同じ月を見た日

ふと見上げた夜空の月を、自分の知らない誰かも今この瞬間にどこかで見上げているかもしれない。
そう意識することでそこにいない誰かに思いを寄せてほしい。
そんな思いを込めてひきこもりの経験がある現代美術家の男性が、横浜市でアートイベントを開いています。
コロナ禍で誰もが孤独を感じる今だからこそ伝えたかった思いとは。

渡辺篤さん

現代美術家の渡辺篤さんは、東京芸術大学の大学院を修了後、うつ病などが原因で3年ほど自宅にひきこもった経験からひきこもりの人の生きづらさや心の痛みを伝える芸術作品をつくるようになりました。

渡辺さんがコロナ禍で始めたのが「同じ月を見た日」というプロジェクトです。

ひきこもりの当事者や家族のほか孤独や孤立を感じている人に月の写真を撮ってウェブサイトに投稿してもらい作品にすることでつながりを感じてもらおうと考えました。

渡辺さん
新型コロナの感染拡大と緊急事態宣言による外出自粛などによって誰もが一時的にでも孤立を経験した今だからこそ、ひきこもりの当事者など孤立している人に意識を向けやすいのではないかと感じました。たとえ互いに存在を知らず、物理的にも離れていたとしても月を見上げることで孤独を抱えた誰かを想像することができるのではないかと考え、月の写真をモチーフに作品を作ることにしました

ひきこもりを経験した女性が写真に込めた思い

プロジェクトは去年4月にスタートし、これまでにおよそ70人が1000枚以上の写真を投稿しました。

撮影:SGKさん場所:二子玉川

参加者の1人、50代の女性が投稿した写真には、都会の街並みと月が写っています。

撮影時間は去年10月午後9時ごろ。

人通りがあってもおかしくありませんが、あえて人が映り込まないように撮られています。

このほかにも明るい空に消えそうな月を撮った写真もありました。

女性は撮影するとき、多くの人がイメージする月とは違う月を意識したそうです。

SGKさんの影

20代のころから断続的にひきこもっていたという女性。

職場の人間関係がうまくいかずストレスなどから仕事や家事をこなすことが難しくなり、それが原因で離婚も経験しました。

その後、交際した男性と将来を考え同居しましたが、住み慣れた土地を離れたことで再び体調が悪化。

50代となった今は少しずつ体調が回復し絵を描くことが心のよりどころとなっています。

しかし創作活動で利用していた公共施設がコロナ禍で使えなくなり、ひとりで自宅で過ごすことが増える中、プロジェクトを知りました。

考え方や幸せだと感じることが人と違うことで生きづらさを抱えてきた女性は、写真に当たり前の価値観なんて無いという思いを込めました。

プロジェクトに参加したSGKさん
月は1つだけですが月から受けるイメージや思いは人それぞれ。100人いたら
100とおりがあります。答えは一つじゃない。同じ月を見ながら、色々な見え方があることを感じてほしい

1人になれる時間

撮影:りえさん 場所:文京シビックセンター

シングルマザーのりえさん(40代)は1人息子のゆうき君(10歳)と一緒に訪れた公共施設の展望台から見た月の写真を投稿しました。

ゆうき君は難聴と発達障害があり、刺激になる人混みを避けるため、夜、散歩することが多いそうです。

「僕はね、月が好きなの。太陽は疲れちゃう」

以前、そう手話で伝えてくれたことがプロジェクトに参加した理由の1つでした。

頼れる親族もおらずコロナ禍で孤独感が募る中、つらくなった時に訪れるのが自宅近くにある観覧車や展望台です。

外出する時はじっとしていることが難しい息子の手をずっとつないでいなければなりませんが、2人で夜景を眺めながら過ごすこの時間だけは手を離してほっと息を抜くことができるそうです。

月のオブジェを持つりえさん

りえさん
1人ぼっちではないけれど、2人ぼっち。夜空を見上げることで日頃の緊張した気持ちからふと楽になれました。私たちが撮影した月を誰かが見てくれて、私たちの存在を感じてもらえたらうれしい

声なき声を作品に込めて

主催者の渡辺さんはさまざまな思いが込められた写真を4つの作品群にまとめ、横浜市内のスタジオで展示しています。

現代美術家 渡辺篤さん

渡辺さん
みずから声をあげられず存在すら知られていない声なき声、孤立感を抱えた人たちがこの社会にはたくさんいる。アートの力でそうした人たちの存在にまなざしが向けられるよう、活動を続けていきたい

月が撮影されたあの日、あの場所に孤独や孤立を感じている人がいた。

そうした人たちは今もどこかにいて、不安や生きづらさを抱えているかもしれません。

「同じ月を見た日」 アイムヒア プロジェクト

横浜市西区「R16studio」~3月21日(日) 午後5時から午後9時半まで

プロジェクトに寄せられたおよそ1000枚の月の写真は「同じ月を見た日」のウェブサイトでも見ることができます。

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