げるために、ゲームをしたり本を読んだりですとか、時事問題やニュースでも、国内のものだと精神的にきつくなってしまうので、海外のものだけに限定しているとか。社会問題や学園ドラマなどから受けとる情報を、自分の人生とつなげて見てしまい、疲れてしまうというようなお話も伺いました。

梶原
しんどいので感度を下げようとしていることが周りから見ているとなまけているとか、甘えているとか思われてしまうのではないかなとそのとき初めて思ったんです。実際はとても真面目な方々で、だから親の期待に応えようとするし、なんで人の役に立てないんだって思うし、自分を責めちゃうというところがあるのかと。ドラマの主人公の雅夫を描く上でもそうしたお話を参考にさせて頂きました。

羽原
聞いていると、お話の一つ一つが、すごく、ずんと来るというか。もう気楽に聞けないというか、右から左に決して流せないような内容のものばかりで。これはしっかり受け止めないと失礼だなとすごく思いました。

ドラマに取り組む前と後で、ひきこもりについての認識は変わった?

梶原
僕は、めちゃくちゃ認識が変わりました。このドラマに取り組む以前は、正直、甘えや自己責任といったイメージが少なからずありました。でも全然違いました。

羽原
私もそうです。本などでいくら読んでも、自分の中で想像する、ひきこもってしまっている人のイメージって、かなり狭いものだったんだなって思いました。取材の情報や、直接お話を聞くということを重ねる中で、もっと立体的になったというか。時事問題や社会問題に関するお話も、かなり聞いたのですが、すごく的をえていると思うことも多かったんです。話し合っている内に、この人たちがたまたま、ひきこもっているだけで、この社会が抱えている大きな闇の部分を、たまたまこの人たちが、背負っちゃっているんじゃないかっていう風に思うようになりました。

梶原
松山ケンイチさんが寄稿を寄せてくださったんですけど、まさにそれです。これまでのドラマ以上に考えさせられました。もちろん、ひきこもりの人たちの本当の気持ちはいまも分かりきれていないと思っていますが、このテーマに向き合っているうちに、こうした人たちが生きやすい社会って、たぶん僕らにとっても生きやすい社会なんじゃないかなって話しているうちに思いました。そういう意味で他人事じゃないと思えるようになりました。

どんなところを見てもらいたいか?

梶原
いま、新型ウイルスの感染拡大で、倒産とか仕事をなくしてしまう人も広がっていると思うんです。そうじゃなくても自粛する時間が増えて、人との繋がりが断たれてしまう人もいる。僕も自粛して家に居続けていたときに、結局、自分自身の居場所って本当はどこなんだろうなあと考えました。もちろんひきこもりの人とは違うし一緒にはできないんですけれど、いま社会が自分の居場所について考えたり探したりしている時期でもあるかもしれないなと。

羽原
私はまだ正直、こわいところもあるんです。通常のドラマ枠じゃない、NHKスペシャルというところで、やらせて頂いて、こうした大きなテーマを扱ったものが、実際にどう受け止められるか。
やれることはやったし、出演者の方々の演技はすごい。あとは時を待ちます。

梶原
断絶した親子の、「会話のない会話劇」にも注目して欲しい。人と人との対話。どんな時代でも根源的には、人と人とのつながり、信頼のベースに「対話」があるということを制作しながら改めて感じました。これはひきこもりの事にかぎらず、いろんなもつれた糸を解きほぐす事につながっていかないかなと。

森田
このドラマの翌週に放送するNHKスペシャルは、ドキュメンタリーで、8050問題のその先を伝えようとしています。高齢化が進み、親が亡くなったあとに残された子が、衰弱してしまったり、命の危険にさらされる状況にまでなっているという現実を取材しています。ドラマとドキュメンタリー、この二つを見て頂いて、起きていることを知ってもらいたいと。そして、これからどんな社会を作っていけばいいのか、考えて頂くきっかけになればいいなと思っています。

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