「~べき」おばけかエンジェルか

「きちんと働くべき」「結婚するべき」「空気を読むべき」…。「~すべき」という強迫観念=「べきおばけ」に取り憑かれている人、多いのではないでしょうか。
ひきこもっている人が特に苦しめられているという、この「べきおばけ」とどうやって向き合ったらよいのか、ひきこもり経験者の千原ジュニアさんと中川翔子さんたちと一緒に考えました。
(べきおばけ取材班:記者 高橋大地 ディレクター 木原克直 岡田歩 池上祐生)

集まった#べきおばけ

皆さんが苦しめられている「べきおばけ」は何か。私たちは「#べきおばけ」でのSNSの投稿を呼びかけました。

  • 「友達をたくさん作るべき」
  • 「経済的に自立するべき」
  • 「社会になじむべき」
  • 「普通に働いて結婚して子ども産むべき」
  • 「3才までは母親が子育てするべき」
  • 「疲れていても料理は頑張って作るべき」
  • 「盆と正月は嫁は夫の実家に行くべき」
  • 「仕事は一度教えられたらマスターすべき」

集まった声はさまざま。ひきこもっている人を悩ませ、外に出るのを難しくしてしまう「べきおばけ」。

子育て中の女性がママ友や家族との間で苦しむ原因となる「べきおばけ」。

職場の同僚や友人との人間関係の中に存在する「べきおばけ」。

ひきこもっている人も、そうでない人も、みんな同じように「べきおばけ」たちに苦しんでいて、「べきおばけ」が社会に広くまん延している実態が見えてきました。

べきおばけ 思いをはき出し共有せよ

では、どうしたら「べきおばけ」を退治できるのか。

長年にわたってひきこもり当事者の支援を続けてきた白梅学園大学の長谷川俊雄教授にアドバイスをもらいました。

「ひきこもりの当事者たちが参加するワークショップをこれまでに何度も開催してきましたが、複数のメンバーで話し合ったり、文字にして書き出したりすることが大切です。自分の思いをはき出すことで、悩みと向き合って、ほかの人たちと共有していくことができるんです」

長谷川教授からの助言を元に、私たちは当事者が参加するワークショップを企画しました。

協力してもらったのが、現代美術家の渡辺篤さん。渡辺さん自身も3年間ひきこもった経験があり、自身の経験を元にしたアートやひきこもり当事者たちとともに一緒に作り上げる作品をこれまでも数多く手がけてきました。

書いて、壊し、修復するワークショップ

参加者はNHKの特設サイト「ひきこもりクライシス“100万人”のサバイバル」に、体験談を寄せてくれた人たちから募りました。

これまでにサイトにメッセージを寄せてくれた人たちは1200人以上。ひきこもっている人たちにとっては、なかなか外に出るのが難しいかもしれないと思いましたが、メールでイベントへの参加を呼びかけると、次々と返信が寄せられました。

結果として、合わせて8人の当事者や経験者が会場に集まってくれることになりました。ワークショップでは、まず参加者自身が長年苦しんできた「~すべき」を選び出しました。

そして、コンクリート製の円盤に「誰にも頼らずに生きていくべき」「仕事はミスなく完璧にするべき」「勉強して良い学校良い会社に入るべき」など、それぞれが選んだ言葉を書き込んでいきました。自分たちがとらわれてきた「べき」を吐き出していくのです。

参加者の1人、雪緒さん(40代女性)は、職場での人間関係に悩み、1年半前からひきこもっていて、このワークショップへの参加が1年半ぶりの遠出だと言うことでした。

雪緒さんが選んだのは「恋人がいるべき」という言葉。

「親や職場からは、『それが当たり前、なんで結婚しないの』って言われるんです」。

続いて、吐き出した「べき」をハンマーで打ち壊します。雪緒さんも「恋人がいるべき」と書かれたコンクリートを徹底的に破壊していきました。

「べきおばけ」を退治しておしまい、というわけではありません。重要なのは、バラバラになった「べきおばけ」を修復していくことにあります。接着剤で一つ一つ破片をつなぎ合わせ、割れ目の部分は金継ぎで修復していきます。

いったん壊したものを修復することの狙いについて、渡辺篤さんは「社会が、“普通”という基準値のようなものを作り上げていて、“普通”でなければおかしいという時に、『~すべき』が出てきます。そうした『~すべき』は、社会からの抑圧になっていて、その抑圧にどう向き合って、どう距離をとるのかが大事だと思う」と話します。

