ふすまの向こう側と

ひきこもり状態にある人には、原則的には市町村や保健所など自治体の専門の相談員が訪問支援をしています。一方で、話をしても反応がない相手に対しては訪問を継続することが難しく、支援が切れてしまう場合も多いといいます。そんな中、100人以上のひきこもりの人たちに向き合い、8割以上の人に直接会うことができ社会につなげている相談員がいます。その向き合い方には、どのような秘密があるのでしょうか。(甲府放送局記者 木原規衣)

“ふすま”に話しかける相談員

取材したのは、山梨県の保健所で、精神保健福祉相談員をしている芦沢茂喜さんです。

芦沢さんがある家に訪問するというので、同行させてもらったときに見たのは、廊下に立ったまま、ふすまに向かって話し続ける姿でした。

「りょういちさん、起きてますか。お話をさせていただくのが難しければ、お母さんにメールをしていただいているようにメールをいただけないかなと思って。どうかな。お話難しいかな」

ふすまの向こう側で20年近くひきこもっている人に、ひとりで語りかけています。

しかし、呼びかけに、反応はありません。

反応がないのに話し続ける姿を見て、正直辞めたくなることはないか、尋ねたところ、芦沢さんは「つらいときはありますが、辞めようと思ったことはない。むしろ反応があるかないかよりも、定期的に訪問して家族以外の人が話をする関係を続けることこそが重要なんです」と話し、動じる様子はまったくありませんでした。

芦沢さんは、これまで、アルコール依存症や自殺などの相談も受けながら100人以上のひきこもりの人たちと向き合ってきました。

これまでに20人以上をアルバイトや就職など、社会復帰につなげています。

その秘密の一端をかいま見た気がしました。

“正論はナイフ”友達のような関係を

多くの人を社会復帰させ、全国から講演などにも呼ばれるようになった芦沢さん。しかし、最初からうまくいっていたわけではありません。

ひきこもりの相談を受けはじめた6年前は、その人の問題点を指摘し、直させようとしていました。しかし、心を開いてくれることはなく、焦る日々が続いたといいます。

そんなとき、芦沢さんがある人から言われたひと言が、芦沢さんの考え方を変えました。

その言葉は、“正論はナイフ”というものでした。

芦沢さんは「正論を言ってしまえば、彼らはそれ以上の話をすることができない。彼らとの間でシャッターが閉まるという話をよくしますが、せっかく軒先で店を開いていたのに、その話をされた時点でシャッターを閉めてしまうので、彼らとの話もそこで止まってしまうということに気が付いたんです」と話してくれました。

ひきこもることで社会と折り合いをつけようとしている人たちに、正論をふりかざして相手を変えようとする方法では、心に響かないと気付いた芦沢さん。

それぞれの人たちが抱える思いを認め、友達のような関係を目指すことにしたのです。

芦沢さんは、相手の家を訪問する前に、好きな食べ物や趣味など、何気ない日常の話題を記した写真付の手紙を出してみることから始めました。

また、家を訪問するときには、共通の話ができる漫画や本、一緒に遊べるゲームなどの道具も持って行くことにしました。

相手が好きそうなこと、できそうなことを探し、寄り添うことから始めてみることにしたのです。

こうした取り組みを始めたところ、8割以上の人が心の扉を開き、会ってくれるようになりました。

芦沢さんは、「相談員は『どうせ正論じみたことを言うんだろう』って彼らは思っていると思うので、そこをどうやったら外せるかと考えました。『彼らが思っているとおりの相談員さんにならないようにするにはどうしたらいいか』とずっと考えています」と語ります。

家族以外に信頼できる人を作る

芦沢さんの取り組みが、実を結び始めた人に話を聞くことができました。

町の施設で芦沢さんと面談を続けているオサダさん(42)(仮名)。

ゲームデザイナーを目指していたものの、就職がうまくいかず、アルバイトを転々とするうちに家にひきこもるようになって10年以上がたっていました。町に相談した母のすすめで、1年前から芦沢さんと面談を始めました。

趣味の絵を切り口に、一緒に絵画教室に行くなど関係を深め、最近は仕事や将来の話もできるようになってきました。

信頼する芦沢さんとの面談をこれからもを続けたいというオサダさんは、「良い意味で現実的なことを言ってくれるので、納得するんです。芦沢さんのおかげで夢見がちだった私も現実に目を向けることができるようになってきました。いつか世に出て認められるような人になりたいと思っています」とかみしめるように話してくれました。

ことし5月、芦沢さんにとってうれしいことがありました。

半年にわたって面談を続けた20代の男性が、ことし4月から仕事を始め、初めての給料で万年筆を贈ってくれたのです。

大切なのは、1人でいいので家族以外に信頼できる人を作ることだと話す芦沢さん。そのためには、「今一緒にいる時間」を継続し、寄り添う。

芦沢さんは、毎日持ち歩いているという万年筆をうれしそうに眺めながら、話してくれました。

「私ができることは、彼らひとりひとりと関わりを続けていって向き合うことしかないかなと思っています。ご本人やご家族が『困っている』とか『不安だ』とかいうことを、ご相談できる形は作らなきゃいけないかなと思っているので、もしご相談のご連絡がきたらできることはしたいとずっと思っています」

取材を通して実感したのは、自立したいという思いを強く持っているものの、さまざまな理由でひきこもり状態を選ばざるを得ないという人が大勢いるということです。

社会的な理解を広げ、いかに気軽に相談できる環境を整えることができるのか。そして、私たちの身近な問題として、これからの支援のあり方を考えていけるかが、問われているのだと思います。

甲府放送局記者
木原 規衣

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