向き合うことで見えてきた変化

ワークショップをへて、参加者たちはそれぞれの気付きを得ていたようです。

「『恋人がいるべき』って文言が嫌な存在だったのに、それが砕けて、さらに一生懸命に直して新しく構築していく中で、なんかちょっとこの言葉が愛おしい存在になってきました。正直に言うと、恋人がほしいんですよね。だから傷をえぐらないでほしかっただけなんです」

そう本音を語ってくれた雪緒さん。自分の中にあった思いを吐き出し、壊し、つないでいく中で、取り憑かれていた「べきおばけ」とのつきあい方を知ることができたのかもかもしれません。

自身の中にある「べきおばけ」はすべて退治する必要はなく、うまくつきあっていくという考え方もあるということを知ることができた。

ワークショップのあと、そう話す参加者たちが何人もいました。

自身の「脱出すべき」は大切

「べきおばけ」との向き合い方について考える今回のプロジェクト。

ひきこもり経験のある芸人の千原ジュニアさんと、歌手でタレントの中川翔子さんにも参加してもらっています。

千原ジュニアさんは14歳から15歳のころにひきこもった経験があります。

「『みんなと同じレールを生きなさい』という教育をずっと受けてきて、それが嫌で嫌で、小学生ぐらいからみんなとは違うものをしたいなと思っていて。そうした中で『学校に行かなければいけない』ということの反発でひきこもったところもありました」

そのうえで、「~すべきだ」という思いも大切ではないかと指摘しました。

「今のままじゃいけないんだ、何か一歩踏み出したいんだ。でも、その方向が分からない。どう一歩を踏み出していいのか分からない。でも、一歩踏み出すべきだ、という『べき』がないと、つらいことになると思いますよね」

「自分は、ひきこもってるときは居心地が悪くて、『こんなはずじゃない』と思い続けていました。運が良かっただけだと思うんですけれど、そんなところに電話が1本かかってきた。電話は兄のせいじからで、『ちょっと吉本でお笑いやろう思ってるから、お前来い』って言われて。何か、どこかに行きたいと思ってたので、お笑いの方向に進んだんですよね。『今の現状のままではよくないんだ、この現状を打破するべきなんだ』と思い続けてるところに、脱出の鍵はあるんじゃないかと思います」

背中を焦がしてくれた「べき」

中学生の時にいじめがきっかけでひきこもった中川翔子さんは、母親から言われた「~すべき」がのちのちになって役に立ったと話しました。

「母親がどなりながら『学校に行け』とか、『働かないとダメだ』みたいなことを言っていた時は、『うるさい!知らない!そんなこと今は考えられない、心が無理!』みたいになってしまっていて、自分でもどうしようもなかったんですね。本当に考える余裕もなかった。でも、その時に言われた「~するべき」が、だんだん、じわじわと背中を焦がしていくことで、『きょうは学校行こうかな』とか『ちょっとこの仕事をしてみようかな』というふうに思えたって事もあります。だから、そういう『~するべき』が風を吹かせてくれたんだと思います」

べきエンジェルもいる!

また、断続的に30年以上のひきこもり状態で、ひきこもり当事者が作る雑誌「ひきポス」編集部の記者、ぼそっと池井多さんは「べきエンジェル」という言葉を使って、ひきこもりながら生きていることの大切さと、「~すべき」の関係性について語ってくれました。

「社会や親から押しつけられた悪い『べき』は、『べきおばけ』と言えると思いますが、良い『べき』もあると思うんです。ひきこもりには生産性がないっていう人もいるかもしれないけれど、それは非常に狭い意味の経済的な生産性だと思います。社会の片隅にひきこもっていても、とりあえず『生きていくべき』だと私は思います。『生き恥をさらす』の反対の概念ですよね。とりあえず命を紡いで『生きていくべき』っていう時のこの『べき』は、『べきおばけ』とは異なる、『べきエンジェル』とも言える存在ではないでしょうか」

どう向き合うかは あなた次第

ひきこもっていてはいけない、働かなければいけないという「べきおばけ」にとり憑かれると苦しめられる。それは社会や周囲が押しつけてきた「~すべき」だから。

一方で、自身の中にある「ひきこもっていても生きていくべき」「いつか脱出すべき」という「べき」、つまり「べきエンジェル」も存在する。

当事者や経験者の皆さんの話を聞いていくうちに、「べきおばけ」と「べきエンジェル」の違いは、社会との関係性の中で決まってくる、自分の中の心の向きや態度の違いにすぎないとも思えるようになりました。

「~すべき」とうまくつきあったり、時にそれを大切にしていく、そうした心の態度を後押しできる環境を、社会全体で作り上げていくことが必要なのだと思います。

「べきおばけ」との向き合い方については、8月8日(木)午後7時半から放送予定のクローズアップ現代+で詳しく紹介します。

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